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序章 ――――冥府の王がお怒りです え、なぜ……? ――――あなたのしでかした悪戯が原因です 俺が? なにを…、した? ――――自分で始末をつけてください ――――そうしないと、あなたは…… なに……? ………… 俺がなにしたって言うんだよ? 第一章 授業中の廊下は静かだ。 聞こえてくるのはかすかな教師の声と、外を走る生徒たちの足音、体育館で跳ねるボールの音…。 そして――…、 「やってらんないわよねー、体育なんて。昼食後すぐ午後一なんて吐くわ」 ――生徒のグチ……。 けだるそうな足取りで一人、女子の制服を着た少女が廊下を歩いていた。 スカートは膝丈、髪は肩にかかる程度、靴下は白。言ったセリフとは異なり、顔の作りは上品だ。
芹沢仙子。某企業の社長令嬢。地元名士の一人娘である。世間一般では気品あるか弱いお嬢さまで通っているが、実はそうでもない。たびたびこうして授業をサボっている。今日は体育で長距離走があるのだ。 窓の外には鮮やかなくらいに晴れた春の陽射しがある。普通にしていれば心地好い気候だろうが、走らされるとなるとそうもいかない。 こういう日は木陰で読書でもしていたほうがマシである。怠け者の仙子にとってはそれもおっくうなほどなのだ。体育など冗談ではない。 真面目にグラウンドを走る者たちの気が知れない。 少し病弱なお嬢様だと周囲に常日頃思わせているのはこういうときのためである。その評価があるために、うれしいことに授業はサボり放題なのだ。 誰にも疑われることはない。 余裕ぶって横目で窓の外を眺めながら歩いていると、不意に背後から声をかけられた。 「よー、サボリ魔」 揶揄する調子の声である。 足を止めギクリとして振り返ると、にやけた顔の男が立っていた。 「…………。なんだ、遅刻魔か。びっくりさせないでよ」 安堵して息を吐く。 そこにいたのはクラスメートの高岡尭己だった。唯一仙子の本性を知っている生徒である。 ホーリー・シャムロック・タカキ=タカオカというのがフルネームだ。
長身の美形だが、上品な名門校の中では浮いた存在である。北欧の血をひいているため、髪は金髪に近く、高1にしてすでに体格は出来上がっている。外見からして迫力がある上、生活態度はよろしくない。シャツははだけ、ネクタイは首にぶら下げただけ。耳にはピアスまでしている。 おしとやかな校風には当然合わず、一般生徒から恐れられていたりする。 仙子と同じクラスなのに、教室で会うより授業中の廊下でばったり会うことのほうが多い。原因は仙子のサボりと尭己の遅刻だが、妙にその時間帯が重なる。なぜか波長が合うらしい。 別の意味で仙子もわりと一般生徒から少し距離を置かれているのだが、なぜか尭己からは仲間意識を持たれてしまっている。 周りからちょっとした不良扱いされている尭己とは外見的評価が真逆なだけで、その正体は仙子と同じくただの怠け者の自己中なのである。だから気が合うのかもしれない。 「今ごろ登校? 1時よ、午後の」 「おや、もうそんな時間か?」 白々しく驚いて見せるが、どうでも良さそうだった。 「なんで学校来るの?」 嫌味っぽく質問すると、苦笑しつつ肩を落とす。 「来て欲しくないみたいな言い方するなよ。せっかくお前の顔見に来てるのに」 「見物されるようなおもしろい顔してないわよ、私は。どうせあと2時間くらいしかないのにわざわざ登校するなんて奇特だと思ったの」 「おもしろいなんて言ってないだろ? 芹沢の美しい顔が好きって言ってるんだよ、俺は」 ふざけたセリフを吐き、からかうように付け加える。 「顔だけね。勘違いしないように」 「言われずともわかってます。あんたの趣味、何度聞かされたと思ってるの」 呆れてしまう。少々うんざりして肩を竦めた。 「お花とお月様が好きなんでしょ?」 「うむ。お前も分かってきたじゃないか」 「分かりたくもないけど…」 尭己のにやけた顔を見てため息をつく。妙にいやらしい目つきをするのが気色悪い。 無言で仙子が歩き出すと、尭己がそのあとに続く。 ちらりと冷たい目で見る。嬉しそうに口元が笑っていた。わざとらしく迷惑そうな顔を見せたが、平然と後ろにくっついてきた。 「芹沢、保健室行くんだろ?」 「そうよ」 「体育サボって寝に」 「あら、失礼な言い方ね。体調が悪いから少し休んできますって、ちゃんと先生に了解済みよ」 にやりとして得意げに言う仙子に尭己は肩をすくめた。 仙子が不真面目でどうしようもない怠惰な人間だと誰も思っていないのだ。どうやったらすんなり信じ込ませることができるのか教えてほしいくらいだ。 「毎度毎度よくもまあ…」 怠けた本性が見破られないのが不思議である。 「私、汗かくの嫌いなの。疲れるようなことはごめんだわ」 「わがままお嬢さま」 「か弱いのよ」 「根性が?」 「…あんた、脳みそがか弱いわよね」 仙子がじろりとにらんでも尭己は素知らぬ顔だ。 「柔軟なんだよ」 「思考がやわらかすぎるんじゃない?」 「規範に縛られるのは嫌いだけど?」 「そうでしょうね。登校時刻とか、守る気全然ないみたいだし」 「俺はばーさんが北欧の人で小さいころ外国で過ごしたから色々ゆるくても許されるんだよ」 「許されるってのとあきらめられるってのは違うのよ?」 憐れんだ目で軽く攻撃してみたが、尭己はまったくこたえていない。 「ま、お互いに人々の先入観を利用してる仲じゃないか。仲良くしよう」 仙子はフンとそっぽを向く。 「あんたが仲良くしたいのは別の目的あってのことでしょうが」 「そう。俺はお月見が大好きだから…」 にやける尭己の横顔を見上げ、仙子はやれやれと息を吐いた。 保健室――…… 机に向かう養護教諭の横に、右手人差し指に包帯を巻いた女子生徒がひとり。熱っぽい目で横顔を見つめている。 「藤谷先生…」 そのか細い声に答えたのは、氷のように冷たい視線である。しかも見たのは一瞬だけで、すぐ目を机の上に戻す。 「なんです?」 「私、なんだか熱っぽいみたいなんです」 「そこに体温計があります」 「……はい」 女子生徒は養護教諭の示した棚にある体温計をとって脇に挟む。 しばらくたってピピッと電子音がした。 「何度です?」 やはり冷たい口調で、心配や気遣いの欠片もない。 「……35度8分です……」 「全然平気ですね」 しらっと言われ女生徒は少々顔を引きつらせたがめげず、美しい横顔に自分の不調を訴える。 眉根を寄せ、体調が悪いことをアピールする。 「あの…、少し休んで行っても……」 が、じろりとひとにらみされ言葉を切った。 「う…、ごめんなさい、平気です…」 切れ長の目があからさまに迷惑そうだった。 女子生徒は気落ちしたように立ち上がり、未練がましくゆっくりドアを開ける。少し振り返って間を置いたが、視線も声もなにも与えてもらえない。 しょげたような息を吐き、とぼとぼ保健室を出て行った。 「……フン」
