Crow the fake sun

「真昼に見る夢」-5



     第五章


「――……」
 室内の空気が凍ったように、4人は身動きできずに固まった。
 ガチャとノブがまわされ、はっとして仙子が呼吸を吹き返す。
 内側から鍵をかけているので戸は開かなかった。
「あ、だ、誰?」
「各務です」
「ちょ、ちょっと待ってて」
 仙子は扉に声をかけ、手振りで室内の3人に指示を送る。
 クロゼットを指差すと、あたふたした動作で静かに急ぐ。
「あわあわ」
「あ、カップも持っていってっ」
 小声で言ってテーブルの上をさす。
 仙子一人しかいないはずの部屋で、紅茶のカップが4つあるのは不自然である。
「わ、わわっ」
「早くしろ、亮」
 音をたてないようにクロゼットを開ける。洋服がいっぱいだったが、なんとか3人入れそうなスペースはぎりぎり空けれそうだった。
 大志が衣類をつめて先に入り込み、亮が続く。最後に尭己が入るのを見て、仙子はざっと部屋中確認した。
「女神像も……っ」
 慌てて椅子の上から女神像をとって尭己に投げ渡す。
 カップとソーサを落しそうになりながらも、右手でどうにかそれを受け取った。
「あぶねー……」
 ふうと一息つき、折れ戸を静かに閉めた。
 カチャ パタン――……
「いくら広くても3人だと狭いな……」
 大志が上下左右を見て呟く。隙間から外の様子はうかがえそうだった。
 隣で亮が身じろいだ。
「くっつくなよ、尭己っ」
「危ないって。カップ落としたら大変だぜ、亮くん」
「だって――」
 口調だけで、尭己がにやけているのが分かる。
 この状況でよくもまあとあきれつつ、大志は亮を引っ張って自分と場所を入れ替えた。
「……お前はこっちにいろ」
「う、うん」
「なんだよ、大志〜。せっかくの暗闇なのに〜」
 ホッとした様子の亮を背中にかばうようにすると、尭己は楽しげに不満の声を発しつつ、大志の体に触れてくる。
「ま、いいや、大志でも」
「触るな、変態…っ」
 ぞっとして身じろぐが、空間が狭いので逃げられない。肘でどつくのでせいいっぱいである。
「し、静かにしろよ、二人とも。聞こえるじゃん、外に音」
 ピンチを助けようと亮が口をはさみ、しかたなさそうにようやく尭己もおとなしくなる。
「…………」
 仙子はなかなか静かにならないクロゼットをにらんでいた。
 中でなにが行われているのか分からないが、早く静かになってもらわないと紅に変に勘ぐられてしまう。
 しんとなったのを確認し、鍵を開けてドアを開いた。
「どうぞ、各務さん」
 何事もなかったような豹変ぶりである。少し眠そうに目をしばたかせる演技までした。
「どうしたんですか?」
 紅が不審げに眉をしかめて入ってきた。
「ちょっと寝てたのよ」
 平然と嘘をつき、気だるそうに首をコキコキさせる。
「誰かいたんですか?」
「そんなわけないじゃない」
「……そうですか」
 仙子の態度はごく自然で平静だったが、紅は疑わしげにうなずいた。
 白い箱をテーブルの上に置く。
「ケーキをいただいたので持ってきたんですけど」
「あ、嬉しい。ありがとう」
「紅茶、淹れなおします」
「いい。私がやるわ」
 仙子は内心焦った。
 寝ていたと言ったのにテーブルの上にはきっちりティーセットが置いてあるのだ。
 落ち着いた口調ながらも、急いでティーポットに手を伸ばす。
 今入っている葉の量は4人分なのである。目ざとく見つけられでもしたら、紅のことなので誰かがいたと見抜かれてしまう。
 しかも、戸棚に入っている食器も3人分足りない。クロゼットの中である。
 仙子は紅をテーブルにつかせ、そそくさと紅の分のカップを取り出して紅茶をいれなおす。
 5客セットのものを使っていたのが幸いした。
「ずっと部屋に閉じ込められてるんだもん、こんなことでも気晴らしになるわ」
「…………」
 憂鬱そうな仙子の台詞に、紅は軽く嘆息した。
 嘘がばれたかと緊張したが、全く別のことを考えたらしい。少し申し訳なさそうな顔をした。
「……仙子さん、もう少し我慢していてください」
「え、ううん。いいのよ。たまには家でのんびりするのも悪くないわ」
 純粋に仙子を気遣ってくれているらしいと思い、仙子は少しだけ罪悪感を感じた。
 クロゼットの中からそのようすをうかがい、尭己がニヤニヤ楽しげにしていた。
 視線は紅の凛々しく秀麗な顔に釘付けである。
「誰だ、あれ? なかなか男前じゃないか。ちょっと冷淡な感じがイイ」
「なに言ってんだよ、尭己……」
 亮があきれた視線を送ったが、暗いので無意味である。
「あれは各務紅。昔から芹沢家に仕えてる家臣の家系なんだ」
 そう言いつつも、思い出せるということが不思議である。本当に自分が芹沢のお嬢様だったのかと思うと妙な気分だ。
「ほう。忠実そうだな」
「俺も昔何度か会ったことがある」
 仙子が深田家に行くときにたまに紅も付き添っていたから、大志とも顔を合わせていた。
 あくまでも仙子のお付きという態度で、大志とはなれなれしく話そうとしなかったはずだ。
 亮は、ぼんやりと仙子だったころのことを思い出していた。
「4つくらい年上だったかな。優しいお兄さんだったんだけど……」
 穏やかで微笑みを絶やさなかったが、10年ぶりに見る紅は隙がなくて厳しいばかりである。雰囲気がずいぶん変化している。
 なんとなく寂しいような気がして嘆息した。
「チェリータルトとモンブランと苺のミルフィーユがありますけど、どれにします?」
「タルト。ミルフィーユは後で食べるわ。モンブランは各務さんが食べて」
 ケーキの行き先をすべて指定し、仙子はカップに紅茶を注いだ。
「私は遠慮します」
「え、各務さん、甘いもの好きでしょ?」
 顔に似合わずケーキ類はよく食べる。特に栗のものを好んでいるが、なぜか首を横に振った。
「仙子さんにといただいたものですし」
「そお? じゃ、冷蔵庫に入れておいて」
 ちらりと箱を見ると、有名菓子店フルフルのロゴが目に入る。
 紅の態度からしても、葵からもらったのだろうと予測したが、なにも言わないので黙っておいた。
 紅は箱からタルトを取り出しながら、うかがうように仙子に目をやった。
「昨日、大志くんと一緒にいたと聞きましたよ?」
「うん。そうよ」
 深緑公園でのことを芹沢から聞いたのだろうと、そっけなくうなずく。
「まだ痛みますか?」
「え? ああ、右手? 全然平気よ」
 すっかり自分でも忘れてしまうくらいで、無意識にかばうようなこともない。
「大志くんの処置がよかったのかしら」
 意図もなくそう言ってタルトに手をつけると、紅がじっと仙子を見て思いがけないことを言った。
「小さい頃仙子さんは大志くんが好きでしたよね」
「…………へ?」
 仙子がパチクリとまばたきするのと同時に、ガチャーンッと派手に陶器の割れる音がした。
「あ…、バカ……」
「…………」
 仙子がタルトを口に運んでいた手を止め音のしたほうを向いた。その視線を追い、紅は鋭い目をクロゼットに向けた。
「……あの中ですね」
「う……」
 仙子は言葉につまって顔をしかめた。
 小さい頃の仙子といえば、今の亮のことである。紅の言葉に動揺してカップを落としたのは亮だった。
 亮の隣にはその大志本人がいるのに、そんな暴露をされてはかなわない。
 仙子が制する間もなく紅はつかつかとクロゼットに歩み寄る。
 バタンッと扉が開けられると、洋服の間で逃げ場のない男3人が身構えていた。
「…………」
 さすがに3人もいると思わなかったらしく、紅は少し驚いて目を見開いた。
 しかもその中に大志もいる。10年ぶりだがすぐに分かった。
「こ、こんにちわ……」
「…………」
 亮が引きつった顔で挨拶をし、隣で大志が額に手をやってあきらめたようにため息をついた。
 紅の好戦的な視線が3人を一瞥する。
 芹沢と親交のある深田家の息子だろうが、仙子のお気に入りだろうが、侵入者は侵入者である。
「なにをしている、お前たち」
「はじめまして〜。その言葉遣いもステキ」
 へらへらと尭己が紅に白々しい笑顔を向けた。
 制服を着崩しただらしない姿に、紅は眉をしかめた。
 身長の高さもあり、金髪の美形で迫力がある。この状況にも動じていないのか、余裕ありげなニヤケ顔をしていた。
 調査報告で写真は見たが、じかに顔を合わせるのは尭己とも亮とも初めてである。特に、これがあの芹沢を警戒させるほどの男かと、まじまじと尭己を見つめた。
 ため息をついてくるりと後ろを振り返る。
「……仙子さん」
「…………お客さまよ、各務さん」
 紅の厳しい視線を受け、仙子は嘆息してから開き直ったようにぶすっとした。
「高岡くん、各務さんは外の者には容赦しないからおとなしくなさいね」
「はいは〜い」
 仙子に返事しつつ、窮屈なクロゼットから出て背筋を伸ばした。
 紅は深くため息をつくと、亮の足元に目を向けた。
 粉々に砕け散ったカップの破片が散乱している。仙子が自ら紅茶を入れると言ったとき少し変だと思ったが、こういう事情があってのことだったのだと分かった。
 亮が破片を拾うために屈もうとしたのを手で制する。
「……怪我はないか?」
「あ、大丈夫です…」
 うなずいて、紅は携帯で後始末のために人を呼んだ。
 亮は居心地悪く立ちつくし、困った顔で黙り込む。紅の秀麗な横顔をじっと見つめた。
 幼い頃、紅にはずいぶん世話になっているのに、紅は亮など知らないのだと思うとなんともいえない。
 記憶を失った家族を思う心境に近いような気がする。
 そうしていると、ガチャンと部屋のドアが開けられた。
「せんちゃん、どうしました?」
 葵が顔を出す。室内を見て目をみはった。
「なっ、なんなんですか、君たちは。なにしてるんですかっ?」
「ちょっとね〜」
 へらへらと尭己が答え、目で同意を求められて仙子はため息をついた。
 紅がいるのに気付き、葵は皮肉っぽく口を開いた。
「各務さんが彼らを入れたんですか?」
「違うが…、藤谷に口を出されるようなことじゃない。うちのことだ」
 紅の鋭い目ににらまれ、ピクリと葵の肩が震える。
「僕も芹沢さんから仙子さんのことを頼まれてるんです」
 紅はフンと鼻息を吐き、剣呑な目を葵に向けた。
「うちの中では俺に一任されている」
「足りないところは僕が補います」
 負けずに葵が言い返すと、気に入らないと顔中にあらわして紅が眉をしかめた。
「万全を考えている。部外者は必要ない」
「僕が部外者なんて、あなただけが思ってることです」
 そう言って、同意を求めるようにちらりと仙子を見る。
「え……?」
 仙子は顔を引きつらせた。この状況で、どっちの味方にもなりたくない。
 困って答えあぐねていると、みかねた尭己がいつものへらへらした態度で二人の間に割って入った。
 おもしろそうなので見物していてもよかったのだが、仙子には恩を売っておきたい。
「まーま、二人とも張り合わない、張り合わない」
 肩をすくめて紅と葵を交互に見やると、当然二人ともににらまれてしまう。
「お前は関係ない。口を挟むな」
「だいたい君はいつもせんちゃんになれなれしすぎるんです」
 口をそろえて非難され、わざとらしく驚き顔を作る。
「おや、仲のいい」
 そう言って、挑発的な目を葵に向ける。
「俺は、葵さんがなんでまたこんなところにいるのか不思議でたまらないけど」
「……なにがです。君は各務さんの味方をするんですか?」
 一瞬黙り込んだ葵の反応を見て、尭己はふふんとわけ知り顔で笑う。
「そういうわけじゃないけど?」
「…………」
 葵は目に警戒を浮かべ、内心苦々しげに尭己を冷たくにらむ。
 尭己はわざととぼけるように肩をすくめ、手に持っていたカップをテーブルの上に置いて女神像を小脇にはさむ。
 困惑を浮かべる仙子に視線を送る。
「そろそろ帰るわ、俺」
「え、帰るの?」
「これ以上ここにいるとお前の親父が出てきそうだ。不法進入で捕まりたくないもん、俺」
「ほう、そうかね」
「げ……」
 芹沢の声がして、仙子が思いきり顔をしかめつつドアのほうにゆっくり目を向けた。
 父が、開けられた入り口によりかかって腕を組み、室内の様子を冷たく見ていた。
「せ、芹沢さん……」
「おや、お父様」
 葵が焦ったように顔を引きつらせ、尭己が楽しげににやにや笑う。
 芹沢はさげすむような目で全員をぐるりと見回した。あきれて嘆息し、室内に一歩入る。
「……なにをしているんだね、君たちは」
「いやいや、芹沢が学校休んだからお見舞いに来ただけっすよ」
「こんな時間にかね? まだ学校も終わっていないだろう」
「う……、まあいいじゃないですか、お父さん」
「…………」
 軽い口調の尭己に嫌悪の視線を送り、芹沢は厳しい目で紅を見た。
「紅くん」
「……はい」
「明日から仙子を学校に行かせる。休ませても家に侵入されたのでは迷惑だ」
「……わかりました」
 紅がしぶしぶうなずくと、次は尭己と大志に目をやる。
「君たちは学校に戻りたまえ。今回だけは不問にするが、二度目はない」
「へーい。もう来ません。帰ろうぜ、亮くん、大志」
「あ、うん」
「…………」
 芹沢にふざけた態度で接する尭己をにらみながら、大志は芹沢家に忍び込んだことを少し後悔していた。
 内実はともかく、芹沢に尭己とお仲間だと思われると思うと落ち込んでしまう。
 そんな大志の心境も知らず、尭己は紅に笑顔を向けた。
「学校まで送ってって、各務さん」
「…………」
 紅が無言で尭己をにらむと、芹沢が口を開いた。
「葵くん、送ってやりなさい」
「え、はい…」
 思わぬ指示に、葵がまばたきする。
「確実に出て行ってもらわないと困る」
「あ、そうですね。行きますよ、3人とも」
 どっちにしろ葵もこれから学校へ行く予定なのである。
 うなずいて3人を促すと、紅が尭己を呼びとめた。
「手に持った物をおいていけ、無礼者」
 ブロンズの女神像に目を向けている。
「え、これ?」
「そうだ」
 うなずかれ、尭己は少し考えた。迷ったが、ちらりと大志を見て口を開く。紅も一瞬だけ大志を見た。
「これ、正当な所有者は俺だぜ?」
「なにを言っている。それは仙子さんの大事な……」
「いいのよ、各務さん。私じゃなくて川名くんの大事なものだから」
 紅の言葉をさえぎり、仙子は少しうんざりしたように肩をすくめた。説明が面倒なのでそれだけ言う。
「な、なんで俺が…っ」
「…………」
 亮が赤い顔で焦ったように反論し、大志が困ったように眉をしかめると、紅は不可解な顔をした。
 尭己は、おもしろくなさそうにぶすっと仙子をにらんでいる。
「せ、せんちゃん〜っっ」
「だってそうでしょ?」
「そ、それは……っ」
 それはそうだと言いかけて、はっとして首を振る。認めてしまうことになってしまう。
 昔のことは昔のこととして、大志を意識すまいとするのだが、そう思い込もうとすればするほど逆にどんどん意識してしまって困る。
 ひとりで慌ててあたふたしている亮を芹沢がじっと見つめる。
「川名くん」
「は、はいっ」
「…………」
 びくついて硬直し、顔を引きつらせて芹沢に目を向けた。
 芹沢は不思議そうに亮を観察し、あごに手をあててふむとうなずいた。
「……なんでもない。またおいで。君とは多少ならず縁があるようだ」
「え? は、はい…」
「んじゃお言葉に甘えてまた来ます」
「君じゃない」
 芹沢が尭己を冷たく見やる。亮に向ける視線とは全く別物である。
 尭己はふふんと鼻で笑った。
「あっそう? 亮くんに目をつけるとはさすがにお目が高いけど、俺もお得なんだけどな〜」
「君は手に余る」
「……ほう」
 尭己は一瞬黙り、挑戦的な目を芹沢に向けた。
「見る目がおありになる。それとも――お調べになった?」
「…………いい加減に帰りたまえ」
 肯定も否定もせず、芹沢はすっと目を眇めて尭己を見た。
 その顔のままちらりと葵を見やる。
「い、行きますよ、ほら」
「フン……。はーい」
「まったく……」
 ぶつぶつ言いながら、葵は3人を促してドアに向かう。
 亮は、このあと色々お小言を食らうであろう仙子に目だけで謝る。
 仙子はしかたなさそうに肩をすくめた。大志は相変わらずの無愛想な顔でそのまま出ていった。
「あ、そういえば自転車で来たんだ、俺たち」
「んじゃ、俺だけ送ってもらうわ」
「…………」
 そう言いながら4人が去ってしまうと、室内には仙子と芹沢と紅の3人が残された。
 沈黙した空気が流れ、仙子は重苦しく密かにため息をつく。
 これから長々と説教されるのかと思うとわずらわしい。しかも、今の仙子はそんなことよりも深い悩みを抱えてしまったのだ。
 もともと自分は芹沢仙子ではないのだ。
 この男の娘でもないような気がしてくる。
 紅が守っている芹沢家の娘でもない。
 そう思うと憂鬱になって来た。この二人と顔を合わせているのもうそ臭いような感じがしてしまう。
「…………」
 おもむろに芹沢が口を開く。その相手は仙子ではなく紅だった。
「紅くん」
「はい」
 芹沢は長いため息をつき、少し考えてから厳しい目で紅を見た。
「改めて……仙子のことは君に任せる」
「……はい」
 紅が心得たように返事すると、芹沢はそしらぬほうを向いている仙子に目を向けた。
「そういうことだ、仙子」
「なにが?」
 フンと反抗的な態度で芹沢を見上げる。
 芹沢は威圧するような目で仙子を見たあと、不機嫌に腕を組む。
「今後、お前のしたことはすべて紅くんの責任だ」
「な、なんでよ。私は私よ。自分のしたことは自分でちゃんとするわよ」
「それができていないから言っている」
「ちゃんとやってるじゃない。言われたことは守ってるわ。この部屋から一歩も外に出てないじゃない。これ以上なにができればいいのよ」
 確かに仙子は部屋から出ていない。尭己たちが勝手にやってきただけである。
 仙子の屁理屈を当然、芹沢はまともに相手にしなかった。
「ろくでもない友人を作るんじゃない」
 そう言われ、むかついて仙子は口を尖らせる。
「高岡くんのこと? なにも知らないくせに変なこと言わないでよ」
「知らないのはお前の方だろう」
「……なんのこと? もしかして本当に調べたの?」
 変な噂や祖母のことなど、尭己の周りは胡散臭いものでいっぱいなのである。
 本当のところを知らずに調べたものだけ見れば、尭己はかなりあやしすぎる男なのだ。
 仙子は答えない芹沢を無視し、紅に責めるような視線を向けた。
「各務さん」
「仙子さん、彼は――」
 紅は否定しなかった。
 軽く絶句し、不信感いっぱいに父親をにらむ。
「……まったく」
 昨日公園で会ったときの尭己の態度が気に入らなかったのは分かるが、調査までさせていたのだ。
 本人はあの態度だし、周りからの評判も悪い。それは尭己のせいなのでどうしようもないが、どうしてもむかついてしまう。
 芹沢も紅も何も分かっていない。
 尭己がいなかったらとっくの昔に芹沢仙子そのものが存在してないのである。
 5歳のあの時点で死んでいたはずなのだ。その後の処置にかなり問題もあるが、とりあえず命の恩人になる。
「フン。恩知らず」
 仙子は言い捨てるとくるりときびすを返した。
「仙子さん…っ」
「放っておきたまえ、紅くん」
「しかし……」
 紅は出ていってしまった仙子と芹沢を見比べた。
「――失礼します」
 芹沢に一礼し、急いで仙子の後を追う。
 かなり怒った足取りで仙子は廊下を突き進んでいた。
「仙子さん」
 いつも冷淡な仙子の激しい様子に紅は少し戸惑いを感じながら声をかけた。
「なによ、各務さんなんて何にも分かってないんだわ」
 振り向きもせずに非難され、紅は不可解だと首を振って表す。
「分かりません。なぜ仙子さんが彼を弁護するのか」
「べ、別に私は……」
 弁護のつもりは毛頭ない。
 一方的な芹沢の態度と、それに無条件に従う紅の無責任さに腹が立つのだ。
「私は常に仙子さんがいいように考えてます。信用してください」
 背中にそう声をかけられ、仙子は足をとめて振り向いた。
「文句を言わず各務さんの言うことを聞けってこと?」
「どう受け取ってもらっても結構です」
「…………」
 無言のまま、仙子は歩くのを再開した。
 あとに続こうとした紅につき離すような視線を向けた。
「少し放っておいて」
「仙子さん……」
 困り顔の紅をおいて、仙子は階段を上っていった。



