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第三章 森の中にがさがさと踏み込む20数名。 その先頭を行くホノファーナとワルネミュンデ。 後ろを振り返ると、必死の形相でロキエが追ってきていた。 「その格好でよくも、あれだけの動きができるな、ホノファーナ」 横を走るワルネミュンデに感心しているのか呆れているのかわからない口調で、つい先刻の宙返りを誉められる。 ホノファーナは、足首まである丈の長いスカート姿で、びっしりと身体中に宝石類を纏っている。 それが、昨日あったリドラエルと同様の身軽さなのだから、驚くのは当然だ。 今も、長い杖を持ったまま、追手をぐんぐん引き離して、森の木々の間を駆け抜けているのだから、その運動能力には感服してしまう。 ホントにそう思ったのだが、ホノファーナは侮られていると受け取って機嫌を損ねたらしく、ムッとして睨み付けてきたので、ワルネミュンデは器用にも走りながら肩を竦めた。 追ってくる男達の足音が木々に反響して四方八方から聞こえるが、あの保護団体の中にホノファーナやワルネミュンデより速く走るものはいないのか、回り込まれてはいない。 この分なら逃げ切れそうだと、少し安堵する。 後ろから着いてくる足音が聞こえなくなるまでしばらく森の中を走り回り、とりあえずロキエたちの姿が見えなくなった所で足を止めた。 既に太陽は朝の明るさを呈している。 「撒いたかしら」 ハアハア息を吐くワルネミュンデの横で、息も乱さずそう言ったホノファーナは、辺りを見回して人がいないか確認する。 山を登る方向に相当の距離を走った筈だが、ホノファーナは髪が少し乱れているくらいで平然としていて、ワルネミュンデはかなり驚いていた。 昔からこの土地に親しんでいるワルネミュンデとは違い、ホノファーナはこの山に慣れていない。 森の木々はうっそうとしていて薄暗く、足元が不確かで、走りにくい事この上ない。 それなのに、ホノファーナは呼吸一つ乱してはいない。 「……キミ、化け物…?」 地面にへたり込んでフウフウ息を整えながら訊くと、訝しげな視線を送られたが、そう思ってしまうほどすごい。 ワルネミュンデも運動能力は優れている方なのだが、ホノファーナはずば抜けている。 あの体力のあるロキエを撒いてしまってまだ余裕があるというのは、凄まじい事だ。 「小さい頃からこういう森に住んでたし、人を撒くのには慣れてるだけよ」 そう言ってフッと微笑んだ顔がいつもとは違って見え、ピンとくるものがあった。 「撒いておいて、追いついてくるのを待ってるわけだキミは」 息継ぎしながら訊ねてみると案の定、ホノファーナは答えにつまり、しまったという表情を一瞬だけ覗かせる。 誰かを待っているのだという、確信めいたものを得て思わずにやけてしまうが、訳知り顔をされたホノファーナはムスッとしてワルネミュンデを睨んだ。 弱点というほどではないが、それをからかいのネタにされるのはゴメンだ。 「とっととドラゴンの所へ案内してくれないかしら。あなたのせいで予定がずいぶん狂ってるわ」 そう言って歩き出そうとした時、 「いたぞっ」 「どっちだ!?」 「こっちだ!」 そんな声が聞こえて、振り返ると、ロキエの真剣そのものの顔が目に入り、うんざりして顔をしかめる。 「捕まったら、報酬は無しだよな」 座り込んだワルネミュンデが、疲れた顔をしてホノファーナを見上げている。 その態度でその言い方だと、捕まるつもりがあるように聞こえてしまう。 「その代わりに報復があるわよ」 ニコリと微笑みを送ると、微笑み返される。 「どっちも遠慮するよ」 逃げる事を諦めたように、座ったまま動かない。 どうしても案内しなければいけないという義理はない、というのが顔に書いてある。 やはり、信用できない男だったかと、胸中で舌打ちする。 「…裏切り者」 「単に役立たずなだけだよ」 「いいわ。初めからあなたなんて当てにしてなかったから」 他に頼れそうな人間がいなかっただけで、ワルネミュンデを全面的に信用していたわけではない。 こうなれば自分の力だけでドラゴンに近付いてやると、唇をかむ。 「報復だけは後できっちりと支払って上げるわ」 侮蔑の目を緑の瞳に向けておいて、クルリと踵を返す。 と、がさがさと木の葉を揺らす音がして、イヤな予感に苛まれる。 口元を歪めて、音のする方に耳を傾ける。 身軽そうに枝を渡ってくる大人数の気配が、前方から次々とやってきていた。 足を止めたホノファーナの背後に、ロキエたちの影が迫っている。 そして思った通り、目の前の木の上からぞろぞろと、小柄な少年達が地面に着地する。 「…また会ったな、ホノファーナ=シ=チ=レーン=レジア。我らが聖域に許可なく踏み込む不心得者め」 ぎらぎらとした金の瞳を輝かせ、昨日あったアリスト族の若長が子供特有の高い声で言い放ち、口元を片方だけ吊り上げる。 その後ろに続々と、瞳に闘争心を燃やした何人もが降り立つ。 数の多さに瞠目しつつも、ホノファーナは木の下に座り込んでいるワルネミュンデに皮肉のこもった笑顔を見せた。 「アリスト族は寝床に入ってる時間じゃなかったのかしら、ワルネミュンデ」 内心の怒りを赤い瞳ににじませると、ワルネミュンデの代わりにリドラエルがフンと笑った。 「竜爪が教えてくれたのだ。妙な予感がしてきてみれば、やはり不逞の輩が神域に入り込んでいる。覚悟はできておろうな」 「キミらが来ない予定だったんだから、覚悟なんてできてるわけないだろ、リドラエル」 「黙れ、下賎の者め」 面白そうだと思ったのか、立ち上がってホノファーナの隣にやってきたワルネミュンデが微笑んで見せると、リドラエルは憎々しげに怒鳴りつけた。 