藤谷葵。養護教諭。白衣の似合う涼しげな美貌の男である。事務的に仕事をこなすタイプで、病人や怪我人に優しいとは言いがたい。もちろん健康体にも。 それでも、薄情な態度をとるにもかかわらず、その美しい外見のため、学内ではかなりの人気を誇っている。 突き刺さるような冷たい視線や言動に耐えながら、葵に近づこうとする凍傷寸前のけなげなやからも少なくない。 逆に葵の方から言うと、一日に何人もあの手の生徒を追い払わなくてはならないので迷惑千万、態度が冷たくなってもしかたない。いちいち仮病の相手などしていられないということになる。 突き指女の入室記録を書き終えようとしていた時、ガラッとまたドアが開けられた。うんざりしつつ入室者をにらむ。 が、入ってきた人物を見てパッと目元が緩む。 「せんちゃん」 後ろに尭己がいることに目をくれず、仙子だけ見て嬉しそうな顔をする。 「ほら、お月様よ。好きなだけごらん」 「葵さ〜ん」 「げ、また…」 仙子に許可されて背後から姿を見せた長身の美形を見て、葵の顔が引きつる。 尭己は飛びつくように葵の隣りの椅子に座ると、ニコニコと嬉しそうにその顔を見つめる。 「せんちゃん、なんでこんなのと一緒に来るんですか? 来るときはひとりできてくださいよ」 邪魔そうに顔をしかめ、尭己の視線を避けるようにして仙子に訴える。仙子はわざとつんとしてそっぽを向いた。 「たまたまそこで会ったのよ。この男がどーうしても月が見たいって言うから連れてきただけ」 「…月月って、狼男ですか、君は」 「葵さんは俺のお月様だ〜」 「やめてください。そのゆるんだ顔を近づけるのは」 葵はスキャンダルの現場を撮られている政治家のように尭己の視線から逃れようとしている。 本来の葵なら残酷なほど冷たくあしらって追い返すだけなのだが、仙子が尭己を気に入っているようなのでそうもいかないのだ。 仙子は少しひねくれた楽しみを味わう感じで笑っている。 「あら葵さん、顔だけは一級でしょ」 「僕くらいの歳になると造作よりも滲み出る下品さの方が気になっていやなんです」 尭己の顔の良さは事実なので否定しないが、かもし出す雰囲気が妙にいやらしい。 「俺は年上だって気にしないよ、葵さ〜ん」 「なにを聞いてるんですか……」 分かっているくせに見当違いのことを言う尭己にしかめっ面を向ける。 仙子は楽しげに肩を竦めて見せた。 「葵さんが思ってるほど有害じゃないわよ?」 「……せんちゃんが知らないだけです」 仙子が自分よりも尭己の肩を持つのがさらに気に食わない。ムッとして顔をそむける。 仙子が神妙な顔つきで葵を見つめた。 「もしかして葵さん、なにかされたの?」 「ち、違いますっ」 慌てて否定すると、仙子はその様子を見ておかしそうに笑っていた。 「まったく……。せんちゃん、性格悪くなりましたね」 「もとからだろ?」 「葵さんに比べたら優しいもんだわ」 「失敬な。僕が何をしたって言うんです」 しれっとすっとぼける。自覚がないわけではないが、付近を飛び交う虫たちを追い払うのにいちいち手加減する気もない。葵を冷たくしているのはうわべに寄りついてくる人間の多さだ。 「さっきの女の子、がっくり肩を落としてとぼとぼ歩いて行ったわよ?」 呆れた感じで言うと、葵は思い出すように視線を上へ向ける。 「……ああ、さっきの2年ですか? つき指の治療はちゃんとしましたけど?」 「追い出したんでしょ? かーわいそーに」 そう思っているとは思えない口調で同情の言葉を述べる。 葵はフンと鼻息を吐いた。 「用もないのにここにいたがるほうが悪い。保健室は遊びに来るところじゃないんです」 そう言ってから、とってつけたように付け加える。 「せんちゃんは例外ですよ。いつでも遊びにきてくださいね〜」 「遊びに来てるわけじゃないわ。体調悪いから休養に来てるのよ」 空々しいセリフに、尭己が苦笑していた。 「あ、コーヒーでも淹れましょうか?」 「紅茶がいいわ」 「俺も〜」 「ついでですよ、キミは」 つんとして答え、葵は後ろの薬棚から紅茶の缶を取り出した。 保健室の奥には小さな部屋がある。 カウンセリング用の場所で、生徒が悩みを相談にくるために作られた。それが本来の使い道なのだが、仙子が来たときのくつろぎの間となっているのが現状である。 ソファとテーブルが真ん中にあり、小さな冷蔵庫やポットも用意してある。紅茶を3人分淹れた葵は、冷蔵庫から白い箱を取り出した。 「アップルパイとチーズケーキどっちがいいです?」 ニコニコと仙子に質問する。 「アップルパイ」 「俺も」 間髪入れずに即答した仙子に続いて尭己も答える。葵に冷たい目を向けられた。 「アップルパイはひとつしかないんです。――はい、せんちゃん」 再び笑顔になり仙子に向き直る。アップルパイを載せた皿は、当然仙子の前に置かれる。 「ありがと、葵さん。あ、おいしいそー」 「…………」 何事もなかったように仙子と葵はほのぼのした会話を続ける。尭己は無言で目の前に差し出されたチーズケーキを見つめる。 「葵さん、これどーしたの?」 「校長がくれたんです。有名なお店らしいですからおいしいですよ、きっと」 「あ、ホントだ。フルフルのだわ。なかなか物の分かった校長ね」 開き箱に店名とロゴが入っているのを見ながら偉そうに校長を評価しつつ、フォークでアップルパイをひとくち口に入れる。 「おいし〜」 「…………」 尭己は、幸せそうにアップルパイを食す仙子にジトリとした視線をやる。仙子がそれに気付く。 「なによ。いらないの? チーズケーキ」 「アップルパイ……」 「おいしいわよ?」 「だからどーしたと言わんばかりの態度……」 仙子は開き直ったような顔を作る。 「だってしょーがないじゃない。葵さんは私にアップルパイを与えたかったのよ? あんたが何を欲しがろうと関係なく」 当然の権利を主張している様子である。 「自己チュー……」 尭己がぽそりと非難すると、フンと顔をそらされた。 「自分の欲しい物が手に入らないからって人を自己チュー呼ばわりとは案外ひがみっぽいのね。そんなにフルフルのアップルパイが食べたいんだったら自分で買えばいいじゃない」 「そういう問題じゃない」 「チーズケーキが嫌いなの?」 「いや、好き」 「じゃ、問題ないじゃない。葵さんとおそろいだしね。はい、めでたしめでたし」 「……まー、いーけど」 わざとなのか本気なのか分からなくなってしまった。あきらめてチーズケーキに手をつける。 「しかしなんで葵さん、このワガママお嬢さまに甘々なんだ? 高校に入る前からの付き合いみたいだし、どーゆー関係?」 常々疑問に思っていることを聞いてみる。葵が冷たい目で尭己を見た。 「君には関係のないことです」 「デスよね……」 予想通りの答えとはいえ少し悲しい。 ちらりと仙子に目をやったが、アップルパイを食べて満足しきった顔で残りの紅茶を飲み干した。全然尭己の声など聞こえていなかったらしい。 「おいしかったわ。ごちそうさま、葵さん」 「あ、紅茶もう一杯どうです?」 「いらないわ。それよりベッド貸して」 「どうぞ。いつでもあいてますよ。窓際はせんちゃん専用ですから」 「マジで? すげー特別扱い」 まさかと思いつつも葵ならあり得なくもない気がする。 尭己の驚きは無視され、葵はニコニコと仙子に笑みを向けた。 「枕もふかふかですよ」 「ありがと。起きるまで起こさないでね」 皿やカップをそのままに、仙子は保健室に戻るドアに向かう。 「おやすみなさーい」 「お休みなさい、せんちゃん」 葵は笑顔でドアが閉まるのを見届けた。 室内で尭己と二人きりになった途端、冷たい視線が尭己に突き刺さる。 「……君は教室にもどったらどうです?」 「急激に豹変するなよ……」 ものすごくあからさまで極端なえこひいきである。 葵の仙子に対する態度がどこからくるのかかなり謎だった。 ……ん? ここは……? 仙子は停めた自転車に寄りかかり、木の下に立っていた。 夕暮れで景色が茜色に染まっている。 