 亮と大志が学校に着くと、昼休みになっていた。
「おー、どこいってたんだよ、二人とも〜」
 教室に入ると石巻に見つけられ、手を振って手招きされた。隣で宮野が楽しげに含み笑う。
「バカだな〜。愛の逃避行だよ、マキマキ」
「だっ、誰がっっ」
 思わず顔が赤くなり、亮は思いきり否定した。
「おおっ? 過敏な反応」
「リョウリョウ、真っ赤だぞ?」
「う……」
 意識しないでおこうと思うのに、仙子だったときの記憶のせいでどうしても反応してしまう。
 いつもと違う反応に、宮野も石巻もかなり嬉しそうである。
「図星だ図星〜」
「だ〜っっ、違うぅっっ」
 半泣きで顔を押さえる。
「どこでなにしてきたんだよ、このこのっ」
「吐け、吐け〜」
「デートだ、デート〜」
「ち、違うっていってるだろ〜っ」
 自分を落ち着かせようとするが、いちいち二人の言葉に反応するのを抑えられない。
 からかう二人とうなる亮に、大志が冷静なため息をつく。
「…………亮」
「な、なんだよ、大志っ」
 名前を呼ばれただけでドキドキしてしまい、ごまかすように威張ってみせる。しかし顔は見れない。
「ムキになるな……」
「う……」
 自転車の二人乗りで帰ってくるときも、変に意識するなと言われたが、思考はともかく意識がどうにもできない。
 誰かにどうにかして欲しい。
 とにかく、気を落ち着けて冷静にならなくてはと、亮は恐る恐る大志の顔を見た。
 大志は至って普通の態度である。亮だけが、過剰に意識しまくっているらしい。
 落ち着こうと自らに言い聞かせ、大志の無愛想を見習おうと深呼吸する。
 大志の言う通り、ムキになっていてはずっとからかいのネタにされてしまう。
「…………そ、そうだよな」
 冷静にうなずくと、石巻がニタニタ笑った。
「ほうほう、素直〜」
「大志のいうことなら聞くのか、リョウリョウ」
「……だ〜、お前ら〜っっ」
 せっかく少し落ち着いたのに、また顔が紅潮した。
 ムキになって反論してすぐに揶揄されて動揺し、またそれを茶化されている。
「…………放っとこう」
 宮野と石巻は当分この遊びを続けるだろうと、大志はあきらめたようにため息をついた。



