Crow the fake sun

「ドラゴンの宝玉」-5



     第五章


 ネービュは、扉からワルネミュンデが入ってくるのを見て、カウンターの下にさっと身を沈ませた。
 昨日約束していたとおり、エリザという女は既にテーブルに着いていて手を振ると、ワルネミュンデともう一人はまっすぐそこへ向かってゆく。
 見知らぬ少年が一緒で、エリザと二人きりではないのに少し安堵しながらも、ネービュの心は複雑だった。
 ワルネミュンデにはできるなら来て欲しくなかった。
 ホノファーナに言わなければならない。
 それを思うと、胸が痛む。
 ホノファーナはワルネミュンデに一体何をするつもりなのだろう。
 あの滴る血のような赤い瞳で見つめられると、どうしても身が竦み、言うことを聞かなければいけないような気になる。
 そうしないと、何かされそうな気がして怖くなるのだ。
 気付かなければ報告もしなくて済むのだが、ネービュがワルネミュンデに気付かない筈がない。
 見てしまったからには、言わないと…。
 でも、気付かなかったふりをすれば…。
 同時に二つの思いが沸いてくる。
 怖いけれど、ワルネミュンデのためを思うなら、黙っているべきかもしれない。
「どうしたの、ネービュ?」
 後ろから店長に声をかけられ、ビクリと肩を震わせる。
「な、何でもないです…。ちょっと休憩していいですか?」
「そうね、今から10分くらいならいいわよ。それからが忙しいから」
「すみません…失礼します」
 そう言ってそそくさと控え室に引っ込もうとしたネービュを呼び止め、店長は眉をしかめる。
「あの人相の悪いヒト、まだ帰ってくれないの?」
「…すいません」
「あなたを責めてるわけじゃないのよ。ただ、脅されてるとかそういうんだったら、ちゃんと言ってね。それならそれで、こっちにも対処のしようがあるんだから」
「いえ…、そういうんじゃないですから…」
「そう?」
 頷くネービュに、困惑するような疑うような目を向ける。
 顔を背けてそれをかわし、ネービュは控え室に入った。
 ステーキ定食を食べていたホノファーナが、目だけをネービュに向ける。
 昨日も同じモノを食べていた筈で、他のモノを勧めてみたのだが、ネービュに代金を払わせるつもりらしいホノファーナはこれでいいのだと言った。
 ネービュの方がよくないのだが、注文を変える気はなかった。
 じっとホノファーナを見ていると、食べながら目で何かあったのか訊ねてきた。
「アリスト族はいなくなったみたいです…」
「そう。…――今何時かしら」
「もう七時をまわってますけど…」
「ワルネミュンデはまだ来てないの?」
 聞かれて、ドキリとする。
「……まだ、です…」
 小さな声で言うと、ホノファーナは頷いただけでネービュを疑う様子はなかった。
 ホッとする反面、後ろめたい気もした。
 しかしその時、ホノファーナの眉がピクリと動いた。
 店の音がこの部屋まで届くその中に、ホノファーナはワルネミュンデらしき声を聞いた。
「…今、ワルネミュンデの声がしなかったかしら」
 耳をそばだてるが、それらしいと言うだけで絶対だという確証は持てない。
「ちょっと見てきてくれない?」
 そう頼むと、ネービュは困った顔をした。
 怪訝に思い眉を寄せると慌てて出て行く。
 なんとなく行動が怪しい。
 既にワルネミュンデが来ているのではないかと思い、残りの定食をたいらげて扉に向かう。
 その時、
「ワルネミュンデ!」
 ロキエの声がその名を呼んだ。
 反射的にホノファーナは力一杯扉を開ける。
 そして、店の奥にいたワルネミュンデの緑の瞳と目が合った。
 脳の中で何かが閃く。
 その完璧なまでの美しい顔を見た途端、何を考えるまでもなくそこへ跳躍していた。
 食事をしていたテーブルを飛び越えられ、何人かが驚いてホノファーナを目で追う。
 一瞬でワルネミュンデの前に立ちはだかり、逃げようとした腕を掴まえる。
 ホノファーナに引き倒され、ワルネミュンデは無様に床に転がり、店内に痛快なまでにはっきりと、頬を打つ音が響いた。
 シンと辺りが静まり返る。
 静寂の中、ホノファーナは尻餅をついたワルネミュンデの襟を左手で引き起こした。
 憮然としたワルネミュンデの整った顔を見て、右手で続けざまに左右の頬を打った。
 唖然とした人々の目が集まっていたが、ホノファーナはそのままひたすらワルネミュンデの頬を連打した。
 往復して何度も平手で殴る。
 派手な音がそこにいた全員の耳に届く。
「…や、やめろっ――……!」
 手が痺れてきたと思った時、見知った顔がホノファーナから庇うようにワルネミュンデの首に抱き着く。
 それを見て我に返ったロキエがホノファーナの腕をつかんで、ワルネミュンデから身体を引き剥がした。
 ワルネミュンデにくっついたままのレカオーが、振り返ってホノファーナを睨付ける。
 なぜレカオーがここにいるのか少し混乱し、ホノファーナの怒りがすっと冷めていく。
「なんでっ……、ワールが何をしたんだよっ――――…」
 レカオーがそう大声を上げると、側にいたエリザも泣き出した。
「そうよっ。どうしてこんな酷いコトするのよっ…!」
「ワール…っ」
 ネービュまでが駆け寄ってきたかと思うと、店内の女たちが一斉にホノファーナを責める視線を向けてきた。
 非難するように睨み付けられながら、ホノファーナはロキエの手を払いのけて立ち上がる。
「グーで殴らなかっただけありがたいと思いなさい」
 吐き捨てると、3人の人間に支えられてワルネミュンデがむくりと身を起こした。
 真っ赤に染まった頬を両手で押さえ、痛そうに顔をしかめた。
 レカオーたちに心配そうに顔を覗き込まれ苦笑して見せ、笑んだままホノファーナを見上げた。