名を呼ばれるのが気に入らないのか叱責するような物言いで、リドラエルはワルネミュンデを睨む。 「昨日追い返されたのが気に入らず、今日になって仲間を引きつれて押しかけたか。だが、我々リュウ族にその人数でかなうと思わぬ方が……」 追いついてきたロキエたちが、そこにアリスト族がいる事に気付いて足を止め、それを見てリドラエルは不快げに眉をしかめた。 「竜を愚弄する者たち…」 ロキエたちを見て、後ろの少年達がざわつきはじめる。 鋭い敵意が、次々と湧いて出ている。 振り返ると、ロキエたちの方もアリスト族を睨み付け、視線を交わし合っている。 「ライバルみたいなもんなんだよ、ドラゴン保護団体とアリスト族とは」 クスリと笑いながら、ワルネミュンデが小声で告げる。 「ロキエたちがアリスト族にまで、ドラゴンを狩る許可証を申請しろとか言うから、彼らが怒ってね、仲が悪い。誰に許しを請わずとも我らはかつてからドラゴンと対決してきたのだ、とか言って。誇りを傷つけられた気分なんだろ、きっと」 「そう。じゃ、この機に存分にやりあってもらうっていうのはどうかしら」 「で、その間にキミはずらかるのか」 「だって、私はどちらにも属していないんだから、手を出すのは不当でしょ」 「オレもそうだな」 そう言うワルネミュンデの微笑みに向かって、突き放すような瞳を向ける。 「べつにもうあなたなんか頼らないわよ」 「オレがキミを頼ってるんだよ」 白々しく言ってのける。 確かに、ワルネミュンデは戦闘向きでない雰囲気があり、どちらかというと後方から指図する参謀という方が似合う。 剣を持つといえば、飾り剣くらいだろう。 どう見ても腕っ節は強そうではない。 見捨てて一人で立ち去るべきか、助けながら確実にドラゴンのもとへ辿り着くか、ホノファーナが迷って首を傾げる間に、リドラエルとロキエの言い合いは始まっていたらしい。 今日こそ決着をつけようという意味の言葉をリドラエルが発したのが聞こえた。 ホノファーナが何をするまでもなく、二つの団体は衝突した。 少し予定とは違うが、とりあえずはうまくいったのだろうかと思った途端、掛け声をかけてアリスト族の少年がワルネミュンデに向かって剣を振りかざしてきた。 「覚悟…!」 ワルネミュンデの肩を狙う剣をホノファーナの杖が弾く。 更に力を加え、少年の身体をものすごい力で後ろへ吹っ飛ばす。 そこにいた何人かが逃げ切れずに巻き込まれて倒され、その倍の数の目がホノファーナに集まる。 明らかな敵意と警戒があった。 こうなると、逃げ出すのは容易ではない。 ワルネミュンデを見捨てる事に決め、首から適当な宝石をちぎり取り左手に握る。 にやりと不敵に微笑むと、少年達は身構えてホノファーナを睨んだ。 「どうする?囲まれてるけど」 ホノファーナの背中にぴったりとくっつくようにして、ワルネミュンデが軽い口調で言う。 ワルネミュンデには悪いが、守りながら逃げるという面倒なことはしたくない。 目的はドラゴンだけなのだ。 答えずに逃げ道を考えながらチラチラと辺りを覗っていると、前方にロキエとリドラエルの姿が見えた。 リドラエルの方が身軽で素早いがその分攻撃は軽いようで、両者互角。 その周囲でやりあっているもの達もそこそこだが、数の分だけアリスト族側が優勢のようだった。 だから、ホノファーナのもとにもこれだけいるのだろう。 6人に囲まれている。 剣を構えてじりじりと間合いを詰め、目で合図を交わしている。 そして、ホノファーナが杖を胸の前にかまえると同時に、6人が一斉に襲い掛かってきた。 素早く飛び退ってそれをかわし、後ろ向きに跳躍してその輪から抜け出す。 取り残されたワルネミュンデが、慌てて逃げ出すのが見えた。 憐れみながらも、助ける気はなく、このまま逃げようと思ったが、ワルネミュンデが意外な行動に出たのを見て足を止める。 ワルネミュンデに襲い掛かった一人が、蹴飛ばされて吹き飛んだのだ。 ホノファーナは思わず目を瞠る。 剣を奪ったワルネミュンデの優雅な構えは、微塵の隙もなく、相当な腕前のようだった。 対峙した少年達も、愕然とそれに見入っている。 「あなた、剣が使えるの?」 右手の杖で3人をまとめて薙ぎ払い、力技で吹っ飛ばしてからワルネミュンデに訊ねると、まあね、と何でもないことのように答えられてしまう。 「口だけの、使えない男かと思ってたわ」 「ヒドイな。これでも免許皆伝なんだよ。国から仕官のお誘いも来たくらいだし」 「…あっそう。ただフラフラしてる無能者じゃないのね」 勝手にひ弱な優男だと思ってしまっていたのだが、騙されていたような気がして不快げに眉をしかめた。 よく見れば、確かに剣を構える格好が様になっている。 めげずに次々と襲い掛かってくるアリスト族をブツブツ文句を言いながらも杖を使って、3人ずつまとめて投げ飛ばす。 魔術を使うでもなく片手だけで渡り合っているホノファーナに、ワルネミュンデは呆れた視線を送ってきた。 「キミ、魔術師だろ?」 「そうよ」 「格闘家の間違いだろ、そんな強引に…。まあ、化け物並みの体力だってのは知ってるけど」 「余計なお世話だわ。魔術を使おうが力技でやろうが私の勝手でしょ」 苦笑するワルネミュンデも軽やかな剣捌きで凌いでいるが、どこから沸いて出てくるのかというくらい、アリスト族は次々と出てくる。 きりがないのではないかとうんざりする。 退けても退けても続々と。 ワルネミュンデの言う通り、アリスト族は厄介なのだと納得した。 