木が生い茂った外側に水色の網目状のフェンスが見えた。 辺りを見まわす。 レンガで舗装された小道には所々にベンチが置かれており、周辺の一面は芝生か花壇になっている。 わりと広大な面積の公園だった。 見覚えのある場所である。 深緑公園……よね? ずいぶん昔に何度か来たことがあるはずだ。 最後に来たのは10年前。 5歳を過ぎてからここに来ることはなくなったが、残っている記憶と一致する。 確かに新緑公園のようだ。 遊んだことのあるブランコや滑り台もある。 なつかしさを感じた。 それらが小さくなって見えるのは仙子が成長した証だろう。 当然ながら、長い間見ないうちにずいぶん古くなっていた。 が、ひとつ不思議なことがあった。 私…………。 なんでこんなところにいるの? いつの間にここへやってきたのか分からない。 首をひねり、思い出そうとする。 体育をサボって保健室に行き、お茶をしてからベッドで眠りについたはずだ。 そのあとは……。 「よう」 急に背後から肩をぽんとたたかれ、思考を止めて振りかえる。 ――あ――…… 視界が暗転する。 完全に振りかえる前に、目の前が暗くなっていった。 人影が見えたが、それが誰なのかまで見ることはできなかった。 …………………… パチ 「……ん?」 目を開けると白い天井が見えた。周りはクリーム色のカーテンで囲まれている。 「あれ……?」 しばしばとまばたきし、ぼんやりした頭で考える。 仙子は確か今新緑公園にいて、誰かに呼ばれて振りかえったはずだ。 「夢…だったのかしら…?」 保健室のベッドで目が覚めたという今の状況からしてそうとしか考えられないが、なんとなく不思議な気分である。 「ずいぶんリアルな夢ね…」 本当に、今の今まであの公園にいたような気がする。 「…………」 すごく不可解である。 首をひねりながらムクリと体を起こす。 伸びをしてからベッドを出て、靴をはいて白いカーテンを開ける。 窓から入ってくるのは夢で見たのと同じ、夕焼けの茜色だった。 「ふあーあ、よく寝た。葵さん、今何時?」 「あ、せんちゃん、起きました?」 あくびをしながら出ていくと、葵が笑みを向けてきた。 「もう4時過ぎですよ。とっくに放課後です」 「よう」 「あら、まだいたの?」 尭己が葵の机の向かい側に椅子を持ってきて腰を下ろしていた。振り向いて仙子に声をかける。 仙子は不思議な顔で尭己を見た。 「とっくに葵さんに追い返されてるもんだと思ったけど、案外気に入られてるのかしら」 近くにある椅子に腰を下ろしながら言う。 「出ていくように何度も勧告してますよ」 聞き捨てならない仙子のセリフに葵が嫌そうに反発するが、尭己はでれでれとにやけてあごをさすった。 「最初だけじゃん。口でいうほど俺のこと嫌がってないな〜、なんて」 「許されるってのとあきらめられるってのは違うのよ?」 憐れむ口調で仙子が言うと、尭己は軽く肩を竦める。 「それはさっき聞いた」 「理解してないようだから何度も言い聞かせておこうと思って」 「お前は化学の復習したほうがいいぞ」 「う……」 いきなりの変化球に仙子は言葉を詰まらせる。葵が納得するように頷いた。 「せんちゃん、体育だけじゃなくて化学のときもここにきますもんね、そういえば」 葵にまで言われ、仙子は慌てて神妙な顔を作る。 「あのね、さっきヘンな夢見たの」 「強引に話題を変えるなよ……」 「いーのっ」 苦笑する尭己に向かってムキになって口を尖らせる。 「化学の話なんて頭痛がするわ」 勉強の話などしたくもない。とくに尭己はこう見えてわりと化学だけは優秀な生徒なのである。仙子に勝ち目はない。 クスクスと葵が笑いながら仙子に味方した。 「どんな夢だったんです?」 「あ、うん。あのね、時の流れを感じるような夢」 「なんだ、それ?」 「時間の流れは早いわ〜って感じ」 「ということは、小さい頃の夢ですか?」 仙子のことに関してだけは察しのいい葵である。 しかし、仙子は難しい顔で首を傾げた。 「ちょっと違うような……」 自分が小さい頃の夢なら、当時の新緑公園を見るはずである。 「小さいときにしか行ったことない場所にいたんだけど、そのときの様子と変わってたのよ」 「ふーん?」 尭己が曖昧な相槌を打つ。 どう説明したものか考えてしまう。 「今行ったらあんな感じだろうなっていう感じの夢なんだけど…」 「あ、なんとなく分かりますよ、それ」 仙子の分かりにくい説明に葵が同調する。 「僕も死んだ兄さんを思い出すとき、必ず僕より年上ですもん。もうとっくに追い越してるんですけど」 「ふーん」 「葵さん、お兄さんいたんだ?」 「君には関係ありませんけど」 話題のずれた尭己の感想を葵が冷たく返す。 仙子は一人考え込み、ふーんと頷いた。 「そんなもん?」 「そうですよ。17歳だったんですけど、今でも僕より年上なイメージで思い出します。あえてそうしてるわけでもないんですが、そうなってしまいます」 「ふーん」 「でも人物ならともかく、普通昔いた場所を思い出すときってその頃の自分を思いえがくけどな。ちっちゃいころをなつかしく思い出すんならともかく、今の状態を想像してるだけなんて無意味じゃん」 尭己がもっともなことを言った。 「そうなのよ、だから変な夢なのよ。実際そこにたってるようにすごくリアリティがあって、夢とは思えないくらいだったからちょっと気になったのよね。見てきたようだったわ」 「寝ながらですか? 夢遊病じゃあるまいし」 「幽体離脱でもしたんじゃねーの? どこの場所だよ、そこ?」 「新緑公園よ」 「…………新緑公園?」 「――ってすぐ近くですよね?」 一瞬尭己が変な顔をした。いぶかしむような感じだったが、葵が気づかず言葉をつなげた。仙子もさして気にしなかった。 「そうなの。ここ10年まったく行ってないのに急に夢に見たの」 「……へー。俺も昔よく遊んだな、あの公園。最近全然行ってないけど」 難しい顔をしたのは一瞬だけだった。尭己は普通に懐かしむような顔を見せた。そっちの方に仙子は疑念を持ってしまう。 「あんた、外国育ちじゃなかった?」 眉をひそめて疑惑の目を向けると、尭己はヘラヘラと笑った。 「中学が向こう。小学校は逢坂小。その前もこのへんだし。3年間向こうにいただけ」 「じゃ、そのゆるさはたんにあんた個人の性質なんじゃない」 「お前のワガママっぷりも育ちのせいじゃなくて個人の性質だろ? それと一緒」 「さらっと失礼なことを言わないように」 葵に注意され、肩を竦める。 「ま、新緑公園なら俺も記憶にあるな」 「夢の中ではね、昔とあんまり変わってないんだけど、周りに木が植えてあるじゃない? あれがすごく大きくなってて、箱ブランコが撤去されてベンチが置いてあったわね」 「ふむふむ」 「あとは……ジャングルジムが赤から黄色に塗り替えられてたわ」 「ジャングルジム? 5年くらい前に青く塗り替えられてたぜ?」 「そお?」 「俺の記憶が正しければだけど」 「うーん、やっぱり所詮夢なのかしら……」 「まー、新緑公園なら行ってみればいいんじゃねー?」 「そーね、おもしろそうよね。じゃ、ちょっと遠回りになるけど深緑公園に寄って帰ろうっと」 言って、立ちあがる。さっそく行ってみるらしい。 「せんちゃん、送って行きましょうか?」 「いい。葵さんと歩くとさっきの女の子みたいなのに目をつけられちゃうわ」 葵の申し出を断り、すたすたとドアへ向かう。 