「キミの指輪だらけの拳で殴られたら奥歯の3本は折れてただろうな」
「私は別にそうしてもよかったのよ」
「キミ的に手加減してくれたのは嬉しいけど、オレ的にはちょっと納得できないくらいの報復だな、これは」
 珍しく少しムッとしているのが、余計に腹立たしい。
 自分が悪いくせになんの反省もしていなさそうだ。
「あなたのせいで私は色々屈辱的な目に合ったのよ」
 ロキエたちに縛られたのもリドラエルたちに追われたのも、両方ワルネミュンデが原因だ。
 冷たい目で見下ろすと、ワルネミュンデはおもむろに立ち上がった。
 真っ赤になった頬は見るからに痛々しく、ホノファーナ以外の全員が同情の目を向ける。
「大丈夫か、ワール」
「命に別状はないけど、痛いことは痛いよ、当然ながら」
 自分まで痛そうにするレカオーにそう言う。
 レカオーはそれを聞いてホノファーナに向き直る。
「…――ホノファーナっ」
「なによ、レカオー」
 しらっと答えると、レカオーは怒りの表情を更に固めた。
「なによじゃないよっ。どうしてお前ってそんなに自分本意なんだ。自分の思い通りにいかないからってこれはないだろっ」
「…あのね、私は報復をしただけよ。先に酷いことをしたのはワルネミュンデの方なの。事情も知らないくせに勝手なことを言って欲しくないわ。…――あなたたちもよ」
 非難の視線を向けてくる女たちをぐるりと見回してから、ワルネミュンデに泣き付いているネービュとエリザに目を留める。
「どう思おうと勝手だけど、それを私の前で口にしないでね。それに、まだ話は終わってないの。邪魔だからどこかに消えてくれないかしら」
 素気無くそう言うと、エリザはムッとした顔をしたが、ロキエが割り込んできたので開きかけた口を閉じた。
「塔に行って話そう。これ以上街を騒がせたくない。いいな?」
 ホノファーナはそれに頷いて、店内を見渡した。
 敵意のある視線が突き刺さってきて、睨み返すとさっと目を逸らす。
 すごく気に入らなかったが、無言で一瞥するだけにしておいた。
 ロキエは店長や客に謝り、ワルネミュンデはエリザとネービュに心配ないと言い聞かせる。
 そして、4人は店を出る。
 刺々しい雰囲気が注目を集め、その空気に呑まれたように人々が道を開ける。
 そこを通って街を抜けると塔までの暗い夜道を歩く。
 静かな空の下をホノファーナの身につけた宝石類がジャラジャラと音を立てるのが響く。
 塔の向こうには丸い月が見え、影をつくるほど明るく輝いていた。
 その下を進む一行の先頭に立ったホノファーナが、むっつりとしたレカオーを睨む。
「……何か言いたいコトがあるなら今聞くわよ」
 そう言うと、レカオーはじろりと横目でホノファーナを見据える。
 怒りを顕わに、声を低くした。
「じゃあ言わせてもらうけど、オレはお前の杖師なんだぞ。オレがいないと何もできないくせにオレを置いていくなよ、いつも」
 一歩前を歩くホノファーナに人差し指を突き付け、声を荒げる。
「いいか、ホノファーナ。自分勝手に動くな。自分の都合だけで動くな」
「いいじゃない。こうして毎回再会できるわけだし」
「それはオレが必死で探してるからじゃないか。お前は簡単に見つかってると思ってるかもしれないけど、オレがどんなに苦労してるか知らないだろ」
 レカオーが怒った後ろから、ワルネミュンデがふざけた調子でひょっこり顔を出す。
「知っててやってたりして」
「ワールは黙ってろ。そんなコト言うとホントにやっちゃうんだよ、コイツ」
「…――よく平然としてられるわね、ワルネミュンデ。私はまだ、あなたに対する怒りがおさまってないのよ」
「お前、あれだけ殴っておいて…。まずワールに謝れよ」
 思い出したように言われ、ホノファーナは思わず笑ってしまう。
「もし、私が間違ってたらいくらでも謝るわ。地面に額を擦り付けてもいいわよ。でもその逆だったら――――………分かってるでしょうね、レカオー。あなたは勝手な思い込みで私を非難したことになるのよ。それなりの償いは覚悟しておくコトね」
 赤い瞳を笑ませて自信満々に言われ、レカオーは思わず口を噤む。
 もしかすると間違っているのは自分の方かもしれないと、少し不安になってくるが、どちらにしろワルネミュンデを殴ったことについては謝るべきだと思う。
 そして、塔が見えてくると、屋上で見張りをしていたディオが大声で呼びかけてきた。
 それを合図に中から保護団体の人間たちが出てきて、ロキエを取り囲む。
 ワルネミュンデの所には、待っていたようにニータが駆け寄ってきた。
「ワール…!どうしたの、その頬。真っ赤……―――ホノファーナね?」
 憤慨しながら悔しそうな顔でホノファーナを探したが、さっさと塔に入っていってしまっていたので、見つからなかった。
 ワルネミュンデの頬に手を当てると痛そうに顔をしかめられ、思わず手を引く。
「待ってて。何か冷やすものを持ってくるから」
 走って中に入っていくニータを見て、ワルネミュンデは大きく深呼吸した。
 夜風が冷たくて気持ちがいい。
 息を吐きながら大勢が集まっている中心を見ると、ロキエが団員たちを安心させる言葉をかけていた。
 そして、ホノファーナの相棒が見付かったことを報告する。
 レカオーが紹介され、ディオがホッとしたように息をつく。
 そして、今日の所はもう帰っていいと解散命令を出すと、みんな安心して街に降りていった。
 ニータも残ろうとしていたが、ディオに送るように言って帰らせた。
 団員達が去ってゆくのを見送ってから、ロキエは塔に入る。
 4つある明りを1つだけ残して消してまわり、奥の階段を2階に上がると、図書館のように机がいくつも並べられていて、中央の椅子にホノファーナが座っていた。