いつまでたっても終わりそうに無いので、後はワルネミュンデに任せて退散しようと、軽く攻撃をかわしながら、目は退路を探る。 「悪いけど…」 杖で剣を受け、押し合いながら微笑みを見せると、少年はピクリと眉を吊り上げる。 「鬱陶しいの…よっ」 思い切り杖を薙ぎ、地面に打ち付ける。 呻き声を上げて倒れ込んだと思いきや、すぐに別の少年が向かってくる。 それを右に飛んでかわし、狙っていた通りの道を走る。 走り込んできたホノファーナに驚いた目を向ける少年をぶっ飛ばし、逃がすものかと追いすがってくる者たちの攻撃も軽く避ける。 置き去りにして一人で逃げたのを悟ったワルネミュンデが不服そうな顔をしていたが、無視して木々の間に滑り込む。 つもりだったが。 目の前に、リドラエルとやりあっていた筈のロキエが立ちふさがった。 「…ロキエ、邪魔よ」 胸中で舌打ちして白々しく微笑みを作って見せるが、急いでいるので内心イライラしている。 「……一般観光客を無関係の争いに巻き込まないでもらいたいわ」 「じゃあ、とっとと街に帰れ、ホノファーナ。一般観光客は立ち入り禁止だと言っただろ」 「ちょっと森に迷い込んだだけよ」 言いながら杖を右手にしっかり握るが、それに気付いても、ロキエは特に身構えない。 余裕の顔で佇むだけだ。 「ここから街までの道くらいオレが案内してやる」 「結構よ。余計に迷ったりしたら困るもの。一人で帰るから、あなたはアリスト族とやりあってなさ…いっ」 言葉を終えるか終えないかで、杖を振り回す。 ロキエはホノファーナの怪力を知らなかったし、魔術師であると侮ったのがいけなかった。 剣で受けてしまい、ロキエの身体が吹き飛ばされる。 予想以上の衝撃を受けて驚愕の瞳を開いたまま木に背中を打ちつけ、一瞬息が止まる。 ニヤリと笑みを残して走り去っていったホノファーナを、唖然としたまま見送るが、はっと我に返り慌てて追おうとして咳き込む。 「…逃げたっ……!」 咳の合間に大声で告げると、その場にいた全員、保護団体もアリスト族も、はっとしてそちらに顔を向けた。 ホノファーナの背中が森の奥に消えるのが見え、茫然と目を見開いてその方向を見やる。 「バカなっ…!あの向こうは神龍の住処だぞっ」 リドラエルが叫び、慌ててホノファーナの後を追う。 それを見たアリスト族が一斉に剣を退き、深刻な顔で森の中に走り込む。 助け起こされたロキエがホノファーナを止めるように指示すると、保護団体の全員も走り出した。 脇腹を押さえ、ロキエもホノファーナの去って行った方へ向かう。 「甘く見ただろ」 寄ってきたワルネミュンデがクスリと笑ったのが異様にムカついた。 「お前が、あんな女を連れてくるからっ」 「まあまあ、落ち着け、ロキエ。いくら腕のいい魔術師ったって一人でドラゴンは倒せないって。リドラエルもいるし。多対一も甚だしいんだから」 「あんなに走った後にあれだけ動けてあの力だぞ。冗談じゃない。化け物か、アイツは」 「かといって、ドラゴンより強いとは思わないだろ?」 冷静に判断すればそうなのだが、どうにもいやな予感がする。 常識外のことが起こりそうで、すごく心配なのだ。 「ドラゴンにとって害のある女だ」 「ロキエの野生の勘はよくあたるけど、ホノファーナはそれほど問題でもないと思うよ、オレは。運は相当悪いみたいだし」 「まあ、お前に関わったこと自体不運だろうが…」 しかも、普段なら今頃は寝ている筈のアリスト族まで引き付けている。 性格は悪いが、悪事は成功しなさそうな顔をしていることも確かだ。 しかし、ドラゴンの祠に近付かれるのは大変困る。 いつかのようにドラゴンの逆鱗に触れて街が襲われるのはもう勘弁して欲しい。 「くそ。オレ達がいながら…っ」 呟いて、ドラゴンの祠へ向かった。 ホノファーナは低く響く音のする方へ真っ直ぐに進んでいた。 ものすごく大きな獣のうなり声。 それを感じて、思わず口元が緩む。 大きなドラゴンがすぐ側にいる。 念願の老ドラゴンに違いない。 青々と生い茂る緑の葉の間から真っ青な空が覗いていた。 ワルネミュンデのせいでここまで来るのに予定より大幅に時間がかかってしまったことを思うと少し気分が悪い。 後でしっかりと報復しようと考えながらも、口には笑みが浮かぶ。 ドラゴンにもうすぐ会える。 そう思うと、胸の奥から歓喜がこみ上げてきた。 老ドラゴンを倒して、その腹から宝玉を引きずり出す。 思い描いて、無意識に笑みを浮かべていた。 高揚感が全身を廻る。 負ける気はしない。 会うことさえできれば実現は可能で、もうすぐそれと会えるのだ。 身震いがする。 決して邪魔はさせない。 リドラエルだろうとロキエだろうと……。 迫りくる足音を振り向くと、すぐそこまでアリスト族が近付いていた。 さすがに、日頃からこの森を庭のように駆け巡っているアリスト族はそう簡単に引き離せないようだった。 「待てっ!」 ドラゴン・ネイルを振りかざし、飛び掛かってくるリドラエルを横跳びにかわす。 杖で受けてもよかったのだが、その隙に周りじゅうから襲いかかられても困る。 「おのれ…小賢しいっ――……」 「魔術を使わないだけありがたく思いなさいね。一瞬で全員を片づけても痛くもかゆくもないんだから、私は」 歩調を緩めること無く余裕の口調で言うと、リドラエルは憎々しげに舌打ちする。 魔術を無効にする剣だといってはいたが、ワルネミュンデはリドラエルには使いこなせていないといった。 リドラエルが体勢を立て直して再び襲い掛かってきた時、それに向かって呪文を唱えてみる。 柔らかい壁に突っ込んだような感じで、空気抵抗を受けるだけの一瞬で消える壁だが、多少の足止めにはなるだろうと考えた通りに、リドラエルはあっさりとその術にはまった。 