 葵の車の助手席で、尭己は女神像をじっと見つめた。
 祈るように胸の前で手を組み、憂いを含んだ目をした灰緑色の古めかしい像である。人の顔ほどの大きさしかない。
 屈折の女神像。
 亮と仙子をこのままにしておいては、なにが起こるかわからない。
 これを使って儀式をするのが正式なやりかただったと記憶しているくらいで、細かいところまで覚えていない。
 どうしたものかとため息をついた。
「なにをしてるんですか、君は」
「なにって……」
 唐突な葵からの質問に、顔をあげた。
 葵は冷たい目で尭己を見ていた。
「早くせんちゃんを返してください」
「…………」
 言葉の意味を考え、尭己は葵の顔を凝視した。
「芹沢を返せって……冥府に?」
「そうです」
 自分から言い出してくるとは予想外である。
 訊いてもとぼけられると思っていた。
「やっぱり、あんた……御使いか」
「そうです。冥府の使者です」
 フッと葵の目が魔性っぽく笑んだ。
「あのとき芹沢を迎えに来てたのは、葵さんか?」
「そうですよ。せんちゃんを連れにきたのに、中身が別人みたいだったので様子を見てたんです」
「10年も?」
「……そうです」
 少し黙り、うなずいた。
「もう限界でしょう。ひずみが大きくなりすぎています。このままだと崩壊しますよ」
「……それって最後の忠告?」
「そうです」
「なるほど」
 そう言ったが、よく考えると葵の言うことは変である。
「芹沢を返せって?」
「そうですよ」
「あのとき葵さんが迎えに来たのは今の亮くんだろ?」
「…そうみたいですね」
 ハンドルを握りながら、そっけなくちらりとだけ尭己に目を向けた。
「どっちでもいいんですよ。このあたりのひずみはひどいことになってますから、縫い直しです」
「頭数だけあわせればいいってことか? だったら勝手につれていけたんじゃねーの?」
「君の術が完了しないうちはあの二人は君の支配下にあるんです。無理に引き剥がすと君にも影響が出ますが、他のものも引きずられるのでダメなんです」
「ほう…。亮くんと芹沢が俺の支配下に……」
 ニヤニヤ嬉しげな顔になるのを葵が横目でにらむ。
「術が不完全なのでフリーズしている状態なだけですよ。君が呼び寄せられたのもそのせいです」
 そう言われ、尭己は深くうなずいた。
 変な噂が消え去るまでこの地に戻るまいとして祖母の国へ行ったのに3年で戻ってきてしまったのは、なんとなく帰らなくてはとなぜか思ってしまったからである。
「運命が3人を引き合わせたってことか」
 意図的ではなかったにしろ、あの10年前のときからずっとつながっていたのだと思うと感慨深いものがある。
「本人以外どうにもできません。ここまでゆがませたのは君の責任です。なんとかしてください」
「なんとかねぇ……。つか、放っとくとどうなるわけ?」
「押し潰されます」
「…………」
 いまいちピンとこない答えである。
 尭己が首をひねると、葵は無表情に口を開いた。
「自然界の摂理です。強制排除されると思います」
「思いますって……」
「自然現象はわれわれにもどうにもできません。お天道様に聞いてくれって感じですね」
「……そすか」
 がっくりきてしまう。
 早急に邪本を見つけ出す必要が出てきた。
 誰かが持っていったとしたら、一人思い当たる人物がいる。勝手に女神像を持ち出して深田家に売り払った者である。
「じーさんめ……」
 尭己は自分でも珍しいと思いながら、行き詰まって憂鬱にため息をつく。
 しばらく二人とも沈黙し、車は学校の駐車場に着いた。
「とにかく――」
 葵が脅しをかけるような目を尭己に向ける。
「君はおとなしくせんちゃんを切り離せばいいんですよ」
「ん?」
「余計なことをするつもりなら、僕が強硬手段に出ます」
「…………」
 本気だという目で尭己を冷たく見た。
「僕の義務ですから」
「……ふ〜ん?」
 余裕ありげに微笑んで見せると、葵は嫌な顔をした。
「君や周りを犠牲にしてもです」
「分かってるよ」
「それとも君が生贄になりますか?」
「俺が?」
 驚いた顔で聞き返した。葵はフンと冷たくうなずく。
「もしかして葵さんって下っ端?」
「な、なんですか唐突に」
 見抜かれてむっとしたようである。フンと強気に顔をそらす。
「ひずみを拡大させてしまったので降格しただけです」
「ふ〜ん?」
 揶揄するようにニヤニヤする尭己を葵は気に入らないという顔でにらんだ。
「誰のせいだと思ってるんですか」
「俺のせいじゃねーじゃん」
「もとはといえば君が余計なことをするからです」
「つか、自主的にとどまってただけだろ? せんちゃ〜んなんて、演技とは思えないね」
「う……」
「ご機嫌とりにフルフルのケーキまで買ってきて。ずいぶん嬉しそうだったな〜、芹沢も」
「当然です。せんちゃんの好みはきっちり把握してるんです」
 葵はなぜかそこにこだわりを見せ、勝ち誇ったようにした。
「せんちゃんはフルーツ系のケーキが好きで、特に食感がサクサクしているものを好むんです。生クリームよりはカスタードのほうがよくて、キャラメルとかココア、抹茶は少し苦手で……」
 偉そうに仙子の好みを語り、はっとして尭己をにらんだ。
「なにを言わせるんですか、君は」
「勝手にしゃべってるんじゃん……」
 コホンと咳払いし、葵はいつもの冷たい顔を作った。
「君が自主的にせんちゃんを切り離すか、僕に無理やり引き剥がさせるか、どちらでも好きなほうを選んでください」
「どっちにしろ結果は同じじゃん」
「後者なら川名くんも引きずられるかもしれませんけど?」
「他に手がないわけじゃない」
 ニッと不敵に笑ってそう告げ、尭己は憮然とした顔の葵を残し、女神像を手に車を降りた。