 机の上に杖を置いて、腕を組んでふんぞり返っている。
 入り口に近い所にはワルネミュンデが氷の入った袋で頬を冷やしていて、その横にレカオーがちょこんと腰掛けていた。
 少し離れすぎている気はしたが、無理に近付けると話し合いの途中でまた手が出そうなのでこのままの方がいいとも思う。
 溜息をついて、ワルネミュンデとホノファーナの間の椅子に座った。
 何からどう話したものか悩んだが、まずは義務を果たすことにする。
「…とりあえず、リドラエルからホノファーナに伝言がある」
 ピクリとホノファーナが眉を動かした。
 クルリと首を回し、目を細めてロキエを睨んで言葉を待つ。
 アリスト族の言いたいことは大体想像がつき、先に怒りが湧いて出る。
「リドラエルが『宣言通りに実行する』だとさ」
 告げられて、ホノファーナはおかしそうに笑んだ。
「フン。何が宣言よ。…―――あなたのせいよ、ワルネミュンデ」
 じろりと睨むと、何のことだか分からないという風に首を傾げた。
「宣言って?」
「アリスト族は私を抹殺するそうよ」
「……―――それは……、物騒だな…」
 他人事のように驚くのが、腹立たしい。
 ワルネミュンデの横で、レカオーも眉をしかめた。
 何をしでかしたのだと責めるような目だったが、それは無視する。
「あなたがリドラエルに何を言ったか知らないけど、私を巻き込むのはやめなさい。おかげでこっちはいい迷惑よ」
「そう言われても…。オレには見当がつかないんだけど?」
 ロキエに助けを求めようとするが、ロキエも事態を把握できていない。
 そもそも、3人とも一部だけしか見ていないので、後を補うのは想像力に頼るしかない。
 それがそれぞれ食い違っている。
 ホノファーナは、自分が寝ている間にワルネミュンデがリドラエルと手を結ぶ契約でも交わしたのだと思っている。
 ワルネミュンデは、ホノファーナは気絶から覚めた後ロキエのもとから逃げだし、自分に報復したのだと思っている。
 そして、ロキエはワルネミュンデとホノファーナは一度アリスト族に捕らわれ、逃げ出して鉢合わせてああいう事になったのだと思っている。
 そんなに遠くもないが、3人とも重要な部分が間違っている。
「巻き込むも何も、オレはキミのことをリドラエルと話した覚えはないな」
「シラを切るのも大概にしなさい。だったらどうして私が邪魔物扱いされないといけないのよ」
「これ以上神龍に近付いて欲しくないから、邪魔なんだろ?それにオレがどう関係してる?キミの方こそ妙な言い掛かりをつけるのはやめてくれ」
「言い掛かり?」
 その言われようは気に入らない。
 立ち上がってワルネミュンデを睨み付けると、ロキエが間に割って入ってくる。
「落ち着け。オレが互いの言い分を平等に聞く!」
 ロキエが二人の言葉を平等に聞けるのかどうか疑問はあったが、あまりにも話が合わないのは確かにおかしいと思う。
 ホノファーナは頷いて椅子に座り直した。
 眠っている間に何があったか、考えてみるとよく知らない。
「いいわ。事実関係をはっきりさせましょう」
「自分に都合が悪くなっても嘘はつくなよ」
 ロキエがそう言い、ホノファーナに目を向けた。
 ホノファーナが頷くと、ワルネミュンデも頷く。



 嘘をついたら拳で殴るというのが空気で伝わってきて、ワルネミュンデは溜め息をついた。
 右側は平気なのだが、左の頬が熱っぽい。
 氷の入った袋を当てたまま頬杖をつく。
 そしてまず、ロキエはどういうつもりであれほどワルネミュンデを殴ったのかホノファーナに訊ねる。
 意識を失わされただけにしてはやり過ぎな感じがしていた。
「リドラエルが私に言った事を要約すると、アリスト族はワルネミュンデを支配下に置きたいからそのためには私が邪魔、ということらしいわ。ワルネミュンデのおかげで、私がアリスト族にさんざん追い回されたんだから、あのくらいは当然でしょ」
 平然と言ってのけるのに、ロキエは眉をしかめる。
「それはワルネミュンデの責任というよりリドラエルの方に問題があるんじゃないか?」
「そうね、平等を規するならリドラエルも殴るべきね」
「そんな所を平等にしてもらっても…」
 ワルネミュンデが微苦笑する。
「自分だけ殴られて平気なのか、ワール」
「確かに不条理な気もするけど、そういう平等は無意味だろ」
 なるほどと感心したように頷くレカオーがなんとなく鬱陶しくて、ホノファーナは何か食事を持ってくるように命じた。
 朝から何も食べていないロキエが調理場を教えると、素直に部屋を出て行く。
 階段を上がっていく足音が遠ざかってから、ロキエは不思議そうな顔をした。
「レカオーはホノファーナの従者みたいなものか?」
 訊かれて、ワルネミュンデが聞いた話をそのまま教えると、ホノファーナも間違っていないと頷く。
「『守護と監視』…、だろ?力の大きすぎるものには、それが必要なんだ。…――護り、見張る者。そして、鎮める者」
「神と巫女みたいなものよ。私は生け贄だと思ってるけどね。永続的な主従関係だし」
「なるほど。ドラゴンとアリスト族もそうか。ドラゴンを他の人間たちから護りながらも、森から出ないように見張ってる」
 ロキエがそう言ったのを聞き、ホノファーナは何かピンと来た。
「…あなた、神龍を護ってたわね」
 目を向けると、ワルネミュンデは一瞬だけ微かに目を眇めた。
 そして口元を笑ませる。
「オレは別に神龍に仕えてるわけじゃないよ」
「でも竜爪も使えてたわ」
「…――まあね」
「あなたもしかして、神龍の番人なのかしら。だからリドラエルがあなたを欲しがってた?」