「!――…っつ……」 眼前に風の壁ができ、勢い込んで走ってきたリドラエルがそれにぶち当たる。 地面に転がり、憎々しげにホノファーナを睨むリドラエルに冷笑を送った。 これが防がれなかったからといって、リドラエルがそれを使いこなせていないということにはならないのかもしれないが、咄嗟に使えないものなど何の役にも立たない。 本当に扱いきれていないのだと思う。 転倒したリドラエルが立ち上がる間に、ホノファーナとの距離は四、五歩空いている。 耳を澄ますと木々の間から、獣の息遣いがはっきりと聞こえてきた。 すぐに、ドラゴンの許に辿り着けそうだった。 イヤな微笑みを残して去っていくホノファーナを睨み上げ、リドラエルは舌打ちする。 どんなに運動能力が優れていようとも、不慣れな者がこの森の中でアリスト族から逃げ切れるわけがないと、多少とも気安く考えていた。 しかし、全力で走っているのにホノファーナに近付けない。 いくら睡眠をとっていないとはいえ、この森の中で、自分達より身軽そうに動く者がいるなど、考えたことも無かった。 地を這う木の根や生い茂る草に足をすくわれることもなく、頭上に伸びる幹にも引っかからずに楽々と走り抜ける。 向かっているのが神龍の祠でなければ賞賛の気持ちも沸いてきただろうが、今はそれどころではない。 千年を生きる老ドラゴンの住まう祠。 アリスト族さえ踏み入ることを禁じられている場所だ。 そんな所に不浄の者を踏み込ませるなど許されることではない。 どうしてもホノファーナを止めなければいけないのに、追いつけないどころか、差は一向に縮まらない。 そして、ホノファーナはこの先にある神龍の祠に真っ直ぐ向かっている。 まるでドラゴン・ロードが見えているように、その道を正しく進んでいる。 このままだと、確実に神龍のもとに辿り着いてしまう。 森の支配者になった気でいたのはおごりだったと反省するが、既に遅いかもしれない。 ホノファーナがこのまま神龍の祠へ辿り着きその神域を汚せば、若長として失格だ。 それだけは、アリスト族の誇りにかけて阻止しなければいけない。 「くそ…っ」 吐き捨てて、剣を握り直す。 重くてまともに使いこなせない剣だが、族長の家に代々伝わるもの。 その昔、神龍から与えられたリュウ族の証。 あらゆる力を退ける無敵の剣。 その力を正しく発揮させれば、いかなる魔力も、どれほどの使い手の剣も、軽々とはねのけられる無限の力を秘めている。 が、使いこなせればの話。 今も、ホノファーナの簡単な魔術の威力を弱めることすらできなかった。 リドラエルにはまだまだ修行が足りないらしい。 剣を受け継いでから1年がたとうとしているが、未だその力の欠片も出せない。 今は走るのに邪魔な重い荷物なだけだった。 使えないものは持っていても意味がないが、これが、アリスト族の首長である証だから、そうほいほい捨て置くわけにもいかないし、人に預けるわけにもいかない。 昨日今日初めてこの森に入ったような人間に敗北感を味わうなど、思いもしなかった。 「あいつらこの森に住んでるんだろ。神龍の祠に先回りできるルートなんてのはないのか?」 ホノファーナの魔術に怯んでいるアリスト族と保護団体の仲間たちを前方に見ながらロキエが、同意を求めるような目でワルネミュンデを見たが、そんなものがあればとうに利用しているだろう。 黙っているとロキエは疑いの目を向けてきた。 「お前も何か知らないのか」 「オレ?」 ワルネミュンデが小さい頃、森に一番近い屋敷に住んでいて森を好き勝手に探索していたことは知っている。 ドラゴン・ロードのほとんどを把握しているという噂もあり、アリスト族からも常に警戒はされていたが、進んで密猟者に手を貸したりすることはなかったから、ドラゴンに害を及ぼす危険性は少ないとみられているようだった。 ロキエは幼い頃からワルネミュンデを知っているので、特に注意をしていなかった。 ロキエへの嫌がらせくらいのことはするだろうが、本気でドラゴンを狩る手助けはしないだろうと、多少信用めいた気持ちはもっていた。 「さあ」 肩を竦めて微笑むが、妙に楽しげなのが気に食わない。 しかし、実際の所、森の中の何の目印もないドラゴン・ロードを口頭で伝えるのは至難の技だし、地図を描くのも無理だろう。 「ドラゴンのことを何も知らないくせに、よく倒すなんて口走れるよな、ホノファーナ」 「まったくだ。一人でドラゴンに向かっていこうなんて無謀な気を起こすとは……。他人に迷惑をかけるような無知は罪だな」 「相棒はいたみたいだよ。二人部屋だったし」 「喧嘩別れだろーな」 即答。 妙に確信して頷く。 「人を撒くのには慣れてるともいってたし」 「その相棒とやらがホノファーナを追ってきている可能性もあるわけか。だったらあの化け物の弱点でもぶちまけて欲しいもんだ」 「化け物――ねぇ……。当人が聞いたら怒るよ」 「化け物対神龍ってのは避けたいんだがな、オレ達としては。ホノファーナはともかく神龍が暴れだせば、街の存亡にも関わりかねない」 「そういえば保護団体にも、魔術師はいただろ。魔術で足止めはしないのか?」 協力的に提案すると、ロキエは難しい顔をして口を歪めた。 「冗談じゃない――…らしい。ホノファーナのことを話すとみんな怯える。名前を聞くとものすごく驚くし」 「有名なのかな」 さあ、と興味なさそうに首を振る。 ホノファーナの身分や素性より、神龍を怒らせないかの方が気にかかるのだろう。 なにしろ、街全体の危機だ。 