 放課後である。
 亮はいつも通りに4人で教室を出た。
 宮野と石巻が先に立って歩き、亮と大志があとからついていくのがお定まりである。
 亮はまだ少し緊張しつつ、大志の横に並んでいた。
 生徒玄関を出て校門まで歩いていると、何気なく石巻が口を開く。
「そーいやそろそろテストだな」
「マキマキ〜、嫌なことを思い出させるな」
 渋い顔で石巻をにらんだ宮野は、思いついたようにニッと笑って後ろを振り返った。
「大志んちで勉強でもしようかな〜」
「またかよ……」
 結局そういう結論かと、大志が不機嫌にぶすくれる。
 亮が苦笑いで眉をしかめた。
「いつ行っても勉強なんかしたことないだろ」
「いやだわ、リョウリョウったらそんなホントのこと」
「ミヤのは自分に対するいいわけなのさ〜」
「そうそう。少しでも良心の呵責を軽減しようとする自己防衛機能がそう言わしめるのであってだな……」
「お前がそんなに繊細な神経してるもんか」
 からかい半分に言うと、宮野はニタっとした目つきで亮に視線をむける。
「そんなに大志の部屋に俺たちを入れたくないのか、リョウリョウ」
「だっ、誰がそんなこと……っ」
 思わず顔に血が上る。
「わはははは、すぐ動揺すんなよ、リョウリョウ」
「バレバレじゃん」
「な、なにがバレバレなんだよっ」
「照れるな照れるな」
「君たちの関係はすでに周知の事実っ」
「う〜、お前ら〜……」
 思い切り動揺しまくった赤い顔でムキになってしまい、宮野と石巻は心から楽しそうにはしゃぐ。
 大志だけが、平然としたままスタスタ歩いて行く。
「た、大志もなんか言い返せばいいだろっ」
「いや、別に……」
 そっけない口調だが、宮野たちの言うことに異論ないという風にも受け取れる。
 亮の頬が一段と赤くなり、宮野が威張って腕を組んだ。
「フッフッフ……。ついに認めたね、タイタイくん」
「…………」
 無言で大志のゲンコツが宮野の頭頂部に落ちた。
「あいた。ぶつなよ、タイタイ〜。せっかく二人を盛り上げてやってんのに〜」
「余計なお世話だ」
 無愛想で率直な意見である。
「そ、そーだそーだ」
 背後から亮が援護すると、宮野の頬がぷくっと膨れた。
「む〜、マキマキも言い返してやれぃ」
 いつも宮野に同調して味方するはずの石巻から返事がない。
 一人芝居状態になってしまい、宮野が不満げに石巻にキッと顔をむけると、相方は興奮した面持ちで校門のほうを見ていた。
「それどころじゃないぞ、ミヤ。見ろよ、あれ」
「どうした、マキマキ。……――おおっ!! リョウリョウリョウリョウ」
「なんだよ、もー……。――うわ、百合丘学園っ」
「…………ん?」
 亮の驚いた声につられ、大志も門に目をむける。
 隣町の名門女子高の制服を着た女がお行儀よく立っていた。全国的にも有名な清楚で伝統あるお嬢様学校である。
 肩にかからない程度のさらさらストレートヘアで、凛と姿勢のよいその姿に、下校する者たちの注目が集まっていた。
 誰かを探すようにきょろきょろと周囲を見回し、亮たちのほうに目をとめた。
 先頭でうかがっていた宮野が驚き顔で振り向いた。
「こ、こっち見たぞ?」
「あ、手、振ってる」
 石巻が冷静に観察していると、百合丘学園の女子はニコニコしながらかけ寄ってきた。
「大志く〜ん!」
「…………げ」
 視力があまり良くなく、大志はそれが誰だか分からなかった。しかし声を聞き、目を細めて確認すると、焦ったようにくるりと進路方向を変えた。
「俺は逃げる」
「待て〜い」
 ガシッと宮野の手が大志のブレザーを掴んだ。
「は、離せ、宮野っ」
 おもしろそうな状況で宮野が手を離すわけがなかった。
 巧みに大志の手技足技を素早くかわす。いつも殴られているので大志の攻撃パターンはお見通しだった。こういうときばかり俊敏に動く。
 そうこうしているうちに、百合丘学園の女子がそばまできて笑顔を見せた。
 育ちがよさそうで、それでいて元気はつらつした快活な感じの美少女である。どことなく漂う気品もあり、かなり魅力的だ。
「大志くん、はぁ…。よかった、会えて」
「…………」
 嬉しそうにニコリと笑った美女を見て、亮が片眉をピクリと不機嫌に動かした。ジロリと大志をにらむ。
 大志は焦ったように顔を引きつらせている。
「な、なにしにきたんだ、お前は」
「あ、みなさんはじめまして。私、大志くんのちょっとした知り合いの伊納薫です。いつも大志くんがお世話になってます」
「ちょっとした……」
 ボソリと亮が低い声呟いて、宮野と石巻が感動した顔で大志に目をむけた。
「美人だっ」
「さすがだな、大志」
「ち、違う…っ」
 否定の意を表して首を振る大志に、亮の冷視線が浴びせられる。
「……ふーん」
「り、亮、こいつはだな……」
「別に〜。仲良さそうでいいじゃん?」
「そうなの。小さいころから仲良しなのよ」
 亮が皮肉っぽくつんとして大志をにらむと、薫が無遠慮に口をはさんできた。不機嫌な亮を気にとめることもなく、ニコニコして上機嫌である。
「へー……」
「あ、あの……」
 亮のぶすっとした態度に困り果てたようすで、大志はパクパク口を開いた。
「ぷ……くくく」
「わ、笑うな、宮野っ」
「だって大志のくせにおろおろしてるもん〜」
「いつも偉そうにしてるくせにな〜」
「…………」
 ポカっと大志のこぶしが飛ぶ。
「あいて。だから殴るなよ、すぐに〜」
「うるさい」
 ムスッと眉をしかめ、大志はとりあえず薫を片付けてしまおうと用件を聞く。
「なにしにきたんだ、お前は」
「大志くんに会いにきただけよ〜。なんてね〜」
「…………」
 最悪な冗談だった。
 薫はニコニコして、血の気のひいた大志に笑いかけている。昔から空気の読めない女だったのだ。
 思い出して額に手をあてた。
「……俺、先に帰る」
「え? あ、待て、亮……」
 うつむいてスタスタと早歩きし出した亮を大志が慌てて追う。
「あら、ちょっと大志くん」
「お前はとっとと家に帰れ、アホが」
「え〜っ、遠いところをせっかく来てあげたのに〜?」
「うるさい。だったら家で待ってろ」
 ピクリと亮の肩が揺れる。
「ち、違う……」
 失言に気付いて大志はおろおろ亮に近づく。
「…………」
 亮は一瞬だけ足を止め、スピードをあげて競歩なみの早さで歩き出す。
「誤解だ、亮――」
 逃げる亮を追い、大志も走っていく。
「ちょっと待ってよ、大志くん〜っ」
 察しの悪い薫も、急いで大志の後を追っていった。
 残された宮野と石巻は、顔を見合わせて含み笑った。
「マキマキ、見たか?」
「やっぱ本物だな、アレは。うん」
「俺たちでなんとかとりもってやるか?」
「やめとこう。わりと深刻な状況になりそうだぞ」
「おお、そうか。それは大人な判断だな、マキマキ」
「そうさ。だから大人らしくそっと見守ることにしよう」
「そうしよう」
 ニタリと目を見交わす。
「追うぞ、ミヤっ」
「よっしっ」
「そーっとだ、そーっと。バレないようにするのが大人だぞ」
「おうっ。静かに急ぐのだっ」
 二人が校門を抜けようとしたそのとき、立ちはだかる壁が出現した。
「よお、ミヤマキ」
 金髪にピアスのニヤケ顔が、二人を見下ろして不敵に微笑んでいた。
「――! ……ぐわっ」
「げろげろっ」
「カエルか、お前らは……」
 あきれたため息をつき、ニッと口元に笑みを浮かべる。
「た、高岡尭己っ」
「出た〜、出た〜っっ」
 顔面蒼白で手を取り合い、わーわーわめかれ、尭己はちょっと落ち込んだように肩を落した。
「人をなんだと思ってるんだ、失敬な」
 宮野はおたおたとしながら、いつでも逃げられる体勢をとって身構えた。
「ななな、なんの用だっ」
「別にお前らに用はないんだけど」
 尭己がぽりぽりと後頭部をかくと、宮野は素早く逃亡をはかる。
「で、ではさらばっ」
「ちょっと待て」
「ぐわっ、は、離せぃっ」
 ガシッと襟首をつかまえてひきとめる。
「うわ〜、ミヤ〜」
 石巻がこの世の終わりのような顔であわあわしている。
 相当恐れられているようで、尭己は心の中でなんとなく昔の自分を反省した。嘆息して口をゆがめる。
「落ちつけよ、なにもしねーから」
「……お、落ちつくんだ、ミヤ」
「お、おう……」
 ふぅはぁ深呼吸して気を鎮めるのを待つ。
 二人とも、魔王に捕らえられた村人のような反応である。
 尭己はそれほどこの二人をどうこうしたと思っていないが、常識を超える体験というのはわけの分からない恐怖を植え付けられるものなのである。
 じっと見ている尭己をびくびくしながらうかがっている。
「お、落ち着いたぞ」
 宮野が上目遣いで報告した。
 ウムと偉そうにうなずき、尭己がおもむろに口を開く。
「大志は?」
「えーと、タイタイならリョウリョウを追って……」
「追う?」
 眉をしかめると、宮野と石巻は交互に答える。
「いきなり百合丘学園の美女が大志に会いに来たから」
「リョウリョウが怒ったんだ」
「つーと――」
 状況を考える。
 芹沢家での亮の様子からして、大志を意識しているだろうことは明白だ。なんとなく尭己の気に入らない展開になっているようである。
「痴話喧嘩?」
 率直にそう訊くと、宮野と石巻はさも楽しげにニヤニヤした。
「アレは相当分かりやすい反応だったな、マキマキ」
「そうそう。大志がおろおろするもんだからさらにムカムカきてたよな」
 二人でうなずきながら、突然芝居がかった口調になる。
「この女誰? あなたのなんなの?」
「ちょっとした知り合い? ちょっとした?」
 二人とも亮の役を演じている。
「ちょっとってなんなのよ、説明しなさいよ」
「大志くんがお世話になってます? なんであなたがそんなこと言うの?」
「それは私のセリフだわ。私の大志よ? あなたのものみたいな言い方はよしてくれない?」
「小さいころから仲がいい? 私の知らないところであなたったらこんな美女と……」
「なんで私が知らないの? 会う前にあなたの口から聞いておきたかったわ」
「って感じだよな、リョウリョウの心境としては」
「だな。相手はリョウリョウを相手にしてないし」
「あの美女から見ればリョウリョウは当然、大志のオトモダチだもんな」
「そうそう」
 二人でケラケラ笑い、観客が尭己であることに思い至る。
 無言でじっと見つめられていることに気付き、冷や汗が吹き出る。
「……そ、そんな感じだったんですけど……」
 そう言って、恐る恐る反応を待つ。
 尭己は思案するような無表情でじっと二人を見つめた。
「……ふーん」
 しばし間を開けてしきりにうなずく。
 そのようすを宮野がもみ手でうかがう。
「そいじゃ、あっしらはこれで……」
「うむ。帰っていいぞ」
 許可の返事を聞き、宮野の顔がぱっと晴れる。
「では…っ」
「待て、ミヤ〜」
 ぴゅーっと大急ぎで走り去っていった二人の後姿を見送り、尭己はその場で腕を組んだ。
「…………ふーん」