「送ってって、葵さん」 「君はさっさとどこにでも行ってください」 尭己の猫なで声を完全にブロックする。 にやりと口角を上げ、尭己は仙子に顔を向ける。 「じゃ、芹沢、一緒に帰ろうか」 「絶対ダメです」 仙子ではなく葵が思いきり拒否するが、仙子のほうは平然と許可した。 「いいわよ。葵さんと違ってこの男にファンなんていないもん。誰にもなんとも言われないわよ」 「こんなだらしない不良生徒と一緒にいるところを見られたらせんちゃんの評判が落ちます」 仙子としては尭己がついてこようとこまいとどっちでもよかった。多少いきすぎた葵の思い込みに肩を竦める。 軽く息を吐いて尭己にニコリと笑みを向けた。 「高岡くん、葵さんがもうちょっとかまってくれるって」 「う…、それとこれとは……」 怯んだ隙を見逃さず、尭己は葵に擦り寄る。 「葵さ〜ん。やっぱり実は俺のこと気に入ってる?」 「だぁっ。近づかないでください」 くっついてくる尭己を肘で避ける。 尭己はふふんと不敵な笑みを見せた。 「じゃ、芹沢と一緒に帰ろうかな〜」 「……ぅぐ……」 言葉に詰まる。どっちも嫌だった。 深呼吸してよく考える。結論、 「お、お茶の一杯くらいなら出しましょう。せんちゃんのためです」 嫌々ながら承諾し、悔しそうに口を歪めた。 尭己は勝ち誇ったように口角を上げた。 「コーヒーいれて」 「……分かりました」 屈辱的に頷き、恨みがましい目を仙子に向ける。 「せんちゃん〜。早く今のうちに帰ってください」 「はいはい。じゃーね、葵さん。高岡くん、ごゆっくり」 おもしろがる笑みを残し、仙子は保健室を去っていった。 そのころ――深緑公園――…… 北口付近の木の下に自転車を停め、川名亮は腕組みしてなにか考え込んでいた。
校内でかわいいと評判の男子生徒である。成績も良く、いろいろな方面から人気がある。先生、上級生、女子生徒、男子生徒等々……。 中身も外見も自然体の、素直で育ちの良さそうな優等生だ。 「どーした? 亮」 背後からその肩を叩き、長身の男が無愛想に訊く。 深田大志。老舗時計店の跡取りで、亮のクラスメートである。 なぜか入学早々亮に気にいられ、他の生徒たちから反感を買っている。尭己の幼なじみでもあるが、昔から仲はよろしくない。 亮は一見怒っているようなその地顔をちらっと見上げた。亮の身長はどちらかというと低いほうなのである。 「なんか一瞬保健室で寝てたような気がしたんだけど……。気のせいかな」 「なに立ったまま寝ぼけてるんだ? 白昼夢でも見たのか?」 大志は無表情に片眉だけ動かした。 「寝ぼけてないよ」 亮は拗ねるように口を尖らせて見せる。 そして目線をずらし、ふと気づく。 「なー、あのジャングルジム、黄色だったっけ?」 いつも見ている風景に違和感がある。最近は遊具など注意して見ていなかったのでなんとなくという程度でしか覚えていないが、色が違う気がした。大志は亮の見ている方を見て軽く頷いた。 「あれは先月青から黄色に塗り替えたんだ」 「あ、やっぱり? なんか違和感があると思った」 青が黄色に変われば嫌でも分かるが、亮は少し得意げだった。 「確か青にする前は赤だったよな?」 「ああ」 大志は軽く頷いてから気づく。 「昔の状態を知ってるってことは……、お前ってここの近所か?」 5年以上前にここへ来たことがなければ、ジャングルジムが赤かったことを知らないはずである。 入学して間もないので亮の家がどのへんかも大志は知らない。 亮はなつかしそうに微笑んだ。 「緑町なんだけど、親の友達の家がこの近くだから小さい頃よく来たんだよ、弟と一緒に」 それほど離れていない町だが、小学生以下の行動範囲としては遠い。 同じ高校に通うのに、大志は徒歩で亮は自転車である。その程度の距離だ。 「……そうか」 「ん? どうかした?」 「いや別に……」 少し沈んだ声だったが、亮は少し小首を傾げただけでたいして気にしなかった。 「それよりやつら遅いな、大志。なにやってんだろ」 「二人ともマイペースだからな」 ここで待っていろと言った当の本人たちがまだやってこないのである。亮も大志も不満げに息をついて学校の方を見やるが、歩いているのは知らない顔ばかりである。 「あいつら大志んち知ってるんだろ? 先に行ってる?」 停めた自転車にまたがって言うと、大志は軽くぶすっとむくれた。そのまま歩き出す。 「……なんでまた俺の家で勉強会なんか」 ふてくされたような大志の横目に、亮は屈託なくひと好きのする笑みを向ける。自転車を降りて引きながら大志の横に並ぶ。 「だって宮野と石巻が大志の家は金持ちででかいって言うから。見てみたいじゃん。大正の建物なんだろ?」 「旧宅のほうはな。あそこは珍しい客がきたときだけ使うんだ。普段使ってるのは普通の家だぞ?」 「大志、普通の感覚が普通と違うって聞いたし」 「……そうか?」 少し考え、不可解そうに首をひねった。常日頃行い、習慣づいたことだから気づかないのかもしれないが、自分では普通の感覚をしていると思っている。 ちょっと考えてみても、どこがどう普通じゃないのかはよく分からない。 亮が試すような目でニコニコと笑みを向けてくる。 「財布に必ず万札入ってるんだろ?」 「普通6枚くらい入れてるだろ?」 「入れてねーよ……」 大志に当然のように答えられ、亮はあきれともつかない息を吐く。 そしてまたニコニコと笑みを向ける。 「それに、クローゼットにタキシード入ってるとか」 「は? じゃあお前は普通、パーティーになに着て行くんだ?」 「…………ふぅ」 間を開けて息を深く吸い込み、今度は大仰にため息をつく。 「なんだよ」 亮の方が変なことを言っているとでもいうような顔で大志は顔をしかめた。 「やっぱり普通じゃねーよ……」 「そうか?」 腕を組んで思いきり首をひねる。 なにが普通じゃないのかやはり分からない。 視線を亮にやると、うなだれて首を振った。亮の言いたいことが分からないなら普通じゃないと顔に表している。 大志としては不服である。 眉間にしわを寄せて顔をそらした。 「あ――……」 「ん?」 少し離れたところを歩いている人物を見て思わず足を止めると、亮がその先に視線を向けた。 「なんだ、芹沢のお嬢さまじゃん」 仙子がチラチラと辺りを見まわしながら歩いていた。 ここいら一帯で芹沢家を知らないものはいない。亮も例に漏れず、仙子のことは知っていた。 おとなしくてか弱いお嬢様という認識である。実像とは間違っているが、それは知らない。 「丘の上のでっかいお屋敷に住んでんだろ? 遠回りしてこんなところでなにしてんだろ」 「…………」 亮の素朴な疑問に、大志は反応しなかった。 黙ってじっと仙子を見つめる。表情は普段と変わらず無愛想である。 「あ、こっち見た。手でも振ってみる?」 仙子が人影に気付いて二人のほうを見た。 3秒ほど見つめ、特になんでもなく去っていく。 「……あ、行っちゃった」 「…………」 その後姿を立ち止まったまま見送っている大志の態度を見て、亮は不思議そうに首を傾げた。 「どした、大志? そんな真剣な顔で」 「……いや、別に」 どことなく不満げである。 なにかを言いたそうだが、亮には言えないことらしい。 「ん〜。なんだなんだ、あやし〜い」 揶揄するようにニヤニヤして大志の肩を突つく。大志は迷惑そうに顔をしかめて歩き出した。 「お付き合いねーの? お金持ち同士。嫉妬しちゃうぜ、このこの」 「なに言ってんだ、亮」 大志は不愉快そうに亮をにらむ。