 ホノファーナに疑念の眼差しを向けられ、ワルネミュンデは苦笑して溜息をついた。
 ロキエも、眉をしかめて答えを待っている。
 ワルネミュンデに対する視線が、疑惑に変わっている。
 何者なのかを不審がる目。
 しばらく思案するように無言でテーブルを見つめていたが、決心をつけて顔を上げる。
「オレは、神龍の番人じゃない」
 きっぱりと言いきれる。
 あの時、ワルネミュンデが竜爪を使いこなした時、リドラエルにも何者なのかを訊ねられた。
 そして、答えた。
「何者でもない。オレが一生を捧げると誓ったあのヒトのために忠誠を尽くしているだけ」
 そう約束したから、それを守って実行している。
 絶対に裏切らないし、幻滅させない、して欲しくない、されたくない。
 ワルネミュンデにとっては、盟約だった。
 一瞬言葉を失ったホノファーナは、何回か瞬きしてから頭を抱えて呻いた。
「……――それを、リドラエルに言ったわけね」
 その予想外の反応にワルネミュンデが不思議そうにしながらもコクリと頷くと、ホノファーナはテーブルに突っ伏して唸り出した。
「…勘違いしたんだわ、きっと…」
「……え?」
「バカじゃないの。リドラエルも、あなたも」
 苦渋の表情を改めて顔を上げ、ホノファーナは冷たい目でワルネミュンデを睨む。
 何のことか分からず首を傾げると、ホノファーナは椅子を跳ね飛ばして勢いよく立ち上がった。
「やっぱりあなたのせいじゃないっ。あなたがはっきり言わないから、リドラエルはあなたが私に忠誠を尽くしてると思い込んだのよ…!」
 慌ててロキエが間に入り、ホノファーナの伸ばした腕を遮るのをぽかんと見やる。
「……まさか」
 茫然と呟いて、思考を巡らせた。
 ワルネミュンデがホノファーナに仕えていると、リドラエルが勘違いした…?
 驚いたが、そういえばそんな気もする。
 そう考えれば辻褄が合う。
 ワルネミュンデがそれだけを言った後、リドラエルは待っていろとだけ言い残し、妙に心得た顔をして去って行った。
 そのおとなしい引き際を怪訝に思ったが、納得してくれたのだと思ってさして気にしなかった。
 でも、それはワルネミュンデをリドラエルに従わせるための準備をしに行っただけなのだ。
 ホノファーナを消してしまえば、ワルネミュンデは仕える者がいなくなって自由になる。
 それから、自分に従わせるように仕向けるつもりだった…?
「ホントに頭にくるわね。無自覚で私を死なせる所だったのよ、あなた」
 責められて、ワルネミュンデは難しい顔をして下を向いた。
「そうだ。リドラエルと会った時、オレは必ずキミに付き従ってた…。そして、神龍を怒らせるとキミに被害が及ぶと判断したことになってるんだ、リドラエルの中では。主を最悪の事態から守るため…、止めるために、気を失わせた――…」
 リドラエルの頭の中に描かれているだろう筋が見えた気がした。
 そしてそれは確かに、自分の言葉が足りないせいだった。
「ちゃんとあのバカなコたちに説明しなさい。でないと私は意味なくずっと狙われ続けるはめになるのよ」
「…――言えない…」
「それならリドラエルの配下に下ることね。リドラエルは竜爪が使えるあなたを従えたいでしょうから」
 冷たく言うと、ロキエが呆れた目を向けてきた。
「ワルネミュンデは一生を捧げたと言ってるだろーが。それをどうして乗り換えろなんて言えるんだ、お前は。忠誠を尽くすということがどういうコトなのかまったく分かってない。それにお前は理由を訊かなさすぎる。コイツもコイツで事情があるんだ」
「…理由?」
「そうだ。人間の行動には動機がある。ワルネミュンデも言えないのにはそれなりのワケがある…――だろ?」
 ロキエに訊ねられ、ワルネミュンデは黙り込んだホノファーナと目が合うと、フッと微笑んで口の端をあげた。
「名前は、ハンスリック=リウ=リー=アリスト……―――リドラエルの従兄だよ」
 ホノファーナは内心で驚きつつ、座り直して静かに口を開く。
「…だから…、敢えてリドラエルに言わなかったという事かしら」
「当時の若長が病気になったけど、次期若長のリドラエルはまだ幼かった。ハンスリックはリドラエルが成人するまでの若長代理。神龍の番人。竜爪を操るもの。神龍を護り、見張る――…『守護』し、『監視』する者」
「ふーん。じゃあまだそのハンスリックが若長なんじゃないのかしら」
 リドラエルは自分が若長だと言ったような気がするが、成人しているようには見えない。
 ハンスリックを認めていないという事だろうかと思ったが、それを見透かしたワルネミュンデはクスリと笑った。
「アリスト族の成人は12歳だから」
「…早いのね」
「あまり長命じゃない種族だしね。無駄に時を過ごすのは生命がもったいないとか言ってたな、ハンスリックは」
「でも、それならそれでリドラエルにそう説明すればいいじゃない。自分が仕えてるのは私じゃなくてハンスリックだって。なんでそんな重要な部分を隠すのよ。それとも何か問題があるのかしら」
「族長になる人間は成人の際、神龍にそれを報告するんだ。キミにも分かったと思うけど、神龍の周りには6つの呪を刻んだ木が配されている。その一つを書き換えるのが若長になる儀式で、10年前、ハンスリックもそれを行った」
 ロキエの肩がピクリと動く。
「10年前と言うと、あの時か…?」
「そう。ドラゴンが街を破壊したのは、ハンスリックが原因だと、アリスト族は思ってる」
「…思ってる…?」
「そう。思ってるだけ。実際はハンスリックが原因なわけじゃない。……―――あれは、オレが悪いんだ」
 緑の瞳が伏せられる。
 無表情に近い顔だったが、なんとなくホノファーナには悔いているように見えた。
 ……――――『罪滅ぼし』……?