 この子がいなくなったら……
 なにも残されない……
 せめてこの子を……
 一つだけ――許されるなら……
 どうか……
 救いを――……


 尭己は深緑公園の木の下で、ぼんやり空を見上げた。
 日が沈み、星がちらほら光り出していた。
 数分前にジョギングの中年が走っていったのを最後に、人の気配はない。
 ひとりで考え事をするのにピッタリだと思ったのだが、馴染みがありすぎて余計なことを次々に思い出してしまう。
「…………救いを――か…?」
 フッと笑みがこぼれ、皮肉っぽく口を歪めた。
「同じことしてるのか、俺……」
 腕を組んで木にもたれかかる。
 一人で拗ねたように沈黙し、目を伏せて嘆息した。
「いや……、もうあの時点で……」
 ブツブツと口の中で呟く。
 そもそも祖母から伝授されたものの記憶を引き出そうとしてここへやってきたのに、気が散って仕方がない。
 葵がああ言ったのは、もう猶予がないからだ。
 尭己が自主的に仙子を切り離すか、葵に無理やり引き剥がさせるか。どちらにしろ仙子は消える。
 10年前のあの日にそうなるはずだったのだから、運命といえば運命だ。ただし、今の亮の運命を肩代わりさせることになる。尭己のせいで。
 思い切り息を吸い込んで、体を弛緩させながら吐く。
 やる気なく脱力して時計を見ると、7時過ぎになっていた。ここに来てから2時間近くたっている。
「もうこんな時間か……」
 身を起こし、ため息をつきつつ南口のほうへ歩く。
「……ん?」
 少し離れた街灯の下に、見覚えのある人影が歩いているを見つけた。
「あれ、亮くん……?」
「え?」
 呼ばれて尭己のほうを見た顔は、亮よりも少しだけ幼い。
「ん? 違う……」
 制服姿の亮しか見たことがなかったから、目の前にいる私服姿は違う人間にも見える。
 まじまじと観察していると、軽く迷惑そうに立ち止まり、無愛想に視線を向けられた。
「亮の知り合い?」
 尭己の制服姿が亮の友達にしてはだらしなさすぎると思ったのか、少し警戒した感じである。
「もしかして弟?」
「そうだよ」
「すげー、そっくり……」
「よく言われる」
 感心したようにうなずいた尭己に、少し皮肉っぽく口の端をあげて返した。
 顔はほぼ瓜二つで、作りはかわいく尭己好みである。
「ふむふむ。かわいい顔でこんな時間に一人歩きは危険だ。お兄さんが送ってってやろうじゃないか」
「にやけた顔で近付くなよ、下品だな」
「…………」
 冷淡な評価をもらい、尭己は頬を引きつらせる。
 性格は亮よりも仙子に似ているような気がしてしまう。
 そう思って見ると、中身が仙子に変わったときの亮の顔に見えてくる。
「えーと……名前は?」
「秀」
「秀くん、俺は――」
 怪しくないから家へ連れていけと言おうとしたが、秀は自己中に尭己の言葉をさえぎった。
「……もしかしてあんたが大志?」
「へ? 違うけど、亮くんが大志のことなんか話した?」
「違うんなら別にいい」
 秀はつんとして首を振る。
「なんだなんだ。俺は二人ともと親しいんだぜ?」
 なにかありそうだと思い、尭己は秀のご機嫌をとるようにニコニコする。
「大志とは特に幼馴染だからな。なんでも知ってるぞ?」
「……ホントに?」
「ウソじゃない。右脇腹に犬にかまれた傷痕があることも知ってる」
 食いついてきた秀に、大志に詳しいことをアピールしたが、逆に冷たい目で見られた。
「そんなの……、俺が知ってるわけないから真偽の程は確かめられないじゃん。あんたみたいなのに聞こうとした俺がバカだったよ」
 舌打ちし、秀はスタスタ歩き出した。
「じゃーな」
「……生意気な弟だ。兄弟とは思えん」
「よく言われる」
 秀はぴたりと足を止め、振り返ってふふんとひねくれた笑みを見せた。
「なんであの両親から亮みたいに素直で単純な子が生まれたのかたまに不思議になるよ。俺でも」
「…………」
 それについては、言葉を失ってしまう。実は別人だからだとは言えない。
 本当の川名亮たる人物はひねくれた怠け者なのである。仙子の顔を思い浮かべつつ苦笑した。
 秀は少し神妙な顔で尭己を見た。
「……なあ、大志って人、生きてるんだろ?」
「は? なんで大志が死ぬんだよ」
「別に」
 そっけなく言ってから、ニコリと笑みを向ける。
「んじゃ、さいならー」
「あ、おい待て、送ってってやるってば」
「いらねーよ」
「亮くんの右腕手当てしたの俺だぜ?」
「…………」
 シッシと手で追い払われてしまい、仕方がないので切り札を出す。
 予定通り、秀はうかがうように尭己を見つめた。
「あいつ、なんであんなとこ怪我したんだ? 聞いても笑ってごまかすし」
「それは言えない」
 左右に首を振ると、秀の冷たい視線が突き刺さる。
「…………じゃーな」
「おーい……」
 早足になったのを慌てて追いかけると、迷惑そうににらまれた。
「なんなんだ、お前。しつこいな」
「俺はだね、秀くん。亮くんを心配してるんだよ。最近悩みがあるみたいだから」
「最近でもないけど。時々ボーっとしてなんか考えてたりしてるよ、昔っから」
「ふーん?」
「でも今日は特に変だったんだよな」
「変とは?」
「…………」
 何気なさを装って質問したが、秀に眉をひそめられた。
「なんでお前に話さないといけないんだよ」
「大志となんか関係あるんだろ?」
「別にー」
 秀はつーんとそっぽを向くが、ただひねくれているだけでもなかった。
「つーか、亮が言ってねーのに俺から言うわけにいかねーじゃん」
「ふむ……」
 尭己は感心したようにうなずく。
 言われてみればもっともだ。ニコニコと笑みを向ける。
「君はお兄さん思いだね〜、なかなかイイ」
「とか言いながらついてくるなよ、しぶといな」
 発言はともかく、表情的には少しだけ気を許しているようだった。
 口角をあげて肩をすくめる。
「……ったく、しゃーねーな。そんなに聞きたきゃうちで本人に聞け」
「イイねー、君は、素直で」
 そう言いつつ秀の横に並ぶと、ムスッと少し照れたようにした。
「…………どーゆー感覚してんだか。素直なんてのは亮みたいなやつのことを言うんだよ」
 ちらりと尭己を見上げ、フンと顔をそらす。
 かわいいしぐさに内心興奮しつつ、尭己は秀について川名家へ向かった。


「……はぁ……」
 亮は自室のベッドに部屋着で寝転がっていた。
 薄緑色の枕に顔をうずめ、憂鬱にため息をつく。
「なんだよ、あの女……。突然ひょっこり現れやがって……」
 憎らしげに百合丘学園の美女の無邪気な顔を思い出す。
「…………大志め〜……」
 なぜか大志に怒りつつ、そんな自分に困惑する。
 一度思い出してしまうと、仙子だったときの記憶が離れない。しかもほとんど大志と遊んだ思い出だ。
 楽しく旧宅を冒険したり、庭でかくれんぼをしたり、巣箱を作って鳥を集めたり……。
 大志に会うのが唯一楽しくて、父が深田家に行くときはいつも連れていってとせがんでいた。
 そのときはあんな女はいなかったのにと、悲しいような気持ちになってしまう。
 そう思ってしまうのを抑えられず、苛立って髪をかき乱す。
「あ〜……もうっっ」
 枕に顔をなすりつけていると、カチャリとドアが開けられた。
「ただいまー。なに一人で身悶えてんだよ、気色悪い」
「あ、おかえり、秀――って、げ……」
 冷たいセリフに作り笑いで顔をあげると、秀の後ろに予想外の顔を見つけた。
「こんばんわ〜」
 ニヤニヤと尭己が秀に招かれて部屋に入ってくる。
 亮はぱっと体を起こして身構えた。
「な、なんで……」
「そこの新緑公園で亮に間違えられたからつれてきた」
 そっけない返事を返され、嘆きの顔で額に手をやる。
「秀〜、とんでもないもの拾ってくるなよ……」
「だって亮落ち込んでるからちょうどいいおもちゃになると思って」
 秀が月末で貧乏にもかかわらずわざわざゲーセンまでゲームをしにいったのは、帰ってきた亮が落ち込んでいることを気遣って一人にしてくれたからなのだ。それはありがたかったが、尭己をつれてくるというのはいただけない。
「落ち込みの最たる原因はこいつだぞ」
 ため息をつきつつ尭己を指差す。秀がフフンと微笑んだ。
「あ、そうなんだ。大志とかいうんじゃなくて?」
「た、大志は……」
 かぁっと頬が上気する。
 自分でもうわっと思い、二人から顔をそむける。
「……ほう、なるほど」
「…………」
 尭己がにやけて秀に目配せし、秀は肩を竦めて見せた。
 肩を叩いて尭己をドア付近に座らせると、自分は廊下に出る。
「メシ食ってくだろ? 俺、母さんに言ってくる」
「あ、嬉しいお誘い。気が利くね〜、君は」
「ここに来るまで、一人暮しで食が貧しいとかさんざん言い聞かせられたからな」
 フンと鼻息を残し、戸を閉めてあっさりと去っていく。
 二人で残され、亮が憮然として尭己に目を向けた。
 どうやって秀にとりいったのか疑念を持った。
「…………」
「イイ弟だね〜」
 ニコニコと弟を誉められ、亮はあきらめたようにため息をついた。
「……あんまり変なこと吹き込むなよ? ああ見えて根は繊細なんだから」
「うん。芹沢と似てるな」
「…………そうか」
 思いがけない指摘に、亮は初めてそれに思い至った。
 昔から全然性格が違うと思っていたが、そのせいだったのだと気付く。
「顔は亮くんにそっくりだ。棘のあるお花……いや、毒のあるお花かな」
「……なんでもいいよ」
 すでに秀の口の悪さまで知り得ているらしいと、なんとなく顔をしかめる。
 あっさり弟と仲良くなってしまったのが少し気に入らないのである。理由は亮を心配する弟心なのだが。
「それより、なにしにきたんだよ」
 少し口を尖らせて訊くと、尭己はフンとわけ知り顔になった。
「いやね、秀くんがやたらと大志を気にしてたから」
「う……」
「……大志となんかあった?」
「べ、別に……」
「…………」
 赤くなった顔を隠すようにそむけると、尭己が疑わしくジトリと見つめてくる。
 ごまかせない気がして、亮は渋々口を開く。
「……ケンカした。つーか、一方的にやつあたりした」
「原因は?」
「…………」
 黙りこんでしまう。
 変な女が大志になれなれしかったのが気に食わなかったとは、自分の口から言いたくない。
「ふむ……」
 尭己が腕を組んでうなずく。
 トントン階段を上がってくる足音が聞こえ、すぐに秀が顔を出した。
「亮〜、ゴハンまだだから先に風呂入れってさ」
 亮にそう言ってから、ちらりと尭己を見下ろす。
「ついでに尭己の話したら泊まっていけばって言ってたぞ。高校生で一人暮しなんて大変だろうってさ」
「え、亮くんと一緒に風呂入っていいの?」
 ぱっと顔を輝かせた尭己に、秀が冷視線を送る。
「そんなこと言ってねーよ、変態」
「ちっ」
「アホ……」
 悔しそうにした尭己に、亮があきれたため息を送る。
 秀は床に座った尭己の背中に足をのせた。
「お前は俺とゲーム。亮は風呂」
「え〜。……ま、いいけど」
 踏まれて前屈をしつつ、尭己は背後の秀に挑戦的な目を向けた。
「そんじゃ、お兄さんがいっちょ相手してやろう」
「フン。俺の相手になるかな?」
「叩きのめしてやれ、秀」
 不遜に言い放つ秀に亮が声援を送ると、尭己も自信ありげにフフンと笑った。
「やれるもんならやってみな」
「秀に勝てるやつなんてそのへんにいないんだぜ?」
 亮に勝ち誇ったように言われ、尭己は思いついてニヤリとした。
「じゃ、俺が勝ったら亮くんと添い寝」
「げ……」
「よっしゃっ、燃えるぜっ」
 顔をひきつらせる亮を無視し、秀が目をキランとさせてこぶしを握る。俄然張り切っている。
「お、おい、秀っ」
「まかせろ亮、俺が勝ったらこいつに部屋の掃除させてやる」
 秀は勝負師の顔でニヤリとした。
 カーテンを隔てた向こう側、秀の区域はごちゃごちゃだが、亮の生活スペースは整然と綺麗にしてある。
「……俺のとこはきれいなんだけど」
「俺のとこに決まってんじゃん」
「で、負けたら俺が添い寝?」
 ぶすっとした亮ににらまれ、秀はおもしろくなさそうに眉根を寄せた。
「……ケチ。じゃ、俺」
 そう言って尭己をうかがうように目を向ける。
「よし! 秀くんと添い寝」
 舞い上がった尭己に亮が慌てて腰を浮かす。
「待てっ。かわいい弟を餌食にできるかっ」
「じゃ、亮くんと添い寝」
「嫌」
 フンと亮に顔をそらされ、尭己はちらりと秀に目を向けた。
「じゃ、ゲームしない」
「え〜っ! いいよ、負けたら俺と添い寝っ。亮は黙ってろ」
 今度は秀が慌てた。
 ゲーム大好き少年としては、ゲームの相手をしてくれないのが一番こたえる。
 しかし亮は絶対にゆずらないという顔をした。
「だ〜め〜だっ」
「絶対勝つからさ〜。俺の腕前知ってんだろ?」
「うーん……」
 秀の懇願の目を受け、亮は少しだけ迷った。秀のゲームの強さは知っている。
「尭己は底知れないもんがあるからな。なにをやるか分からないんだけど……」
「勝つ勝つ勝つってば」
 ねだるように亮にすがる。
 かわいい弟のお願いに、亮は腕組みして考え込んだ。
「うーん、しゃーねーな。じゃ、秀の得意なリアルファイターで」
「よっしゃっ、それで勝負だっ」
 秀がぱっと尭己に顔を向ける。尭己はニッと笑みを見せた。
「オッケー」
「いくぞ、尭己!」
「おっし」
 立ち上がった尭己の背中を押し、秀はベッドの上の亮を振り返る。
「亮はとっとと風呂入れ」
 嬉しげな顔のままそう言い残し、トタトタ階段をかけ降りていった。
「……やっぱ不安だ」
 余裕ありげな尭己の笑みが不気味である。
 少し添い寝の恐怖を感じつつ風呂へ向かった。