なにを思ったのか、亮は含み笑いを浮かべ楽しそうについてくる。 文句を言おうと顔を後ろに向けると、ちょどそこへ待ち人二人が駆け寄ってくるのが見えた。 「あ、宮野と石巻、来たぜ」 そう言うと、亮も振り向いて足を止める。 「おーい、リョウリョウ、タイタイ〜」 「お待たせ〜」 髪が短くいたずらっぽい顔をしているのが宮野で、目が細く少々坊ちゃんっぽいのが石巻である。 ![]() 二人とも小学校以前からの大志の友人で、特に宮野と石巻は常に一緒に行動している。 「タイタイはやめろ、宮野」 眉間にしわを寄せて凄むと、宮野が大袈裟に肩を縮めた。 「マキマキ、タイタイがこわーい」 「おーかわいそうに、ミヤ。大志、大人げないぞ」 ポンポンと宮野の背中を叩き、ふざけた口調で大志を叱る。 大志が呆れたように息を吐く。 なんで遅くなったのか目で問うと、それに気付いた宮野がへらへらと答えた。 「化学の沼本に出くわしてな、資料運ぶの手伝わされたんだよ」 「もー、大変だったぜ。ミヤが途中で廊下にばら撒くしよう」 亮にも大志にもその情景がすぐ目に浮かんだ。うんざりとして目を見交わす。 宮野は典型的なトラブルメーカーである。面倒事を起こすのが得意なのだ。 しかし宮野は得意げにあごを上げる。 「フッフッフ。あれは作戦だよ、マキマキくん。あれに懲りて沼本はもう俺になにも頼むまいと思うだろう」 「お、おおっ。作戦か、ミヤ、さすがだ」 石巻がグッとこぶしを作って宮野を褒め称える。二人だけで通じ合っている。 大志はさらにうんざりして目を眇めた。 「アホか。そんなもんで俺たちを必要以上に待たせるな」 「いいじゃん。おかげでリョウリョウといちゃいちゃできたんだろ?」 宮野がヘラヘラと笑い、大志は頬を軽く引きつらせた。 「……お前がそーゆーことを言うから俺が入学早々上級生に目をつけられるんだ」 「動じてないくせに」 「昔みたいに派手に暴れて見せれば?」 「お育ちいいのばっかりだから大志の天下だぜ?」 宮野と石巻が交互にけしかけると、大志はムッとした顔で口を歪めた。 亮がきょとんと大志を見上げ、小首を傾げて宮野に目をやる。 「大志って暴れんの?」 「そりゃもう……」 「この頑強な体躯を見ろ」 「見事な腕っ節だぞ」 二人はそろって大志を次々と指差していく。 「ほら、この迫力ある面構え」 「そしてたくましい胸板」 「さらにしなやかな筋肉」 「優れた瞬発力」 「にらみ合いに負けない鋭い眼光」 「打たれ強いタフさ」 「倒れない気合と根性」 「優れた精神力」 亮がいちいち頷くので、二人とも調子に乗っている。 それで余計な情報まで喋りそうになった。 「あいつがいなくなってからは荒れて荒れて……」 「黙れ、宮野」 ピクリと敏感に反応し、鋭い目で宮野を牽制した。 「う…、こわ〜い、タイタイ」 「フン。行くぞ」 触れられたくない個所を突つかれ、大志は思いきり不機嫌に顔をしかめた。早足で歩き出す。 「あ、待て、大志〜」 「足速いんだよ、お前は〜」 ぶーぶー文句を言いながら、慌ててあとを追いかける。 亮は自転車にまたがり、すぐ3人に追いつく。 大志のあとを追う宮野と石巻は完全に早歩きである。足の長さが違うのだ。大志は歩幅が大きい。 「おんぶして、タイタイ」 「あ、おれお姫さま抱っこがいい〜」 「アホか、お前ら」 大志が呆れたため息をつく。 4人は大志の家にいくため、新緑公園を横切って行った。 亮は門の向こう側にあるきれいな建物を見て目をぱちくりとしばたかせた。 隣りを向くと大志がいつもの無愛想な顔で平然としており、後ろを見ると宮野と石巻が得意げににやついていた。 前に向き直り、門に『深田』という立派な表札を見つける。 確認のため宮野を見ると、コクコクと頷かれた。 ようやく理解し、ほうと感嘆のため息をつく。 「すげー、大邸宅〜」 「だろだろ〜」 大志に代わって宮野が嬉しそうに自慢した。 「門があって玄関まで徒歩何分かかるんだよ、これ」 「んな、かかんねーよ…」 ゆっくり歩いてもせいぜい1分である。大志が呆れ交じりの視線を向けてくるが、亮はまったく気づいていない。 世の中にはもっとすごいお屋敷もあるが、町中の個人宅としてはかなりすごい部類である。とはいっても、この辺りはお屋敷だらけで、周りを見ればそう珍しくもない。だから大志にとっては普通なのである。 しかし、亮の感性から言うと、美術館か何かに見えてしまう。 「あ、でも大正? のわりに新しいじゃん?」 デザイン的にも最近の建物に見えた。隣りを見上げると、大志は少し困ったような顔をした。 「だからそれは旧宅の方で…」 「つーと、こっちは……」 「普段使ってる普通の家だ」 「フ、普通の……」 頬が引きつる感じである。平然と躊躇なく言わないでほしいと思ってしまう。 「な? 普通が普通と違うだろ?」 「マジか〜……」 なぜかガクリとうなだれてしまう亮である。 うつむいて息を吐き、大志を横目でにらむ。 「この〜、日本の国土は狭いんだぞ。無駄に土地占有しやがって〜」 「なんなんだ、お前は…。入るんだろ?」 亮の意味不明な絡みを迷惑そうな顔で拒否し、大志は3人を促しすたすたと敷地内へ歩いていく。 屋敷の迫力に圧倒されながらも、亮は慌てて大志のあとについていった。 「ひろっ」 室内に招かれ、思わず驚きの声を発する。 「なんだこれ、大志の部屋?」 「ああ」 驚き顔の亮に、大志が無愛想に答える。いたって普通の態度だ。 黒っぽいチェストの上に無造作にカバンを置くと、制服を脱いでハンガーにかける。 部屋にある勉強机やベット、ソファ、チェストや書棚などの家具はどれも良さそうな感じだった。屋敷に見合ったいいものだというのは確実である。 「どーだ、すごいだろ、リョウリョウ」 訊かれ、深く頷く。 「見たか、マキマキ。リョウリョウが感動してるぞ」 「よかったな、ミヤ」 「ウム。このくらい喜んでもらえると連れてきたかいがあるってもんだ」 宮野と石巻は亮の反応にいちいち喜んでいた。 「ここ、ひとりで使ってんの?」 「そうだ」 「はー。俺なんて6帖を弟と共有してんのに」 どう見てもその3倍くらいはありそうな広さだった。 高校生の私室にはとても見えない。 「マキマキ、おいで」 「ミヤっ」 宮野が石巻を誘ってドサっとベッドに転がったのを見て、大志が不満顔を作る。 「おい、こら、人のベッドで寝るな、お前らっ」 「あ、テレビもある〜。プレステは? こん中?」 犬のようにじゃれあう宮野と石巻に気を取られた隙に、亮が部屋を探索し始めた。 「勝手に開けるな、亮っ」 「やっぱいいよな、この布団」 「フカフカ〜……――ぐ〜…」 「おい、寝るな、宮野っ」 宮野と石巻は幸せそうに布団にもぐり込んでいた。 きれいに整えられていたベッドをくしゃくしゃにされ、大志は不機嫌に顔をしかめた。 「なんだよ大志〜、CD半分クラシックじゃん」 「あ、なにやってんだ、亮」 見ると、壁に備え付けられたラックからCDを引っ張り出している。 見た目のわりに几帳面な大志である。並べ方もきちんと決めているので、勝手に色々あさられると困る。 普段から無愛想な顔を必要以上に憮然とさせたかと思うと、怒りの表情を浮かべた。 「どいつもこいつも入るなり部屋を荒らすなっ。手癖の悪い犬か、お前らはっ」 「ちゃんと元に戻してるじゃん」 亮が揶揄を含めてへらへらと軽く言い返す。手は止めずに部屋を荒す。 「そーだ、そーだ。ちょっとフカフカのベッドで寝てみたいだけだ〜」 調子に乗った宮野が寝たふりをやめて亮に便乗した。 