 ワルネミュンデは、ハンスリックに償っている…?
 ロキエもホノファーナも、黙り込んでワルネミュンデを見つめた。
 木々のざわめきが、静かな室内に届く。
「…でも、ワルネミュンデ」
 沈黙を破ってホノファーナが切り出す。
「あなたはアリスト族じゃないんでしょ?ハンスリックに仕えてるっていうのはどういうことなのかしら。接点はどこにあるの?まず、それを聞きたいわ」
 赤い瞳をじっと見つめて、ワルネミュンデはゆっくり口を開く。
「瓦礫だらけの廃虚、昨日見ただろ?」
 ドラゴンに破壊されたという死の街。
 崩壊したまま放置された墓の街。
 その死の街は10年前まで富裕層の住む街で、今の市街は下町だった。
 白い壁が崩れ落ちた瓦礫の下には、ワルネミュンデの家族も埋まっていると言った。
 それを見ていたワルネミュンデの横顔を思い出そうとしたが、その時は他の事で頭がいっぱいでろくに覚えていない。
「オレの家は森に一番近い所にあって、小さい頃から一人で森を探索するのが好きだった。ハンスリックは、その頃一人で森をフラフラすることが多くて、オレ達が出会ったのは当然ながら森だよ。その時オレは5歳で、ハンスリックは3つ年上だ。リドラエルが生まれる1年くらい前だったかな」
 ハンスリックは将来の若長を助ける役目を負うようにと、厳しく育てられていたためか、凛として隙がなく、少年でありながら誰しもに一目置かれていた。
 気まぐれでワルネミュンデに剣術やドラゴンの知識、色々なことを教えてくれた。
 犬に芸を教えるくらいの感覚だったのだろうが、ワルネミュンデはハンスリックに懐いて、毎日、森へ行くようになった。
 ずっと一緒にいて、ワルネミュンデは人の上に立つべきだと思ったが、ハンスリックは将来、掟に従って若長に忠義を尽くすことを誇りにしていた。
 若長の下につき一族を守ると、強く思っていた。
 若長を手助けすることが、自分に定められた宿命、自分の存在意義だと思っていた。
 不満もなくそれを受け入れていた。
 それなのに、ハンスリックが12歳になった年、それまでの若長が急病で倒れた。
 そのまま呆気なく逝ってしまい、リドラエルはまだ3歳。
 ふさわしい歳の若者が直系にはいなかった。
 そこで名が挙がったのが、一番血筋の近い者、リドラエルの従兄、傍系のハンスリックだった。
 一族内でも突出した剛の者で、思慮分別もあり精神的にも強靭。
 ハンスリックなら異存はないと、誰もが言った。
 それを願っていたのだと言う者までいたが、ハンスリックは気が乗らなかった。
 若長に尽くすために今まで生きてきた。
 剣の腕を磨いたのも、知識を得たのも、あらゆる事が、全て若長のためだった。
 そういって断ったが、他に人材はいない。
 頼み込まれ、断り続けていたが、最後は族長命令という事で、無理矢理説得された。
 そして、ハンスリックはしぶしぶながら成人の儀式を執り行うことになった。
 新月の夜、一人で神龍のもとに行き、6つの呪を刻んである樹木の中の一つを書き換える。
 それは、誰にも見られてはいけない秘密の儀式だった。
 見られてしまった時は、その者を殺すか、自分が死ななければいけない。
 アリスト族の者達は家の中でハンスリックの帰りを待ち、祈り続ける。
 ハンスリックは神龍に祈りを捧げ、目が合って承認されれば、その周りに魔法陣を描き、木の幹に刻まれた呪を竜爪で削り取る。
 それから、新たに自分の名と呪を刻み、神龍の承認を得られれば、魔法陣を消して夜が明けるまでそこで呪文を唱え続ける。
 それだけの簡単な儀式で、それまでそれを失敗した者は誰もいなかった。
 誰もが、何事もなくそれが行なわれ、新たな若長が生まれるだろうと思っていた。
 それを待っていた。
 待っていれば、そうなる筈だった―――……。
「それをあなたが邪魔したわけね?」
 ワルネミュンデが言いよどんだ所をホノファーナが訊ねる。
「…核心をつくね、キミは」
 思わず苦笑さえしてしまう。
 今まで誰にも言っていなかった自分の罪を告白しているのに、何の躊躇もなく妨げられた。
 ロキエは苦い顔をしてホノファーナを睨む。
「それで、あなたを見てしまったハンスリックは、あなたを助けるために自らの死を選んだのかしら」
「ホノファーナっ…!」
 取り返しのつかないことをグサグサと指摘するのは、あまりにも酷だ。
 しかも、その時ワルネミュンデはそれを知らなかった。
 ハンスリックが嫌いだったわけでもないし、悪意があったわけでもない。
 それを何の気遣いもなく言ってしまうのは、無情すぎる。
「少しは人の気持ちも考えろっ…!」
「いいよ、ロキエ」
 ワルネミュンデの代わりに怒るロキエをワルネミュンデがなだめる。
「だが…っ」
「ハンスリックは生きてるから」
 そういって微笑って見せる。
 ロキエは困惑した顔でワルネミュンデを見つめる。
「ホントだよ。オレが竜爪を使えるのが、その証」
 言いながら、ワルネミュンデは首飾りを外して机に置いた。
 それは、リドラエルがしていたドラゴンの牙と同じモノだった。
「ハンスリックが残したものだよ。…――儀式は終わりに近付いてて、後は魔法陣を消して夜明けを待つばかりだった。でも、魔法陣を消している途中で、オレがそこに行ってしまった」