「ふー、さっぱりした」
 風呂からあがり、バスタオルを頭からかぶったまま居間へいく。
 テレビの前にゲーム機があり、尭己と秀があぐらをかいている。画面にはエンディングが流れていた。
「まだゲームしてんのか? いい加減にしとけよ?」
 秀も尭己も、亮の声が聞こえていないはずはないのに身動きせず画面に見入っている。
「もう勝負ついたんだろ?」
 頭をばさばさと拭きながら近づいていくと、秀がごまかし笑いで亮を振り返った。
「…………ごめーん、亮」
「………………え!」
 思わず顔を引きつらせた亮に、秀はいたずらっぽく笑ってみせた。
「なんてな」
「つ、強過ぎる……」
 パタンと、固まっていた尭己が横に倒れこむ。
 秀が得意げに鼻息を吐いた。
「フッ、俺の相手じゃねーよ」
「はー、びっくりした」
 亮はホッとして息を吐く。
 これで本当に負けていたら亮が添い寝の相手をさせられるのだから、まさかと思っていただけに、秀のいたずらはタチが悪い。
 尭己は悔しそうに奥歯を噛む。
「詐欺だ〜。なんでこんなに強いんだよ、秀くん」
「フッ、これを見ろ」
「……なんだこの雑誌」
 秀から投げ渡された雑誌を尭己が拾うと、亮がぺらぺらとページをめくって指し示す。
「えーと、リアルファイター全国大会優勝木下省吾くん――て、なにこれ?」
「俺の友達」
 きょとんとした尭己にそっけなく秀が告げ、亮が補足する。
「木下も秀には勝てないんだぜ?」
「う……。じゃあ、俺が勝てるわけ絶対ねーじゃん」
 日本一より格上の秀に、普通よりはそこそこ強いくらいの尭己がかなうはずもなかったのだ。
「フン、いまさら分かったか。ま、そこそこの手応えはあったけどな」
 秀は威張って不遜な笑みを浮かべる。
「騙したな〜、この試合無効だ〜」
「なに言ってんだ、ハンデまでやっただろ? それとももう一回やってみる?」
 悔しげな尭己を秀が強気に揶揄する。
 どうあってもこれまでのゲーム内容からいって勝てるわけがない。
 うなる尭己に哀れむ視線を向け、亮はポチンとスイッチを切った。
「はいはい、おしまい。先にメシ食おうぜ」
「はーい」
 秀は素直に従い、満足げに立ち上がる。
「う〜、納得いかーん」
 あきらめきれないようすで尭己が雑誌をにらむ。
「いいじゃん、メシメシ。カレーだってさ。食おうぜ」
「……んじゃ、お言葉に甘えて」
 秀に腕を引っ張られ、尭己も食卓に向かった。


 食事が終わると、居間で少しくつろいだあと尭己は帰宅の意を示した。
「え、帰んの?」
「そう。ゲーム負けたし」
 いつものへらへらした態度で肩をすくめる。
 ソファにもたれかかるようにして床に腰をおろして足を出し、横に秀がうつぶせに寝転がってゲームの雑誌を読んでいた。
 秀は顔をあげて少しつまらなそうにした。
「いいじゃん。添い寝はなしだけど泊まってけば」
「それはそれでつらいもんがある」
「せっかく亮より歯ごたえある相手なのに」
「また今度遊んであげよう、秀くん」
「遊んで、遊んでー」
 そう言って秀は尭己の足元にごろごろと転がり込む。
「コラ、秀。あんまりなつくんじゃない」
 ソファの上から亮が秀の肩を蹴る。
「いーじゃん」
「ダメ。こいつは危険人物だから」
「む〜……」
 むすーっとした顔で体を起こし、ニヤニヤしている尭己に目を向ける。
 秀から見ると、尭己は亮とは種類の違う兄貴分である。亮と同学年なのだが、大人っぽくて体格もよく頼りがいもありそうで、ゲームもそれなりに強い。
 相当気にいってしまっていた。
 しかし、尭己は立ち上がって軽く手を振った。
「じゃな、秀くん」
「え〜、ホントに帰んのかよ、つまんねーの」
 秀が口を尖らせたが、尭己は亮と一緒に玄関に向かう。
 それを追って秀も玄関へ行った。
「添い寝してやってもいいぜ?」
「ゲームさえうまけりゃなんでもオッケーなのか、お前は」
「うん」
「素直にうなずくな、バカ」
 亮に小突かれ、フンと鼻息を吐いた。
「ま、いいや、今度は亮のいないときに来いよ、尭己」
「そうさせてもらおう」
「ダメだって……」
 亮が苦笑してうなだれると、秀はしかたなそうに肩をすくめた。
「じゃーな。もっと練習しとけよ」
「聞いた? 亮くん」
 秀の言葉を聞き、尭己がぷぷっと嬉しそうに亮に笑みを向けた。
「もっと練習しとけってことは、早く添い寝がしたいわっていうお誘いだよな? 今後ともよろしく、お兄さん」
「違うだろっ」
「バーカ」
「う、ひどいわ、二人とも」
 二人からの攻撃を受け、わざとらしく身をすくめる。
「じゃーな、二人とも。お母さまにカレーごちそうさまって言っといて」
 満足そうな顔でそう言い残し、尭己は川名家を去って行った。
 玄関のドアが閉まるのを秀は残念そうな目で見ていた。
「ったくなにしにきたんだか……」
 ため息をついた亮に、秀が肩を竦めて見せた。
「亮を心配してくれたんだろ?」
「……たぶん下心がある」
「そんなもんはじめっから見え見えじゃん。つか、隠してないし。根はいいやつそうじゃん?」
 秀の口調はいつもそっけないが、素直にそのまま思ったことを口にする。
 亮はしかたなく靴を履いた。
「ちょっと出てくる」
「いってらっしゃーい」
 笑顔で秀に見送られ、亮は上着を羽織って外に出る。
 道路をのぞきこむと、尭己が亮に気付いて振り返った。
「どお?」
「え?」
「いや、やっぱ心配だし」
 唐突だが、結局はその話がしたかったのである。
 亮の方もずっと考えていたので、尭己の聞きたいことはすぐに分かった。
「どんな感じ?」
「うーん……」
 亮はぼんやりと芹沢家を思い出す。
 ずっと昔にあの屋敷に住んでいたことがあるし、クッキーは亮が5歳までの仙子だと分かっていた。
 あのときははっきりと思い出したのに、今思うと信じられない。
 夢を見ている気がしてきて、深くため息をついた。
 芹沢や紅ともあそこで一緒に過ごしていたはずだったが、やはり秀のほうを家族と思う。
「前世を思い出した人みたいな気分だよ。今の自分に関係あるようなないような……」
「戻りたいとか思ったりする?」
「え?」
 考えてもみなかったことを言われ、目を見開く。
「俺がせんちゃんになるってこと?」
 尭己は軽くうなずき、多少残念そうな顔で肩をすくめた。
「大志のこととかあるし」
「べべ、別に……。急に思い出したから混乱してるだけで……」
「そお?」
「へ、変なこと言うなよ」
「…………」
 不意に真面目な目で亮を見つめ、尭己はフッと口元に笑みを作る。
 制服の胸ポケットをゴソゴソあさり、くしゃくしゃになったハンカチの下からコルクでふたをした小さなビンを取り出す。中には鉄が錆びたような茶色っぽい粉と細い枯れ枝が2本入っていた。
「これ持ってて」
「なんだこれ?」
 受け取って、街灯にかざして見る。枯れた葉っぱの欠片っぽいものも混ざっているようだった。
「枕もとに置くか、枕の下に入れて寝て」
「いいけど……」
 何の意味があるのか問うように見上げるが、尭己はニッと笑って手を振るだけだった。
「じゃーな」
「え、うん。じゃ」
 スタスタ歩き出した尭己に、亮も軽く手をあげて応じる。
「また明日」
 そう言って、金髪の巨体は闇夜に姿を消した。