「窓から追い出すぞっ」 言いつつ、宮野の脇腹めがけてかかとを落とす。 「ぐはっ。いたたたた、やめてタイタイ」 「降りろ、アホがっ」 乗せた足でぐりぐりと踏みつける。 「ごめんなさいごめんなさい。ヤメテヤメテ」 大志の仕打ちに謝罪する宮野の横で、石巻は完全に寝たふりを決め込んでいた。 大志が攻撃目標を石巻に切り替えようとした時、また後ろで亮が感嘆の声を発した。 「あ、すげー。ここから旧宅見えるんだ?」 「おい、勝手に……」 「窓くらい開けてもいいじゃん」 「……まあ許す」 荒げた声を抑え、フンと鼻息を吐く。 開けられた窓から少し冷たい風が吹き込み、水色のカーテンと亮の髪を揺らしている。 宮野の体から足をどけ、大志は外を見ている亮の隣りへいった。 「あれが大正だろ?」 亮が人懐こい目を向けて訊いた。 大志の部屋は2階である。右手の庭木の向こう側に白っぽい洋館が見える。 「ああ。ただの古い建物だけどな」 「ふーん……?」 亮が不思議なものを見るように首を少し傾げた。 「どうかしたのか?」 「いやなんとなく見覚えあると思って…」 その建物というより、ここから見る風景自体に見覚えがあるような気がした。 軽い既視感である。ずいぶん昔にこれと似たような光景を見ているのかもしれない。 「見ろよ、リョウリョウ。中庭に天使がいるぞ」 いつのまにかやってきた宮野が、大志の脇から窓の外をのぞきこんで洋館の反対側の庭を指差した。 木の陰になって見にくいところに白色の石像が立っていた。背中に羽根を生やした天使の像である。 「うおー、なにあれ、でけ〜」 「大理石の彫刻なんだってさ」 石巻が亮の横で説明を追加する。 「うわ、2羽もいる」 よく見ると向かい合うようにして羽根を閉じた天使が立っていた。 亮の言葉を聞き、石巻は首を傾げて宮野を見る。 「天使って2羽?」 「2頭じゃね〜の?」 「2匹?」 「1天使2天使とか?」 「なに言ってんだ、お前ら……」 呆れた大志の口調に、宮野は楽しげに含み笑う。 「大志は1頭2頭だな。猛獣だから」 「…………」 大志は無言でポカリと宮野を小突いた。 「あ、イテ。大志がぶった〜」 「手癖が悪いのはどっちだ」 宮野に報告され、石巻が茶々を入れる。 「…うるさい」 少々決まり悪く大志が反論した。手が出てしまうのは、自覚のある悪い癖である。 コホンと咳払いして亮を見ると、まだ興味深げに窓の外を見ていた。 そして、何か発見してパッと顔を輝かせた。 「あ、あの巣箱。なつかし――……?」 その言葉は、途中で困惑に替わる。 自分の感情を疑問に思った。 その瞬間、頭の中に映像が差し込む。 白い洋館の外観。 吹き抜けの玄関ホール。 グレーのじゅうたんがひかれた長い廊下。 薄暗い書斎。 古い木製のキャビネット。 その中に置かれた西洋風の女神像。 一瞬視界が暗転したかと思うと、静寂の中で稲妻が光り、白い閃光が辺りに満ちる。 そして――……、 「おい、亮っ」 耳元で大志の焦った呼び声が聞こえた。 「リョウリョウっ」 「なんだなんだっ!?」 慌てているのは宮野と石巻も同様だ。 「――……」 うっすら目を開ける。 目の前に大志の顔があった。その向こうには天井が見える。 「…………俺、どうした?」 眩しげに目を細め、大志を見上げる。 普段の無表情顔が安堵の息を吐き、怒ったように口を歪めた。 「突然ずるって座り込んだんだよ。驚かすな」 「リョウリョウ、貧血か?」 「えーと……」 宮野に問われ、亮は自分でもわけの分からなかった映像の断片を思い返す。 頭の中に次々と映った景色。神懸り的な予言のようだった。 「ブロンズの女神像……」 「は?」 亮の呟きに、宮野が理解不能の顔を作る。 眉をしかめて亮は謎解きをするようにあごに手を当てた。 「……書斎の棚の中に、ブロンズの女神像が見えた」 「なに言ってんだ、リョウリョウ」 「……なんで知ってんだ?」 「へ?」 宮野の反応とは違い、大志は不思議そうな顔をした。亮はぱちくりとまばたきする。 大志がじっと亮を見つめた。 「旧宅の奥にある書斎のキャビネットの中に昔あったんだよ――女神像が」 「え、マジで?」 言った本人が驚いて訊き返した。大志が頷く。 「ああ。ブロンズの小さいやつだ」 「ギリシャ神話っぽい?」 「…そうだな」 まさかと思いつつ訊いた亮の質問にも頷く。 旧宅の奥にある書斎のキャビネットというのが、さっき見た映像にぴったりくるのにも驚く。 廊下や書斎、あれはきっとあの洋館の内部だ。滅多に客も入らず、ましてや亮が入ったことがあるはずもない建物である。 なぜそんなものを知っているのか、亮自身が不可解だ。 大志も不審げに首を傾げた。 「今はないぜ? あったのはずいぶん前だから」 「…………」 「お前と会うよりずっと前になくなってる」 大志と亮は互いに変な顔で目を見交わした。両人とも、わかが分からない。不審な表情である。 対して宮野は、石巻とキラキラと目を輝かせていた。 「リョウリョウ、すげぇ」 「透視だ、透視」 「違うだろ、マキマキ。過去視だ、これは」 「あ、そうか。今はないんだもんな?」 「なんで分かったんだ、リョウリョウ」 「え、いや、ははははは…」 訊かれても困ってしまう。 「なんか受信したのかな、俺」 「覚醒だ、覚醒」 「特殊能力の目覚めだ」 宮野と石巻はふざけ半分だが、亮は内心真面目に困惑していた。 そして大志は、悪い予感を感じていた。 その少し前、仙子はキョロキョロとあたりを見まわしながら新緑公園の中を探索していた。 その頬は少々紅潮している。少し興奮気味なのである。 「……なんてこと――……。夢の通りだわ……」 歴史的な宝を探し当てた考古学者のような気分だった。 深緑公園に入ってまず驚いたのは、木々の成長具合がまったく夢と同じだったことである。 瞬きを繰り返しながら歩き回り、感動に近いものを覚えていた。 遊具や設備などの古びかたも、何から何まで夢で見た通りである。 「ジャングルジムだって黄色じゃないの。なにが青よ。箱ブランコもなくなってるし、あのベンチも夢で見たまんま……」 驚きを隠せない。 尭己が言っていたジャングルジムの色も仙子の夢のほうが正しい。となると、むしろ困惑した方がいいのかもしれない。 首をひねりつつうろうろし、大きな木の下に辿り着く。 「このへんだったわ、確か」 夢で仙子が立っていた位置である。 深呼吸して木の下に立ち、くるくると回り中を見まわした。 「そうそうこの見え方……」 ぱちぱちとまばたきする。 やはり予想通り、そこから見えるのはさっき見たばかりの景色だった。 「…………」 木が生い茂った外側に水色の網目状のフェンスが見える。 レンガで舗装された小道には所々にベンチが置かれており、周辺の一面は芝生か花壇になっている。 その舗装の歪みかたと、ベンチの色あせかた、芝生の色、花壇の成長度など、細部があまりにも夢と一致していた。 違いといえば、茜色の空が少し薄暗く藍色になっていることくらいだ。 「…………どーなってるの……?」 半ば呆然と口にした。 そして――、 「よお」 急に背後からぽんと肩を叩かれた。 「え…?」 ギクリとして息を吸い込む。緊張で体が硬直してしまう。 暗闇で亡霊にあったような顔でぎしぎしと振りかえる。 「ん? どーした?」 「――高岡くんか……」 安堵してがっくりと肩の力を抜く。 尭己は首を傾げ、仙子の様子に多少戸惑って眉をしかめた。 