 儀式の途中でワルネミュンデを見てしまったハンスリックは慌てて目を瞑って、神龍に祈った。
 見ていない、と。
 そして、ワルネミュンデに向かって、どこかへ行けと怒鳴った。
 その声が深刻で、ワルネミュンデは何かいけないことをしたらしいと分かったが、それならそれを謝ろうと、ハンスリックに近付いていった。
 その時、神龍が天に向かって咆哮し、森が揺らめいた。
 神龍を見て硬直したワルネミュンデを突き飛ばし、ハンスリックは神龍に竜爪を向けた。
 森の中からドラゴンが群れになって現れ、圧倒されたワルネミュンデは身が竦んで動けなくなった。
 目の前で、ハンスリックが神龍に弾き飛ばされるのを見た。
 そして、森の中にハンスリックは消えた。
 その場に竜爪と首飾りだけを残し、忽然と姿を消した。
 ワルネミュンデはワケが分からずそれを拾って街へ走った。
 途中、竜爪は重くて手放したが、首飾りは放さなかった。
 ドラゴンはワルネミュンデを街まで追ってきて、隠れたのを探すように屋敷を次から次へと破壊してまわった。
 火を噴きながらそこを全壊させてしまうと、何頭かは下町にも降りていった。
 そして、人々は逃げ惑い、その様相はまるで地獄絵図だった。
 自分のせいだと分かったが、どうすればいいのかは分からない。
 止めなければと思い、ドラゴンの前に飛び出していったのを、下町の少年に捕まえられた。
 放っておいてくれと暴れたが、意識を失わされて街の外へ運び出され、命は助けられた。
 それが、ロキエだった。



「お節介だと恨んだよ。ハンスリックにも犠牲者の人達にも申し訳が立たない。オレは生きているだけで『罪』だと思った」
「あなたが原因だものね」
 ホノファーナが素っ気無く言うと、ロキエは真剣な目で睨んでくる。
「……黙ってろよ、お前は…」
「でも、ホントにそうなんだ。ハンスリックが消えたのも、街がドラゴンに襲われたのもオレのせいだ。ハンスリックはオレの目の前から消えて、アリスト族は全ての罪をハンスリックにかぶせた。もともとやりたがってなかったから、逃げたんだってみんな信じたみたいだった。弁明しようとも思ったけど、オレはとにかく怖かった」
 9歳の少年が起こしてしまった出来事にしては大きすぎた。
 自分でも受け入れられないくらいで、誰にも言わずに隠してしまった。
 ロキエにも言えなかった。
 それからは自己嫌悪に陥り、葛藤の日々が続いた。
 何をしても、自分の罪を軽くするためだとしか思えなくて、何もできなかった。
 それでも、無駄に時を過ごすよりはマシだと思って、街がどうにか収まってから神龍の所へいった。
 神龍は以前と変らぬ様子で座していて、森は既に日常を取り戻していた。
 ハンスリックはいなかったが、木に刻んだ呪は残っていた。
 新しい呪もなく、若長はハンスリックなのだと思ったワルネミュンデは、ドラゴンの牙の首飾りを身につけ、神龍に祈った。
 ハンスリックが無事であることと、必要があれば自分をその代わりにしてほしいこと、ハンスリックに一生を捧げること。
 祈り、誓った。
 神龍に許されなくてもそうしようと思った時、神龍と目が合い、それは承諾された。
 そして、『守護と監視』の役目をハンスリックに代わって担った。
「オレが余計なことをしなかったら、神龍の怒りにも触れなかった。みんなあんな酷いコトにも巻き込まれずに、平穏に暮していけていたと思ってるよ」
「だから『罪滅ぼし』なんて考えたの?」
「それと同時にオレが救われる。何かしていれば、許されるかもしれないと思える」
 一方的だが、そうすることでワルネミュンデは償ってきた。
「…大丈夫よ」
 ぽつりと呟いたホノファーナをワルネミュンデは驚いた顔で見た。
「自らを責めている人間を他人は責めないわ」
「……キミにそういって貰えるとは思わなかったよ」
「原因だから責めるわけじゃない。原因である人の心の持ちようが納得できなければ責めるのよ。その人の意見も聞かずに決め付けて責める人もいるけど」
 クスリと笑みを付け加えるとロキエは呆れた目をしたが、ワルネミュンデが微笑んでいたので何も言わなかった。
 自分が勝手にワルネミュンデがすべての原因だと決め付けて殴り倒したくせに、よく言える。
 そう思ったが、それは、ホノファーナも、ワルネミュンデを許したということを言っているのかもしれない。
 それならそれでそう言えばいいとも思うが、これがホノファーナなりのやり方なのだろう。
 納得しようと思ったところに、紅茶のいい香りが漂ってきたと思えば、レカオーがトレイを持って表れた。
 一人で4人分を運ぶのは重いらしく、慎重な足取りで歩いてくる。
「話し合いは終わったのか?」
 トレイを机の上にゆっくり降ろしながら訊ねる。
「全然よ」
「…じゃあ、何やってたんだよ、今まで」
 レカオーがハムサンドの入った皿をワルネミュンデの前に置くと、ロキエは椅子を移動してそれを取る。
 ワルネミュンデが頬に当てていた氷の袋を外すと、まだ赤かった。
「跡ついてる…。痛いか?」
「だいぶ引いたよ」
「…ホノファーナ、謝れよ、ちゃんと」
 紅茶のカップを4つとも手近に置いたので、ホノファーナも椅子を立つ。