「…………」
 大志は、自室に入った途端、顔を引きつらせることになった。
 窓枠に座った金髪の男が、なにか企むような白々しい笑顔でニコニコと大志を待ち構えていたのだ。
「お食事は済んだようで」
 足を組み替えて優雅に微笑まれ、大志はうんざりして目をつむった。後ろ手にドアを閉める。
「……お前は窓から人んちに侵入するのが趣味なのか?」
「いいじゃん」
「よくない」
 即座に反論すると、尭己は自分は悪くないと言いたげに肩をすくめた。
「だって夜更けに正面から訪ねてったって入れてくれないだろ?」
「当たり前だ。うちの使用人は夜更けに許可なくあやしい人間を家に入れるようなことはしない」
「だろ?」
 勝ち誇ったように言われ、大志は頭が痛くなってきた。
 昨日の夜も窓から、昼は芹沢家に窓から、そして今またこの部屋に窓から。
 大志は顔を目いっぱい不機嫌にしかめて尭己をにらむ。
「だからって窓から入ってくるな。どうせ明日学校で会うんだ」
「それよりのど乾いたんだけど」
 窓の外に半分顔を出しているので風で髪が顔にかかる。それを邪魔そうにかきあげながら、図々しく大志の右手に持ったコップを指差す。
「…………」
 嘆息しつつ無言で差し出すと、尭己はゴクゴクと半分ほど飲み下す。
 手の甲で口元をぬぐいつつ、つまらなそうな顔をした。
「ただの水かよ」
「…………」
 不満を言われたが、大志の知ったことではない。ムスッとにらむと、尭己はニッと笑みを返した。
 窓から冷たい風が入ってくる。
 晴天の新月で星を観測するにはピッタリだが、大志にそんな趣味はないのでできれば窓を閉めたい。
 なにをしにきたのか知らないが、尭己には窓枠に腰掛けていないで、出ていくか入ってしまうかどっちかにして欲しい。
「…………」
 迷惑な目で見ると、尭己はニヤケ顔のまま黙って大志を見ていた。
「……で? なんの用だ?」
 しかたなく大志のほうから訊いてやる。尭己はニマっと口に笑みを浮かべた。
「用がないと来ちゃいけないのかしら?」
「当然だ。ここはお前の保養施設じゃない」
「へいへい。ったく、つまんねーの。ちょっとくらい優しくしてくれたっていいじゃん」
「部屋に入れただろうが」
「まだ入ってねーよ」
 ひらひらと足をばたつかせ、着地していないとアピールする。見ると土足のままだった。
 ムッとしてにらむ。
「脱げよ」
「服?」
「靴だっ」
 ぴらっとブレザーの肩をはだけて見せられ、大志はいらついて声を荒げた。
 尭己は楽しげにほくそえむ。
「今日はいつも以上に機嫌悪いんじゃねー?」
「……いつも通りだ」
「そお? 亮くんとケンカしてイラついてるんじゃねーの?」
「…………」
 あらぬ方向を見たまま黙りこんでしまう。
 なにもかも見通されているようでムカつく。
 ジロリと不機嫌に凄みを利かせてにらむが、尭己はヘラヘラした態度を崩さない。
「ま、いいや。帰ろ」
「は? 帰る?」
「帰ってほしくないのか?」
 そう訊ねられ、思いきりしかめ面を作った。
 大志の見るところ、尭己は窓に座って水を飲んだだけである。首をかしげて口をゆがめた。
「……なにしにきたんだ?」
「保養に」
「…………」
 そっけなく答えられたが、その目的が謎である。
 亮や仙子ならともかく、大志の顔を見て水を飲むことが保養になるとは思えない。
 不審な目でにらむと、尭己はフンとおもしろくなさそうに鼻息を吐いた。
「泊めてっていっても泊めてくれねーんだろ?」
「当たり前だ」
「んじゃ、帰るよ」
「…………」
 あっさりと去っていこうとしたのを無言で見つめる。
 本当になんなのかと疑問に思ってしまう。
 大志が困惑していると、尭己は器用に窓枠の上で体の向きを変えた。そして、外に足を出した格好でくるっと首を振り向ける。
「なんてな〜」
 子供がいたずらを楽しむような顔でにやけている。本当は帰る気などなかったらしい。
「……なんなんだよ、お前」
 がっくり肩を落とす。昨日からショック続きで精神的にまいっているのに、ふざけるのもたいがいにしてもらいたい。
 大志が怒りの表情でこめかみを押さえると、尭己は少し真面目な顔をした。
「またちょっと俺のアシスタントしねー?」
「……邪本探しか?」
 神妙に訊ねるが、尭己は興味をなくしたように首を振った。
「いや、アレはいいんだ。それより、今度はお前向きなことを手伝ってもらおうと思って」
 眉をひそめる大志に、尭己はニコリと慇懃無礼な笑みを見せる。
「力技」
 確かに大志は地味にちまちまと本棚の右から左へ辿っていくより、ケリで本棚を倒すようなことのほうが得意だ。
「しかも手加減なし。楽しそうだろ?」
「…………」
 なんとなく予想はしていた。大志は軽く息をついてうなずく。
「なにをやるんだ?」
「ちょっと痛い目見るかもしれねーけど、平気だよな、お前なら」
 尭己はそう言って口元を不敵ににやつかせた。



 仙子はベッドに寝転がり、目を閉じたままため息をついた。足を床につき、座って後ろに倒れこんだ格好である。
 尭己の今日の告白は、ここ数日の精神的ショックの集大成だ。
 10年間、仙子は自分を芹沢仙子だと信じ込んでいたが、すべては偽りだったのである。
 自分が川名亮として生きている姿など想像もできないくらい、仙子は仙子なのだ。仙子でしかない。
 それが覆され、どうしようもなく憂鬱になっていた。
 特に紅のことを思うと申し訳ないような気になってくる。
 紅は真剣に芹沢家の娘に忠実なのに、その娘は実は偽者なのだ。騙している気がする。
「本物を返したほうがいいのかしら……」
 亮の顔を思い浮かべ、自嘲気味に苦笑した。
「いまさらか……」
 無意味な思いつきである。今の紅にとって今の仙子が芹沢家の娘なのだ。
 不意にカタンと窓の開くような音がした。
 目を開けて窓のほうに視線を向けると、白いレースのカーテンがひらひらとなびいていた。
 外から風が入ってきている。
 白い格子のガラス窓が、不自然にゆるゆると内側に開いていくのが見えた。
「…………」
 仙子は黙ってそれを見つめる。昼に似たようなことがあったばかりだ。
「高岡くん?」
 迷惑な感じで声をかける。昼ならともかく、こんな夜更けに勝手に人の部屋へ忍び込むような真似はよしてほしい。
 ため息をつきつつ、ベッドを立ち上がって窓に近づく。
 まったくの無警戒だった。
 白いカーテンの間から白い手がにょきっと出る。尭己の手より小さいサイズで、白く細い腕である。
「……あれ?」
 首を傾げたとき、急に強い風が吹き込んできて思わず目を閉じる。
 バサッと鳥の羽ばたくような音が聞こえた。
 目を開けて窓を見ると、背中から白い羽を広げた葵の姿があった。
 目を見開いて唖然と見つめる。
 保健室で見るいつもの白衣ではなく、白い布を無造作に何重にも羽織ったような格好だった。
 後ろに見えている白い羽は、葵の背中から生えているように見える。
 目を釘付けにして、パチクリとまばたきした。
「……なにその格好」
「時間切れです」
 不審げな口調の仙子の言葉には答えず、嘆息混じりにそう言った。
 バサッと白い羽が葵の背中で羽ばたく。
 引きつりながらも冗談めかした笑みを作り、仙子はその羽を指差す。
「なにそれ? 天使みたい」
「そうですね」
「…………」
 仙子の表現に苦言を呈するでもなく、葵はまっすぐに見つめてくる。
 仙子は上目遣いで、白い服の葵に目をやった。
 日頃から、この世のものとは思えない雰囲気をかもし出していたが、ずるずるの白い服を着た葵はまさに天からの使いである。
 背中に白い羽まで生えていては、他のものに見ようとするほうが難しい。
 尭己から聞いた話を思い出し、仙子は顔を引きつらせてゴクリと唾を飲む。
 仙子は恐る恐る葵の動向をうかがっている。じりじりと後ずさりするような格好だったが、葵はその手を強引に取った。
「さ、行きましょうか」
「……行くって、どこへかしら?」
 内心理解しつつも、とぼけて訊いてみる。
 歯医者につれていかれる幼児のように腰が引けた無様な格好の仙子を見つめ、葵はフッと微笑をもらした。
「決まってます。黄泉への旅路ですよ、せんちゃん」
「行きたくないわ」
「残念ながらそれはきけません」
 ぶんぶん首を横に振ったが、葵は仙子の手首をぐいっと引き寄せる。
「……私の意志は?」
「運命に意志は介在しませんよ」
 葵はニコリと笑みを向け、すっぱりと言いきった。
 仙子は焦りながら、部屋の戸をみる。誰か来てくれないかと思ったとき、ちょうどよくノックの音が聞こえた。
「――……」
 慌てるでもなく、葵がドアに顔を向ける。
「仙子さん、入りますよ」
 紅の声がそう言って、カチャリとドアが開かれた。
 伏せ目がちに室内に入り、ゆっくりと視線をあげる。
 白い衣装の葵と葵に手を引かれて腰が引けている仙子を見て目をみはり、表情が固まった。
 唖然とした顔が、徐々に不審げにしかめられる。
 室内に入って後ろ手にドアを閉めると、眉間にしわを寄せて葵と仙子を見比べた。
 仙子が訴えるような目で紅を見やる。
「……何事ですか、これは?」
「部外者は引っ込んでいてください」
 すっと葵の目が細められ、口元に暗い笑みが浮かぶ。
 肩の位置に手を伸ばして構え、手刀で横に空を斬るしぐさをした。
 途端に、紅の体が不自然に後ろに吹き飛ばされた。
「――ぐ……っ」
 思い切り背中を壁に打ちつけ、苦痛に顔をしかめる。
「か、各務さん…っ」
 紅は壁に背中を押し付けたまま耐えるように背を丸めた。
 かばうように顔の前に手を構えている。
「――……!」
 強風に押さえつけられ、壁に向かって重力をかけられているような体勢である。
 仙子の隣で葵がフンと鼻息を吐いた。
 同時に、紅の体が壁から離れる。床に崩れ、咳き込んだ。
 鋭い目で葵をにらみながら喉を押さえる。
 葵はニヤリと口角をあげた。
「そういうわけですから、僕たちはこれで失礼します」
 仙子は驚いて口を半開きにしたまま紅を見て、葵を見上げた。
「行きますよ」
 そう言って肩を押されたが、身を硬くして抵抗する。
「待て、藤谷」
 紅はなんとか呼吸を正常にし、憎々しげに葵をにらんだ。
「なんのつもりだ」
「猶予が長すぎました。もう待っていられません」
 葵は余裕の顔で紅を見下げ、バサと白い羽を動かす。
「僕も手荒な真似はしたくないですからね。下手な行動に出ないほうがいいですよ」
 目で紅を牽制する。そのとき、カタンと窓のほうで音がした。
 はっとして目を向けると、窓枠に金髪の男がしゃがんでいた。
「お取り込み中失礼」
 ヘラヘラとした笑顔でそういうと、ヒラヒラと仙子に手を振った。
「た、高岡くんっ」
「な…、お前、ここは3階だぞ」
「窓から人んちに侵入するのが俺の趣味なんだよ、各務さん」
 紅にそう言ってから、尭己は挑発的な目を葵に向けた。
「さーて、葵さん」
「……自主的に切り離す気になったんですか?」
 葵は引き締めた顔で尭己をにらんでいる。紅には余裕だったが、尭己のことは警戒していた。
 尭己は窓枠に乗っかったままフッと口元で笑い、牽制する目で葵を見やる。
「なわけねーじゃん」
「…………」
 葵の目がすっと細くなり、手を肩口まで持ち上げた。
 仙子ははっとして口を開ける。
 ここは3階で、尭己の後ろに床などない。
 今さっきの紅のような事態になれば、ただ落下するだけである。
「高岡くん…っ」
 声を発したのと同時に、葵の手が横に凪いだ。
 風が吹き、白いカーテンが外にはためく。
「なんだよ」
 尭己がそっけなく仙子に答えた。
「……へ?」
「――な……っ」
 葵が驚き顔で尭己を見た。
 同じように紅からも唖然とした目を向けられ、尭己はニッと口元に笑みを浮かべた。