いつかのように、ドラゴンに襲われては、人間の創ったものなどひとたまりもない。 そのことは10年前に実際に起こった出来事で実証済みだ。 「アリスト族が食い止めてくれればいいんだが……」 アリスト族には神域に入らせないということが重要なのだろうが、目的は違おうとも、ホノファーナをとめてくれるのなら手を組んでもいい。 どうにかして、ホノファーナが神龍を怒らせるのを防がなくては…。 気は焦るのに、何の策も思い浮かばない。 「まったく……ホノファーナも困ったヤツだ」 苦笑して溜息をついたワルネミュンデをキッと睨む。 「お前が連れてきたんだろうが。それを他人事みたいに…っ。まったく、お前が関わるとろくなことがない。帰ったら絶対責任を取らせてやる」 「責任?オレに何の咎がある?自分の仕事を全うしただけだろ。観光ガイドだし、オレ」 屈託なくニコリと微笑んでみせると、ロキエが横目で睨んでくる。 「本気で言ってるんなら殴るぞ」 「冗談だよ」 「余計に悪い」 「じゃあ、本気ってことにしてもいいけど」 言うなり、ロキエの拳が頭上に落ちる。 「……っつー…」 走りながら、激痛に頭を押さえると、ロキエがフンと顔を背けた。 「本気なら殴るって言っただろ」 「卑怯だ」 「口からでまかせばっかり言ってるからだ。テキトーに答えてるとそういう目にあうんだと覚えておけ」 「本心だけ口にしてればいいってものでもないよ。物事をうまく納めるためには嘘も方便だろ」 「お前の言ううまくっていうのは自分に都合のいいようにってことだろーが。その場その場で胡麻化し胡麻化し…」 「相手が望むからそうしてるだけだよ、オレは。本心を言わない方がいい場合もあるだろ」 「相手が本気でそれを望んでいるかどうかなんて、どうしてお前に判断がつくんだ。それこそ、自分の都合のいいように勝手に思い込んでるだけだろ」 「甘いね、ロキエ。嘘でもいいって言葉を知らないだろ」 アヤシイ微笑みを浮かべるワルネミュンデに訝しむ視線を送り、近寄るな、という風に少し離れる。 「お前とは話が合わんし、気も合わん」 「ヤだなー、親友だろ?」 「何が親友だ、汚らわしい。オレはホノファーナを捕まえるのに忙しいんだ。邪魔をする気なら帰れ」 邪険にされて、ワルネミュンデは首を竦める。 言われた通り帰ろうかとも思ったが、本当に帰ってしまうとまた怒るのだから、ロキエも扱いが難しい。 脅しをかけるような目を向けてくる。 「で、祠ってのはどこにあるんだ?」 「もうすぐ…――って、もう着いてるんじゃないかな、ホノファーナなら」 そう告げると、ロキエは血相を変えてスピードを上げる。 保護団体の団員たちに声をかけながら次々と追い抜いてゆくそのすぐ後ろに、嫌味なほどぴったりとワルネミュンデもついて走る。 心の中では、いい加減走るのは疲れるとうんざりしているのだが、そんな事をロキエに言うと怒るだろうから仕方なく黙っている。 ロキエが必死になったのを見て追い抜かれた団員たちも慌てるが、そろそろ体力の方も限界に近い。 後ろで見送ることになる。 「……あれ、ロキエの後ろにいるのワルネミュンデだろ?よくついていけるな、あの速さに」 「ウソ――…あの?……まさか…」 その呟きが聞こえたので、ワルネミュンデは振り向いて笑みを送ってやる。 その得意げな顔に、ムッとした敵意ある視線が向けられる。 ただでさえ評判がよくない上に、隊長であるロキエに馴れ馴れしくしているのが気に入らない人間もいるらしいということはよく承知している。 そうとなるとついからかいたくなる。 しかし、余裕ありげに見せておいたが、内心はかなりつらい。 祠がすぐそこだと知っているからいいものの、ゴールが見えなければとっくに走るのをやめている。 「――いたぞ…っ」 ロキエの言葉通り木の間に人が佇む様子が見えたが、妙な気がして眉をしかめる。 ホノファーナもリドラエルも他の者たちもいたのだが、そこにいる誰もが、固まったまま動かないでいる。 大岩を見上げて微動だにしない。 横顔が驚きを含んでいる。 その視線の先を追い、ロキエが呻いたのが聞こえた。 ワルネミュンデも、それを見て口の端を引き締めた。 大岩のように見えるそれは、立ち上がったら2階建ての建物ほどもあろう巨大なドラゴンだった。 猫のように身体を丸め、地面に顎をつけて目をつぶっている黒っぽい塊が、呼吸をするたび等間隔で上下する。 成獣のドラゴン丸々2匹分くらいの体積を占めるまさしく神龍。 全員が動けずにそれに目を瞠っている。 驚きか恐怖か、鼓動が早い。 そして、初めに動いたのは神龍だった。 重く軋むような音をさせ、ゆっくりと顔を上げて目を細く開く。 ギラリと黄金色の目が、その場の人間たちを一瞥した。 「……神龍…!」 ロキエの耳に苦々しいリドラエルの呟きが届き、はっとする。 瞬き、ホノファーナの姿を探す。 手を出させる前に止めなければいけない。 神龍を初めて見た驚愕より、その使命感がロキエを動かす。 神龍の目の前、最前に長い金髪が見え、その手に持った杖が天に向けられる。 「――…!」 慌てて走り出した。 ホノファーナが魔術を使う前に間に合うだろうか。 一瞬の迷いはすぐに掻き消え、とにかく止めなければという思いで走った。 10年前の、街のひどい有り様が脳裏に甦る。 全壊した建物の下から聞こえる助けを求める呻き声と、パニックに陥った人々の逃げ惑う悲鳴。 今も街の半分は復興しておらず、瓦礫の下に眠る人々がいる。 ワルネミュンデの家族も、死の街にとどまったまま。 人には手を出してはいけないモノがある。 アリスト族のいう『神域』には、入ってはいけない。 