「うるさいわね。黙ってその辺に座って杖の点検でもしてなさい」
 ホノファーナはレカオーに杖を手渡してワルネミュンデの斜め前に座り、4人で一つのテーブルに着いた。
 それぞれがおとなしく食べ始める。
 杖を手にしたレカオーは、不満いっぱいの顔を上げた。
「…なんだよ、コレ。お前、なんつー使い方すんだ。杖、傷だらけじゃん。まさか剣とか受けたんじゃないだろうな?」
 いたわるように杖を撫でながらホノファーナを睨むと、ロキエが呆れたように笑った。
「かなり激しく戦闘してたぞ、それで」
「ホントに?…――お前な、魔術師の杖は魔術を使うためのものだぜ」
「分かってるわよ」
「なら、自重しろっつーの。…ったく…」
 愚痴りながら、懐から薄汚れた布を出して杖についた赤い宝石を丹念に磨きはじめる。
 それを見ながら、ホノファーナはハムサンドを一口頬張ると、白々しくニコリを笑みを浮かべた。
「丈夫なのを作ってもらってすごく感謝してるわよ」
「もう少し丁寧な扱いをしてくれたらオレの方からも感謝するのにな」
「ウフフ。残念ね、一生感謝してもらえそうにないわ」
「…決定事項なのか?」
「断定してもいいわ」
 しれっと宣言すると、レカオーはがっくりと項垂れる。
 それから無言で杖を点検しはじめた。
 致命的な欠損はないが細かくついた傷がたくさんあって、レカオーは溜息をつく。
 レジア一族の住む森の中心にある大木の幹から作られているもので、もとから硬い上に魔術で強化しているので鉄の剣を受けてもある程度は平気だが、やはり傷はつく。
 自分が創ったものだけに愛情があり、なるべく汚したりしたくない。
 ホノファーナにも大切に使ってもらいたいのだが、壊さないでいてくれるだけで我慢するべきかもしれない。
 慈しむように撫でる。
「オレのレーン…」
「杖の名前?」
 質問に頷くレカオーを見ながら、ワルネミュンデは紅茶を一口すすって眉をしかめる。
 口の中が切れているようで、熱い液体は傷に染みた。
 そして、ロキエが砂糖を二杯も入れているのを見て顔をしかめるが、消費エネルギーから見るとそのくらいがちょうど良いのかもしれない。
「…10年でしょ?」
 ぼんやりと呟くホノファーナに頷いて見せる。
「納得するわよ」
「え?」
「ハンスリックも」
「……そうかな」
 曖昧に微笑むと、ホノファーナはあらぬ方を見やる。
「大体あなたのせいじゃないのよ、そんなの。あなたが原因だったとしても、あなたが悪いわけじゃないわ。原因なんて、不条理で無人情な偶然なのよ。運が悪いとか、そういう程度。偶然の運命に巻き込まれただけなんだから、不運としか言い様がないわ」
 そう言われて、抱えていたものがすっと軽くなった感じがした。
 不運だった
 運命だった。
 それを自分でも幾度となく考えたが、他人に言ってもらうとずっと気が楽になる。
 自分の内側からくるものは自分勝手に作ることができるが、外から言われることは自分ではどうしようもない。
 少なくとも、ホノファーナはそう思ってくれたという事だった。
「あなたがハンスリックを消したわけでも、ドラゴンに街を襲わせたわけでもないわ。そういう気もなかったし、願ったこともないんでしょ?」
 赤い瞳がワルネミュンデを捕らえる。
 それが不意に厳しく眇められた。
「すべての原因があなたにあるわけじゃないから、一人で背負い込むのはやめなさい」
 ロキエも食べながら、思い出したように口を開く。
「ひとつのことが原因で最悪の事態にはなり得ないって、ツルアもよく言うだろ」
「世界の全ては歯車に取り込まれていて、あなたもそのひとつなのよ。誰でもきっかけになり得る、それが今回はたまたまあなただっただけだわ。……―――帰るわよ、レカオー」
 そういって、ホノファーナはおもむろに立ち上がった。
 スタスタと扉に向かっていくホノファーナをレカオーが慌てて追う。
「ホノファーナっ。待てって。ホントにいきなりなヤツだな…」
 うんざりするレカオーを見てワルネミュンデが苦笑すると、ホノファーナは急に立ち止まって振り返る。
「リドラエルの問題は、あなたが片付けなさい。明日になってもまだ私が狙われるようなら、今度は容赦しないわよ」
「グーで殴るってコト?」
 訊ねると、無言でニコリと笑い、ホノファーナは部屋を出ていった。
「こらっ。自分の都合だけで動くなって言っただろ…っ」
 そう文句をつけながらレカオーもその場を去ってしまうと、ロキエは大きく溜息をついた。
 そして、微苦笑しているワルネミュンデに目をやる。
 なんとなく、気まずい思いがした。
「あー…――オレも、ホノファーナの言ったことには賛成だぞ。お前が一人で背負い込むことはない」
「そうだな。ホノファーナに言われて肩の荷が下りたかもしれない」
 今まで見てきたワルネミュンデは、そんな重い荷物を背負っているようには見えなかった。
「……―――フラフラ遊んでるようにしか見えなかったがなー…」
 脱力したように机に突っ伏する。
 何も考えず楽に生きてると思っていたのが覆され、今までのワルネミュンデと今ここにいるワルネミュンデがどうにも一致しない。
 知らない人間になったような気がしてなんとなく悔しかった。