「なんだよ」 「ものすっ……ごく驚いたわ」 大袈裟に表現して見せ、驚かせるなと不満を顔に乗せて軽くにらむ。 「さっきの夢も後ろからようって肩たたかれて目が覚めたから」 「まさに正夢って?」 「声は全然違ったけどね」 ふぅと再度安堵の息を吐き、思い出すしぐさで首を傾げる。 夢の中で仙子の肩を叩き、声をかけてきた人物。知らない人ではない気がするが、顔を見ていないのでなんとも言えない。 「……どこかで聞いたような声だったんだけど、誰だったかしら……」 「葵さん?」 「違うわ。葵さんなら声で分かるわよ、絶対」 自身をもって言える。葵とは昨日今日の付き合いではないのだ。短い声しか聞かなくても、葵なら分からないはずがない。 そしてはたと気づいた。 「そういえば、葵さんはどーなったの?」 仙子と尭己を一緒に深緑公園に行かせたくないという理由で、嫌々尭己の相手をすることになったはずである。その尭己がここに来たというのが不思議だが、 「コーヒー一杯飲んできたぜ?」 少々つまらなそうに尭己が肩を竦めた。 「やっぱお前がいないと葵さん、冷たいし、にらむし〜」 尭己にはおもしろくないが、やはり仙子がいなくては話もしてくれないのである。 仙子がいても冷たい葵が、仙子がいなくなって突然優しくなったりはしなかった。結局尭己も葵の目から見れば、単なる寄りついてくる小虫の域を出ないわけである。 「ちゃんと俺がいいやつだって葵さんに言っとけよ、芹沢」 やれやれと肩を竦められ、仙子はフンと息を吐いた。 「別に悪い人だって吹き込んだ覚えはないけど」 葵に倣い、冷たい目で長身を見上げる。 「あんたがいつも不純な視線でお月見するからじゃないの?」 「色っぽいからな〜、葵さんは」 皮肉っぽく言った仙子のセリフに、ヘラヘラとニヤケ顔で答えた。 仙子は呆れて横目を向ける。 「……そういうこと言うから嫌われるんでしょ」 尭己のほうも、少し呆れた視線を返してきた。 仙子が眉をひそめると、何か言いたそうにしたがあきらめて首を竦めた。 「ま、それもあるけど他もあるっつーか」 「それ以外にも嫌われる要素があるって自覚してるんだ?」 「俺も大変なんだよ。ヘンな噂をたてられたりと……」 「ヘンな噂? 怖いとか下品とかじゃなくて?」 「…………。それもあるけどもっとヘンな噂だよ」 うんざりした様子で尭己がため息をつく。 おおざっぱで無神経な尭己でも、気になることはあるらしい。わりと深刻に迷惑そうな顔をした。 「聞いたことないけど?」 「俗な噂がお前の耳にまで入るようになったら相当だ。一応みんな芹沢のお嬢様には気を張ってるんだから」 「ふーん、そお?」 気のない返事をしたが、そういう自覚はある。 しかしそれを尭己が察しているとはあまり思っていなかった。 仙子が少々嫌そうな顔をすると、尭己が揶揄するようににやりと笑う。 「世が世ならお姫さまだろ? ずーっとこのへんシメてきた豪族じゃん、芹沢家」 「……あんた、そんなことよく知ってるわりに頭が高いわよね」 一瞬言葉につまり、迷惑そうに尭己をにらんだ。 会った当初からあまりに図々しく仙子に話しかけてくるから、尭己はてっきり芹沢家の権威を知らないものだと思っていた。 「俺、この辺の出身じゃないし〜」 わざとらしくフフンと鼻で笑う。 「打ち首にしてやる」 「姫ったらこわ〜い」 「フン」 顔を逸らし、口を歪めた。 ふと公園を見まわし、北口に目をやる。同じ学校の制服を着ている者はもういなくなっていた。 軽く息をつき、さっき見た顔を思い出す。 「どうせならあと15分くらい早くこればよかったのに。二兎追う者は一兎も得ずってこのことだわ」 ざまみろという感じでにやりと笑って見せると、尭己がきょとんとした。 仙子は得意げに長身を見上げる。 「さっきまであんたの大好きなお花がいたのよ?」 「え、亮くんがっ!?」 尭己は大袈裟に声を出し、こぶしを握って回りじゅうをみまわした。 当然ながら目的の人物をみつけることはできない。 「くそうっ、葵さんにかまけてる場合じゃなかったぜっ」 かなり悔しそうである。 仙子はわざとらしく肩を竦め、涼しい顔で微笑む。 「残念ね、ちょっと前に行っちゃったのよね〜」 「ええいっ。俺のお花〜っ」 「時計屋の息子とかと一緒に」 何気なくあっさり付け加える。 尭己は一瞬責めるような目で仙子を見て、悔しげに唇をかんだ。 亮と並んで歩く大志の姿を思い浮かべてしまったのである。 「大志のヤロー、俺のお花を…」 「知り合いなの? 深田時計店の息子と」 仙子にとっては初耳である。意外な気がして首を傾げた。 尭己はあまり見せたことのない闘志を目に浮かべる。 「ちょっとした知り合いだ」 「ふーん」 尭己と大志の共通点といえば背が高いことくらいに思える。 全然タイプが別なので、仲良くなりそうもない。尭己は流れ者であり、大志は家柄のある家の息子だ。 接点はなさそうなのだが、意外によく知ってそうである。 しかし仙子にはどうでもいいことでもある。 目線をずらしたときに目に入ったジャングルジムの方が気に留まった。 「それよりジャングルジム、黄色じゃない」 尭己の興奮を無視して言う。 「え? あ、ホントだ。確か青だったけどなぁ?」 仙子の視線を追い目に入ったジャングルジムは尭己の記憶と違って黄色だった。 首をひねって考え込むと、仙子は別の方向を指差す。 「箱ブランコのところにベンチもあるでしょ?」 そっちを見ると、確かに箱ブランコがなくなってベンチが置いてあった。 「ふーん」 「さっき私が言った通りなのよ。すごいと思わない?」 4択問題をカンで当てたときのように嬉しそうである。 尭己は特に感動もなく頷いて見せた。 「実際に見てきたみたいにピッタリあたってるのよ。幽体離脱して見てきたみたいだわ、ホントに」 さっきそう尭己に言われたことを思い出した。本当にそんな感じがする。 「意識だけ飛んできたみたい」 そう言うと、尭己は変な顔をして黙り込んだ。 「…………」 「なによ」 「え? いやいや、別に」 仙子に、誤魔化すように笑みを作ってみせた。 気に入らない態度である。 仙子は呆れたため息をつき、くるりと尭己に背を向ける。 「……帰ろ」 「あー、待て待て、芹沢。すごいすごいってば」 ぱちぱちと拍手され、仙子はフンとそっぽを向いた。 「バカにしてるでしょ」 「してないしてない」 ヘラヘラとふざけた調子で否定され、つんとした顔ですたすた歩き出す。 「帰って勉強でもするわよ」 「俺が教えてやろーか?」 「けっこうよ」 仙子はムッとして口を歪めた。隣りに並んできた尭己を横目で冷たく見上げる。 「うちに近づかないほうがいいわよ。獰猛なドーベルマン3匹相手にしたいんだったら好きにすればいいけど」 「げ、犬いんの?」 「うちの者にしかなついてないし、しっかり調教してあるわ。怪しい人物を見たら襲いかかるようにね。あんたなんてかっこうの獲物だわ」 「あやしいから?」 「そうよ」 にっこりと微笑んで見せると、尭己はおもしろがるように口角を上げた。 「そのうち手なずけて侵入してやる」 負けず嫌いなことを言う尭己に、仙子は挑発するような目を向ける。 「手なずけないといけないのは犬だけじゃないのよ?」 「虎でも飼ってんのか?」 尭己の軽口に余裕でクスリと返す。 「各務さん。うちの使用人は葵さんにまで吠えるんだから」 「ほう、葵さんにまで……」 楽しむようににやりと笑った。 あの葵に対抗できる人間に興味を持った。 