『神域』だからダメなのではなく、人が踏み込んではいけないから『神域』と呼ばれる。 人が脈々と長い年月をかけて学んできたことを無下にするのは、無知者の奢りだ。 「絶対――…止めるっ」 ロキエの手が、ホノファーナに届く。 肩を引き倒そうとしたが、ホノファーナは横目でチラリとそれを確かめ、簡単にかわしてしまう。 その上足を引っかけられ、ロキエは微かに笑ったホノファーナの後ろに無様に転倒した。 余裕で杖を目の前に掲げ呪文を唱えようとしたが、ロキエはあきらめず、転がり様に後ろからホノファーナの長い髪を引っ張る。 止めるべきだと思うから、容赦などしていられない。 まさかそうまですると思っていなかったのか、ホノファーナはまともに背中から転ぶ。 さすがのホノファーナも勢いをつけて背中から地面に落ちては苦しくない筈がなく、喉を詰まらせ咳き込んだ。 その隙を見逃さずに片膝を着いて後ろから首に腕を回し、身動きできないように押さえ付ける。 みぞおちにくらわせて意識を失わせたい所だが、女だということに思い至って一瞬逡巡したその隙に、ホノファーナはすかさずロキエの腕を跳ね除ける。 「逃がすか……っ」 「ちょっ…放しなさい!」 立ち上がろうとしたのを引き倒そうとしたが、一喝されて一瞬動きを止めてしまった時、慌てたワルネミュンデの声が聞こえた。 「ロキエ…!」 切迫した声音を怪訝に思って首を巡らせる。 神龍の口が、ロキエに向かって開かれていた。 何思う暇なく、口腔から白い炎が吐き出されたのを見た。 リドラエルの目の前で、ホノファーナとロキエが炎に包まれた。 神龍の口から吐かれたやけにまぶしい火柱。 近くにいた何人かも、巻き込まれて色の薄い明るい炎に呑まれた。 その中に、アリスト族の者もいた。 あまりの眩しさに顔を背けようとする一方、愕然とした気分でそれを細めた目で見守る。 喉から勢いよく火を吹き出し、ホノファーナたちを焼いているのは、前足の爪一本を失った老齢のドラゴン。 六方に呪文の彫り込まれた樹木を配し、中央に厳かに座する神龍。 熱気が肌を焼くが、封じられたように誰も身動きできないでいた。 目の前で起こっていることが、現実味を帯びないまま、鼓動だけが早くなり、嫌な汗が手の平に滲む。 握った剣を取り落としそうになって、我に返る。 周囲を覗うと、仲間たちも硬直していた。 「――――……」 何かを言おうとして口を開くが、発するべき言葉が見付からない。 今何をするべきなのかという事が、思い浮かばない。 あまりに突飛な事態に、判断ができないでいる。 茫然と炎を見ているだけでいいのだろうか。 今の事態がつかめないで、次の行動をどうするかなど、考えられない。 だからといって、このまま佇んでいるだけではいけないのだと、漠然とした思いもある。 睡眠不足で脳の働きが鈍くなってきているところに、この衝撃はかなり効いたようだった。 頭の中がぐちゃぐちゃになりかけた時、リドラエルの脇をワルネミュンデが疾走していった。 真っ直ぐに神龍へと向かい走る。 通り過ぎ様に、手の中から竜爪をもぎ取られたのだが、気付いたのは一瞬後だった。 ワルネミュンデの手の中に自分が持っていた筈の剣を見てから初めて気付いた。 取り戻そうということも思いつかず、茫然とその背中を見送る。 ワルネミュンデは炎を遠巻きに神龍の許へ走り寄ると、踵を返して剣を構えた。 それがまるで神龍を庇うようで、リドラエルには何をするのか予想もつかず不審げに眉をしかめる。 そして、光線のように明るい炎が唐突に消えた。 まぶしさと熱気を払うように何度か目を瞬かせ、苦々しくそこに目を向け唖然とした。 炎に焼き尽くされた筈の者達が、何一つ損なうことなくそこにいた。 よく見ればホノファーナの全身を覆っていた宝石類のほとんどが消え、身体中灰だらけにしていたのだが、そこまでに気が回らなかった。 ただ、炎に呑まれた全員が無事でいる事に驚いていた。 そこにいる者すべてが驚愕に立ち竦んでいる。 その中で、ホノファーナは神龍に向かって杖を向けていて、それが魔術を使う動作であることに気付いて力一杯目を見開く。 身の程知らずな――…! ホノファーナへの怒りに近い、そんな思いが頭をよぎる。 そして、ホノファーナの前に蒼い雷が生まれ、神龍めがけて飛んでいった。 雷撃が岩のような神龍の皮膚に突き刺さるその直前、その前にワルネミュンデが踊り出していった。 いつになく真剣な眼差しのワルネミュンデが、両手で構えた竜爪を横にして頭上に構え、魔術の雷撃を受ける。 その無謀な行動に顔をしかめる。 バチッと乾いた音が響いた。 「――――まさか……」 蒼い光が剣の中に収束してゆくのを見て、思わず声を上げていた。 魔術をまともに食らった筈のワルネミュンデは、剣を構えた体勢のまま少し押されたように後退っただけ。 表情の変わらないワルネミュンデの手の中で、竜爪がその力を発揮した…? まだリドラエルには使いこなせない神龍の竜爪。 あらゆる力を無効にしてしまう無敵の剣。 族長の家に代々伝わるもの。 それをワルネミュンデが――……。 疑問より先に屈辱感に襲われ、リドラエルは苦々しく顔を歪める。 そんなリドラエルと同様に、ホノファーナも唖然としてワルネミュンデを見つめていた。 信じ難いことが目の前で起こってしまった。 レジア一族の中でも100年に一人の天才の魔術が、脆くも破られてしまった…? まさかと思いながらもう一度魔術を放つ。 ホノファーナの杖から出された蒼い雷は、威力を発揮することなくワルネミュンデの持っている竜爪に吸い込まれる。 困惑して眉をしかめる。 