 大志はスコップを地面に突き刺した。
 黒い土に半分くらい金属部分が埋まり、足で更に押し込む。
「……ぃしょっと」
 土をかいて横に捨て、掘った穴をのぞきこむ。
 スイカの大玉くらい埋めれそうな深さになっている。
 大志は額の汗をぬぐうしぐさをし、ふぅと息をついた。
「ったく、あのヤロー。なにが力技だ、こんなもん、力仕事じゃねーか……」
 満天の星空の下で、大志はぶつくさ言いながら穴を掘っていた。
 黒々とした肥沃な土で、周りはすべて花で埋め尽くされている。
 赤白黄色、紫オレンジ、さまざまなのだが、こう暗いとどれも似たような色に見える。
 芹沢家の中庭である。円形の花壇の中央に大志はいた。
 ここに穴を掘れと指示したのは尭己である。
 夜に他人の家の敷地内に忍び込んでこんなことをするのは抵抗があったが、尭己を信じるしかない。
 意味のあることなのだろうと自分を説得し、なるべく音をたてないように作業した。
「……こんなもんか」
 穴の深さをスコップで計り、傍らに置いてあったものをその中に入れて見る。
 ピッタリだった。女神像はすっぽりと穴に入った。
 大志は一人でうなずき、その上から土をかけた。
 ちらりと見上げると、3階の窓から白いカーテンがヒラヒラはためいて見える。仙子の部屋である。
 気にしつつ、どんどん土を元に戻していた。



 葵の冷たい目が尭己をにらむ。
 尭己はフフンと勝ち誇ったような笑みを見せた。
「……崩壊させる気ですか? 自然界の摂理を」
「そんな危ないことはしない」
「余計なことをするなと言いましたよね」
 尭己が肩をすくめると、葵は深くため息をついた。
 ギロリと脅すような目を向ける。
「君のやろうとしていることは危険なことですよ」
「そお?」
「無理やり縫いとめる気でしょう?」
「そ。俺のばあさんもやったことだ。俺にできないこともない」
 ニッと不遜に笑う尭己を見て、葵は目を見開いた。愕然として口を開く。
「……君は――」
「そういうこと。俺も本来は死人だ」
 仙子も紅も眉をひそめて尭己を見た。
 葵だけ、納得したように軽くうなずいた。
 初めてあったときからなにか嫌な感じがしていたのは、尭己が冥府の影響外に生きる者だったからである。
 死の運命から脱した、世界と隔絶された者。
 尭己の祖母は、危険を承知で孫息子を世界から切り離していたのである。
「だからあのとき…、せんちゃんを放っておけなかったんですか?」
 10年前、深緑公園の花壇で死にかけた仙子を見た。迎えにきた御使いと、習ったばかりの術。
「……どうでしょう? ただやってみたかっただけかもしれないし、仲間がほしかったのかもしれない」
 ちらりと仙子を見ると、不安な顔をしていた。
「当時の俺に聞かなきゃ分からないけどな」
 手をのばし、仙子の手首を掴む。
 ぐいっと引き寄せ、葵から離す。案外あっさり葵の手が離れた。
「そーゆーわけで冥府の加護を離れた身だから――…あんたの言うことはきかない」
 窓枠に足をかけ、ニッと笑みを浮かべる。
「え、ちょ……っ」
 ガシッと仙子を小脇にかかえるようにすると、仙子の焦った声を聞きつつ、勢いよく窓の外に飛び出した。
「せんちゃん……っ」
 驚いた葵が声を発した。
 3階である。飛び降りてただですむ高さではない。
 しかし尭己の予定通りである。
 芹沢家の中庭に、大志の姿があった。ちょうど窓の下で、仙子が落ちてくるのを待ち構えている。
 大志に仙子を任せ、尭己はひとりで着地する手はずになっていた。
 それが――、仙子が急になにかに引っかかったように重くなり、尭己の腕から引き抜かれる。
「――え、げ…っ」
 尭己はバランスを崩し、体勢を整えられないまま大志の上に落下した。
「ぐえっ」
 尭己は大志を下敷きにして地面に落ちた。
 いくら下がやわらかい花壇の土であっても、あの高さから落ちたのである。ひざやひじに痛みが走った。
「…ててて……」
「重いっ」
「おー、さすが。丈夫だな、大志」
 白々しい誉め言葉を吐きながら身を起こす。
「うー、ズキズキする……」
 痛む個所をさすりながら見上げると、仙子が窓から釣り下がっていた。その手を掴んでいるのは紅である。
「ちっ、予定外だな、これは……」
 尭己は舌打ちして白いカーテンのはためいている窓を見る。
 紅が仙子を引き上げようとしている後ろに、白い影が歩み寄る。
 大志は指示を仰ぐような目で尭己を見た。
「どうするんだよ、計画は失敗か? 芹沢はどうなるんだ?」
「どうもこうも。葵さんにつかまったら終わりだな」
 平然とした中に焦燥が感じられる。
 大志は立ち上がると思い切り叫んだ。
「芹沢っ!」
 怒鳴り声に反応し、仙子がちらりと大志のほうを見た。
 その顔を見て、大志が目を見開く。
「――飛び降りろ、亮…!」
 その瞬間、仙子は紅の手をほどいて壁を蹴った。
「ごめん、各務さんっ」
「仙子さん…っ」
 仙子の体が、大志が広げた腕の中にまっすぐに落ちてくる。
 受け止めた衝撃で、二人の体が花壇の中に転がり込む。
 窓の中から白い陰が飛び出してきた。ばさりと羽を一度羽ばたかせ、仙子めがけて滑空する。
 大志と仙子のそばで、尭己が不敵な笑みを浮かべた。
「っし、かかった…!」
 片手でガッツポーズに似たしぐさをした途端、宙にいた葵に稲妻が発生する。
「――あ……っ!」
 葵は苦痛の表情で尭己をにらんだ。
 まとわりつくように、放電の筋が葵を取り囲む。
 中空から見下ろし、唖然と目を見開いた。
「――この花壇……!」
 円形に花々が植えられている。花の色や種類で、模様が描いてあるように見えた。
「封じの陣だよ…っ」
 尭己の手が空を凪ぐ。花壇の中央に光の筋が発生した。
 柱のような光条が、葵の体を包み込む。
「…ぁあ……っ」
 光が強まり、白い影が溶けていく。
 周りのものがはっきり見えるくらい明るい。芹沢家の中庭だけ、昼の明るさになっていた。
 それ以上にまぶしくて目を細める。
「屈折の女神……」
 尭己の声がおごそかに響く。
「――冥王の娘……冥府の加護を離れるものを哀れと思いし娘よ――……」
 閃光がひときわ強くなる。
 目を開けていられないほどの光量を発し、次の瞬間、テレビが消えるときのようにぷつりと途切れた。
 一瞬で暗闇が満ちる。
 開いた瞳孔が戻るまでしばらく時間を要した。
 大志と仙子はよりそったまま目が慣れてくるのを待った。
 何度もまばたきし、物の形が見えてくる。
 3階にいた紅が、慌てて走り出てきた。
 仙子が飛び降りたとき、急いで中庭を目指したのである。
「な……っ」
 庭に出た途端、驚きの声を発した。
 大志も仙子も紅と同じほうを見て固まってしまう。
 中庭の花壇の真ん中に、白い像が立っていた。
 白い天使の像である。顔は葵の顔をしていた。



     終章


 仙子が目を覚ますと、ベッドのそばに大志がいた。
 いつもながら無愛想な顔である。
 仙子が起きたのに気付いたが、無表情のまま腕組みして黙り込んでいる。
「変な夢見た」
 仙子が言うと、大志はふーんとそっけなくうなずく。
「魔法使いに呪われるような夢だったよ」
「……魔法使いね」
「そう」
 かすかに笑って話を続けようとしたとき、開け放たれたドアから尭己と亮が顔を出す。
「あ、魔法使いだ」
 尭己の顔を見てそう言うと、亮がうんざりしたように肩をすくめた。
 フンと顔をそむけると、勝手に戸棚からティーセットを取り出してお茶の用意をはじめる。
「おー、天使がいるぞ、マキマキ」
「あれって、大志の家と同じやつじゃねー?」
 窓から身を乗り出し、宮野と石巻がはしゃいでいた。
「お前らは? お茶飲む?」
「いらなーい」
「それより、中庭で遊んできていい?」
 亮の誘いを断ると、仙子にキラキラと輝いた目を向ける。
 仙子は苦笑してうなずいた。
「いいけど、庭師には気をつけたほうがいいよ」
「え、なんで?」
「尭己のおじいさんだから」
「げ……」
「き、気をつけよう、ミヤ」
「お、おう。遊ばれないように遊ぶぜっ」
 そう言いながら、二人は部屋を出ていった。
 入れ違いに、紅が顔を出す。
「仙子さん」
「あ、各務さん、どうしたの?」
「川名くんに伝言があります」
 ちらりと紅がうかがうように亮を見た。亮も微妙な顔で視線を返す。
「……なんですか?」
「帰る前に部屋に寄るようにと、御当主が」
「ああ、はい、分かりました」
「……それだけです」
 意味ありげに亮を見つめ、紅はすぐに姿を消した。
 それを見送り、大志が仙子を見て口を開く。
「各務さんには……」
「説明はしてないけど……、分かってると思う」
「だよな、あの態度」
 紅茶が入ると、それぞれテーブルについた。
 一口紅茶を飲み、亮は憂鬱にため息をつく。
「一件落着かしらね、これで」
「あ、言葉遣い」
「う…、分かってるよ」
 指摘され、亮が口元をひきつらせる。
 そして、恨みがましく尭己に横目を向ける。
「それにしても、芹沢家の庭師があんたのおじいさんだったとはね。しかも、花で魔法陣作ってたなんて……」
「各務さんは俺の素姓より庭師の素姓調べるべきだったよな」
「つか、深田家からの紹介だったから信用してたみたいだよ」
「…………」
 大志は知ったこっちゃないという顔で紅茶を口に含んだ。
 尭己が肩をすくめる。
「大志んちの像も本物の天使なんだってさ」
「お前の人騒がせは血筋か」
「あ、血統で人を括っちゃいけないぜ、大志」
「だよね〜。大志のお父さん、めちゃめちゃ愛想いいし〜」
「…………」
 ニコニコする仙子をぶすっとにらむ。
 面影が亮に重なる。
 二人とももとの体にあっさりなじんだ。大志のほうが時々戸惑うほどだが、亮も仙子もたまにクラスを間違えたりしている。
 その中で、一番嬉しそうなのは尭己である。
 亮の顔で仙子の性格というのがよほど気に入っているらしかった。
 それがなんとなく気に食わなかったりもするが、とりあえず今はホッとしていた。


END


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