仙子は尭己の様子には気にとめず、おもしろくなさそうに口を歪めていた。 「でも1匹だけどーも私になつかないのよね…」 「犬が?」 「そうなのよ。どうしてかしら?」 「やっぱり犬にも好みというものがあってだな」 「うちの飼い犬の気持ちがわかるのかしら?」 知ったようなことを言おうとする尭己をジトリとにらむ。 尭己は肩を竦めて言うのをやめた。 「フン。あんたはよそでお月見でもお花見でもしてればいいのよ。いちいち私にかまわないでほしいわ」 「目の保養したいじゃん。お前の顔が好きなんだってば」 「美術館でモナリザでも拝んでれば? あんたの養生になんて付き合ってられないわ」 「モナリザは趣味じゃない。…つか、自分と同系列だと思ってんのか?」 「一緒にしないで」 「……自分で言ったんじゃん」 冷たくされ悲しい声で拗ねて見せるが、さすがにまったく相手にしてもらえなかった。 「さ、帰って明日の予習でもしよーっと」 何度目かの宣言をする。 これ以上ここにいると本格的に暗くなってしまう。 すでに太陽は沈み、道には街灯が灯っている。 「今日の宿題は?」 「やるわよ、それも」 「本当に?」 「疑り深いわね。私だって一応学生なのよ」 「ふーん」 さんざん保健室で授業をサボっているのを見せられていては、まるで説得力がない。 そろそろ先生方も仙子の無精に気づいてほしいものである。 「芹沢が勉強するってんなら俺も明日は朝から学校行こうかな」 「無理無理。入学式にさえ遅刻したくせに」 おもしろそうに笑われ、尭己はフンと勝気ににやけた。 「まあ見てな」 「期待しないで待ってるわ」 「期待しろ」 「じゃあね」 「おう」 皮肉っぽく笑って仙子は尭己に背を向けて歩いていった。 この公園からも見える高台の上にある大きな城のようなお屋敷が、芹沢邸である。 仙子が見えなくなると、尭己はしばらく黙ってそこを見つめていた。 「…………」 今までの仙子の言葉を頭の中で反芻していた。 「まさかとは思ったけどやっぱり……芹沢があのときの――……?」 珍しく難しい顔をし、考え込む。 「お怒りって…そーゆーことか……?」 人が聞いてもまるで意味の分からないことを呟き、日の沈んだ空を見上げた。 雲間に月が見えていた。 芹沢家――…… 仙子の部屋である。だだっ広くて豪華な部屋だ。 白いバルコニー付きの窓にレースのカーテン、天井にはシャンデリア。高級ホテルさながらの雰囲気である。 深緑公園から自宅に帰ってすぐ、仙子はベッドに仰向けに寝転んでぼんやりしていた。 夢で見たものが現実とまるで一緒だったということがやはり気になってしまう。 今思い出して見ると、夢が本当に夢だったのかと思ってしまうほどにリアリティがあった。どっちも現実のような気がする。 ――コンコン。 不意にドアがノックされた。 「はーい」 寝転んだまま返事をする。 顔を見せたのは、きつい目をした美形の青年である。 「あ、各務さん」 各務紅(かがみ こう)。芹沢家の使用人だ。主に仙子の教育が仕事である。 昔から芹沢家に仕える各務家の次男で、昼は普通に大学に通っている。 身のこなしがなめらかで、気配を消すのが特技である。 紅は仙子の怠惰な姿を見て軽くため息をついた。 「仙子さん、帰ってきたらさっさと着替えてください。制服がしわになります」 「はいはい。ちょっとボーっとしてたのよ」 返事しつつも身を起こそうともしない。 紅は戸棚からカップを二つとり、インスタントコーヒーを入れる。部屋の中央にある丸いテーブルの椅子に腰掛けると、チラリと仙子に目を向けた。 「具合でも悪いんですか?」 「夢見が悪いわ」 コーヒーのいい香りがしてきたので身を起こし、テーブルのほうへいく。 椅子に座ると、当然のように紅が入れたコーヒーを一口飲んで息をつく。 「というか、予知夢っぽいのを見たのよね」 「?」 少し楽しむように口角をあげた仙子を紅は怪訝な目つきで見た。 「深緑公園なんてここ数年行ってないのに夢に見たの」 「……深緑公園ですか」 「そうだけど、どうかした?」 嫌いなものを食卓に出されたような顔になった紅に気づき、仙子は小首をかしげた。 「……いえ。あまりいい印象がないので」 「そう?」 「…………」 理由を問うような目で見たが、紅は黙ってコーヒーを飲んでいる。 「ま、いいけど」 深緑公園は自然いっぱいでのびのびした感じのところのはずだ。 あまり行ったことがないのでよく知らないが、それほどいい公園ではないのだろうかと疑問に思ってしまう。 さっきの夕暮れの情景を思い返しながらカップに口をつけると、紅から厳しい視線が送られてきた。 「そんなことより、勉強しなくていいんですか?」 「う……」 紅は言葉に詰まった仙子をあきれ混じりに見つめる。 仙子の父から家庭教師を頼まれているのである。あまり強制はしたくないが、成績の低迷が続くと困る。少しは勉強してもらいたい。 「御当主が嘆いてましたよ? あんまりデキが悪いようなら考えがあるとかおっしゃってましたけど」 「考え?」 仙子は顔をしかめた。あの厳格な父親の考えることがろくなことのはずはない。 家に閉じ込められるとかどこかへ無理やり留学させられるとかを考えたが、紅はさらりと予想以上のことを言う。 「とっとと嫁にやるそうです」 「げ……」 「部下にデキのいいのがいるらしいですから。30過ぎた人ですけど」 「…私15なんだけど…」 思い切り迷惑な顔をしてやるが、紅は平然と仙子の視線を受け流した。 「銀翠苑の跡取り息子の話もしていました。あそこの息子は確かまだ22のはずです」 芹沢家御用達の高級老舗旅館のことである。名のある人物が多く集まるところで、つながっておいて損はない。 しかし、そんなことのために将来を決められたくはない。 「ま、政略結婚なら歳なんて関係ないんでしょうけど」 「あの時代錯誤……っ」 苦々しい気分で顔をしかめる。 キッと紅をにらんだ。 「各務さん」 「なんですか?」 そっけない返事である。仙子は咎めるような窺うような目で紅を見た。 「ちゃんと反対しておいてくれた?」 「……聞いていただけですから。御当主に私の意見なんて言えませんし」 「私が不幸な結婚させられてもいいわけ?」 不機嫌に頬を膨らませ、フンと鼻息を吐く。 紅は小さくため息をついた。 「御当主は仙子さんを不幸にしようと思われてなどいないはずです。それに、使用人の私が口を出すようなことではありません」 「そんなことないわよ。各務さんの言うことなら考慮してくれるわ」 賢い人間が好きな父である。紅のことは相当気に入っているのだ。 仙子のふくれっつらに、紅は少し皮肉っぽく笑んだ。 「それなら藤谷さんに頼んだらどうです?」 「葵さんは関係ないじゃない」 「…………」 急に葵の名を出され、仙子はいぶかしく首をかしげた。 紅にしては珍しくうっかりした失言だったらしく、少々気まずそうな顔をした。 妙に葵に突っかかる、その理由が仙子には疑問である。初対面のときから気が合わなかったのかどうか、今となっては分からない。ずいぶん昔で、仙子も幼かった。 「…………」 黙ってしまった紅の気の強そうな顔に目を向ける。 無関心で冷たい印象を与える葵とは真逆である。仙子にはあまり見せないが、冷静なくせに攻撃的で激しい性格だ。 コーヒーを飲み終えると、仙子はしぶしぶ椅子をたつ。 「ふぅ……。勉強しよ……」 「その前に着替えてください」 叱るような口調である。 仙子は紅の保護者っぷりにむすっとした。 |