起こる筈のない出来事を目の前にして、現実のことなのかどうなのか判然としない気がしたが、夢でなければ現実でしかあり得ない。 この屈辱的なことは本当の出来事のようだった。 それでも、どうしても信じられない。 炎の魔術を使ってみるが、それさえも竜爪の中に収束していってしまった。 愕然としてワルネミュンデを凝視する。 ホノファーナの最も得意とする炎の魔術も効かない…? 絶対にあり得ないことだ。 ワルネミュンデにホノファーナの魔術が防がれる筈がない。 きっとホノファーナが魔術を失敗したに違いない。 そう思って、また炎を生み出す。 二の腕にあった親指大の赤い宝石が一瞬で灰になり、風にさらわれて消えると、ワルネミュンデに向かった炎も空気に紛れるように掻き消えた。 絶句して立ち尽くす。 「キミはドラゴンを倒しに来たんだろ。なんでオレに攻撃するんだ」 呆れたような溜息を吐いたワルネミュンデを睨み付ける。 だったら言われた通りにしてやろうと、神龍に向かって魔術を放つが、目の前でワルネミュンデがそれを遮る。 完全にホノファーナの魔術を無にしている。 神龍に攻撃もさせてくれない。 「…あなたが急に邪魔になったわ」 「存在を気にしてくれるのは嬉しいけど、邪魔だなんて心外だな」 「どう見ても神龍を守ってるとしか見えない行動を取っておきながら、私の邪魔をしてないなんて言う気じゃないでしょうね。あなた、私がドラゴンを狩るって言っても反対はしなかったじゃない。今になって一体何のつもり?」 「まあ、こっちにも色々事情があってね」 そう言ってチラリとリドラエルの方に視線を向けたのを見逃さず、ホノファーナは眉をしかめる。 「実はアリスト族と組んでるのかしら」 「そうじゃないけど…」 「けど?」 「まあ、罪滅ぼしってヤツかな」 「罪滅ぼし?」 ワルネミュンデにはあまり似合わない単語だ。 思い切り首を傾げると、ワルネミュンデは神龍を見上げた。 大きな岩にも見える荘厳な姿が、目に入る。 じっとこちらを覗っている目には、鋭い光が宿っている。 ワルネミュンデはそれを目を細めて見つめ返してから、ホノファーナに顔を向ける。 「神龍はその名の通り神なんだ…」 長い話が始まりそうだと思って眉をしかめながらも、ホノファーナはとりあえず頷く。 と、いきなりワルネミュンデが動いた。 油断して一瞬対応が遅れ、首の後ろに手刀をみまわれる。 「……っ何を…」 反撃しようとしたが、目眩に襲われ視界が霞む。 意識が暗転して、遠ざかっていった。 「…お、おい、ワルネミュンデ」 焦った口調で声をかけてきたロキエに、肩を竦めて見せ、だらりと倒れ掛かってきたホノファーナを押し付ける。 「いつになく乱暴だな」 「まあ、思ったより厄介だったから」 意識を失ったホノファーナをとりあえず抱き留め、ロキエは不審げにワルネミュンデを見る。 「…お前が連れてきたくせに、なんで止めるんだ?」 「いけないことはしてないつもりだけど?」 「いけなくはないが、不思議だと思って…」 「信用無いなー、親友じゃないか。オレがロキエの困るようなことに積極的に力を貸すと思うか?」 胡散臭い微笑みを向けられ、ロキエは困惑顔を作る。 こんなに協力的なワルネミュンデを見たのは初めてのような気がする。 不信感が拭えず口を歪めるが、ワルネミュンデは気にした風も無くロキエに寄ってくると、ホノファーナの顔を眺めてから肩を竦める。 「後が怖いから、事後処理は任せるよ、ロキエ。一応オレは自分の責務は果たしたと思ってるから」 「……任せるって言われても…。暴れ出したら止められんぞ、オレには」 「じゃあ、ホノファーナを追ってきてるかもしれない相棒らしき人間を見つけて説得してもらうとか」 「なんだか『かもしれない』とか『らしき』とか曖昧だな…。ホントにそんなのがいるのか?」 「オレの勘では間違いなくいるよ」 「お前の勘はアテにならんからな……」 憂鬱に溜息を吐いたところに、保護団体の面々が駆け寄ってきた。 わらわらと集まってくると、恐る恐るホノファーナの意識がないことを確かめる。 「…おとなしくなってる……?」 それを確認して、あからさまにホッとする。 神妙な顔でロキエを見上げ、判断を仰ぐ。 「今のうちに早くこの場を離れた方がいいんじゃないか」 「そーだよな。神龍がいつまた炎を吐くか分からないし…」 「その女連れて行くのか?怖いんだけど、オレ…」 「でも一応オレ、コイツに助けられたことになるんだよ」 そう言ったのは、神龍の炎に捲かれた一人だった。 真正面からドラゴンの炎をかぶって大丈夫だったのは、確かにホノファーナがそれを防いでくれたからだった。 ホノファーナのせいで神龍の炎を吐かれることにはなったが、それを跳ね返したのもホノファーナで、文句を言うべきか感謝すべきか迷う所だ。 「とりあえず団体本部に戻るぞ。それから、ホノファーナの処置を考えよう」 団員たちを帰すことにして、ロキエはホノファーナを人形のように肩に担ぐ。 杖を手近にいた一人に渡すと、思ったよりも重量があることに驚いた。 「なんだよ、これ。見た目よりずっと重いぞ」 興味ありげなみんなに回すと、誰もがびっくりしていた。 屈強な男達が、華奢なホノファーナが片手で振り回していた杖を両手で持って騒いでいるのだから相当な重さだ。 持ち歩くだけで疲れるようなものをあんな風に使い、走りにくい森の中を駆け回っていたことを思うと、ホノファーナの怪物ぶりに身の毛がよだつ。 畏怖の混じった視線をホノファーナに向け身を震わせた。 そそくさと移動を始めた団員を見届けてから、ワルネミュンデに目を向ける。 「…お前は?」 「オレは、ちょっと…」 わずかに苦笑する風に肩を竦めると、竜爪を示して見せる。 それに頷き、リドラエルに目を向けると、アリスト族が神龍の前に群れになって集まっていた。 先頭にはリドラエルが腕を組んで仁王立っていて、憎しみのこもった目でワルネミュンデを睨付けている。 「――穏便にな…」 「…無理かも」 「アイツらには話が通じんからな。…――まあ…、お前も通じん方だからちょうどいいかも知れんが…」 「とにかく、ホノファーナのことはよろしく」 そう言い残し、ワルネミュンデは一人でアリスト族のもとに近付いてゆく。 アリスト族の後ろには神龍が体を丸めている。 神龍を後ろ盾にしているような光景が目に付いて、少し心配な気もしたが、ワルネミュンデの余裕ぶりからして大丈夫だろうと思う。 一人で何とかするだろうと思いつつも、アリスト族の人数の多さが少し気になる。 いくらなんでも一人であの短気で強引なアリスト族に向かっていくのは無謀な気がする。 「ヤバイよな、ワルネミュンデ…」 心配そうに呟くと、前を歩いていた一人が振り返って呆れた顔を作る。 「…ロキエってホントに甘いよ。元凶はすべてワルネミュンデにあるんだから、ちょっとは反省させるべきだと思うぜ、オレは」 「そーかな…」 「たまには痛い目にあわせとけって」 「うーん……」 ホノファーナをまかせてワルネミュンデの加勢に行こうかとも思ったが、このまま放ったらかしにして個人的な心情で動くのも無責任な気がした。 大丈夫なことを祈って、この場はまかせて置く方が、かえってまとまりがつくかもしれない。 山道を引き返しながら振り向いてみると、ワルネミュンデがリドラエルに竜爪を返している所だった。 このまま帰ってしまうことはなんとなく気が引けるが、ホノファーナのことを頼まれたのだから、アリスト族のことはまかせようと思う。 溜息を吐き、ドラゴン保護団体の本部がある塔を目指した。 交代でとりあえずホノファーナを塔まで運んだはいいが、それからどうするかということで悩んでしまう。 今は5階の仮眠室に寝かせて、念のために手首と足首を紐で縛り、ワルネミュンデ目当てでここに顔を出しているニータという少女に世話を頼んでおいた。 目覚めた時にその格好では余計に暴れ出すのではないかという気もするが、地下にある頑強な牢に放り込んでおくのよりはマシだろう。 ロキエは仲間たちと4階の会議室でテーブルを囲んでいた。 「ホノファーナが目を覚ます前になんとか相棒を見つけるしかない」 ロキエが神妙な表情でそう言うが、皆下を向いて目を合わせたがらない。 「見つけるったって、どうやって…」 「だいたいその人物が怖いヤツだったりしたら余計酷いことにならないか?」 「2人揃うと最強コンビ、とか…」 小声で呟くように消極的な意見が飛び交うが、他の具体的な提案は出てこない。 結局何の策もないのだが、観光都市として名高いこの都市の膨大な人の中から、いるかいないのかも分からない一人を探すというのは大変なことだ。 やりたくないのも分かる。 旅行者で溢れかえっている中からから名前も知らない人物を探すというのは至難の技だ。 ホノファーナの相棒という事だけが手がかりで、他は何も、性別も年齢も分かっていない。 せめてホノファーナと似たような格好をしてくれればいいのだが、そういう保証はない。 しかし、探すしかないので、文句を言いながらもみんなしぶしぶ席を立った。 ホノファーナの泊まっている高級ホテルの脇で、身体を揺すられてディオはうっすら目を開く。 陽光が目に入ってきてその眩しさに目を瞬かせていると、隣に誰かが腰を屈めてディオの顔を覗き込んできたのが分かった。 「……うー…」 眠気が拭えずに唸りながら目をこする。 「おーい。こんなトコで寝てるのよくないぜ」 聞き覚えのない声で、誰だろうと窺い見る。 金髪が輝いて見え、鳶色の瞳と目が合う。 「…んー?誰…?」 見たことのない、丸顔の少年の顔が目の前にあった。 小柄でディオよりも年下らしい少年は、不思議そうに首を傾げている。 「寝るんなら自分の家に帰って寝れば?」 「…帰る……?じゃ、ここ、どこ―――…」 ハッとして身を起こす。 一気に目が冴えて辺りを見回すと、そこは自分の家ではなく、天井は蒼い空だった。 人が行き交うのが目に入ってきて、そこは外で、しかも昨日の夜はホノファーナを見張っていたことを思い出したが、今はすっかり太陽が天高くに昇っていた。 「…やっちゃったよ―――…」 拳を額に当てて嘆くが、もう遅い。 この時間ならホノファーナは既にホテルを出てしまっているだろう。 諦めて溜息を吐く。 「参ったな……」 呟きながら、目の前で不思議そうな顔をしている少年に目をやった。 「もう昼だよな」 「ああ。…――あのさ、お前、額に『バカ』って書いてあるけど」 「え?」 慌てて額に手をやるが、確かめようがない。 困っていると少年が懐から鏡を取り出して貸してくれた。 見ると黒いマジックで『バカ』と額いっぱいに大きく書いてある。 なんとなくホノファーナのつんとした顔が思い浮かんできて、口を歪める。 怒りより先に、自分に対して落胆してしまった。 憂鬱に溜息を吐くと、少年は更に不思議そうな顔をした。 「その字に見覚えがある、オレ」 「…え?」 改めてみてみると、少年の左眉の上に不思議な赤い紋様が刻まれていて、首にはいくつか宝石類が提げられていた。 すらりと伸びた細い右腕にも、肩から中指にかけて細かく紋様が彫られている。 ホノファーナに紋様はなかったが、この少年と似たような服装で、系統的に似たような顔をしている。 同じ種族のような気がした。 |