 それに、ロキエはハンスリックのことも知らなかった。
「拗ねるなよ、ロキエ」
「…誰がっ」
 顔を上げると、いつもの笑みが浮かんでいた。
「やっぱりホノファーナと出会ったのは運命だったよ」
「よかったな、嗅覚が正しくて」
 フンと顔を背ける。
「ホノファーナを初め見た時、ハンスリックに似てると思ったんだ」
「……ふーん」
「汚れなく凛として気高く、堂々としていて誇り高そうだろ?ハンスリックもあんな感じだったよ」
 ロキエには、単に偉そうに見えるのだが、ワルネミュンデにはそう見えるらしい。
「まあ…、毅然として気丈そうだな」
「ちょっとやそっとのことでは参らないタイプだよな」
「そりゃそうだろ。その辺はオレが保証する」
「アリスト族に追われ続けても耐えられそうだし」
「そうだ……な…」
 なんとなく悪い予感がして口を噤む。
 横目で見ると、ワルネミュンデは表面だけの笑みを浮かべている。
 そして、不審げなロキエと目が合うとニコリと笑んだ。
「せめてオレの頬の腫れが引くまでくらいの期間は逃げ続けてもらうよ」
「…――悪人だな、やっぱり…」
 肩を落とすと、ワルネミュンデは艶然と笑む。
 以前の調子が戻ってきているらしいと思うと、頭痛がしてきた。
「オレって意外と殴られやすいんだけど、あこまで躊躇なくやられたのは初めてだよ」
 顔がいいからって何でも許されると思うな、という台詞はよく聞かされた。
 その割に力を込めない。
 きれいな顔をしているというだけで殴りにくいものらしい。
 完璧に作られたものは保存しておきたいと思うのが人間の心情で、完成品は壊したくないようだった。
 それが、ホノファーナには通じない。
「口の中は切れたし、頬はまだヒリヒリするし。ハムサンドも血の味がしたし」
 やられっぱなしでおとなしくというのはやっぱり納得がいかない。
 そのくらいの報いは、ホノファーナにも受けてもらうのは当然だ。
「…まあ、ホノファーナなら無事に切り抜けられるか……」
 ロキエも承認したのを聞いて、ワルネミュンデはニッと口角をあげた。



 ホノファーナの一歩後ろを歩きながら、レカオーは微笑む。
 会話の全てを聞いたわけではないが、ホノファーナがワルネミュンデを慰めているように思えた。
 自分勝手に16年間生きてきて、ようやく人の気持ちにも意識を向けられるようになったのかもしれないと思った。
 が、ホノファーナは不愉快げに眉をしかめていた。
「まったく…」
「何?」
「ワルネミュンデよ。一人よがりって嫌いなのよ、私は。一人の人間にそんな大きなモノが動かせるわけないでしょ?」
「大きなモノって?」
「運命よ。…――たかだか一人の人間よ?全体を巻き込む力が、そんなに大きいわけないわ。ああいう逆特別思想ってホント、嫌気が差すわ」
 なんとなくガックリきてしまう。
 ワルネミュンデのことを思ってのことでもなく、単に自分の気に入らなかっただけなのだろうかと思うと、やはりホノファーナはホノファーナだった。
「でも、ワルネミュンデも救われたような顔してたじゃん」
「言っておくけど、別に救いたかったわけじゃないわよ。私が言ったくらいで救われた気になるのは、ワルネミュンデが救われたいと思っていたからだわ。10年も償ってきて、そろそろうんざりしてたんじゃないかしら」
「結果的にはうまくまとまったんだからいいじゃん」
 レカオーが笑みを見せると、ホノファーナは小馬鹿にしたような目を作った。
 分かってないというように、目を瞑って首を振る。
「ワルネミュンデがおとなしく改心すると思うの?そんな簡単に人を信じてるとバカを見るわよ、レカオー」
「だって、話し合いはうまくいったんだろ?」
「表面的に」
「…って、内心納得してないってことか?」
 不満そうに口を尖らせる。
 ホノファーナがワルネミュンデをまるで信用していないのが気に入らないらしい。
「だって、腹を割って話し合ったんだろ?」
「人付き合いは腹六分って言うでしょ?」
「オレは言わない」
「じゃあ、正直者はバカを見る」
「そういう時もあるかもしれないけど、そうじゃない時もある」
 すかさずそういうと、ホノファーナは溜息をついた。
「あなたはそうじゃない方を信じてバカを見てなさい、一生」
「お前こそ生涯疑心暗鬼に捕らわれてろよ」
「バカを見るよりよっぽどマシだわ」
 ホノファーナは、レカオーの反論を無視して夜空を仰いだ。
 月がなく、いつもはその光に霞んで見えない星も見える。
 満天の星空だった。
「ハンスリックは、森の歪みに消えたのね、たぶん…」
「何それ」
「ドラゴンの森で忽然と人が消えることがあるそうよ。次元の狭間に迷い込んだんだっていってたわ、ワルネミュンデは」
「興味あるのか?」
「ドラゴンの宝玉より面白そうだわ」
「……結局お前って何でもいいんじゃん」
 とにかく、自分の力を試したい。
 天才だとか人に言われても、実感がない。
 だから、レジアの村を出たのだろうか。
 自分で納得できる何かを見付ければ、それで満足がいくのかもしれない。
「つまり、欲求不満だな」
「そうよ。せっかくある才能を使わないのはもったいないでしょ?」
「使い道がなくて力が有り余ってたってコトか。だから無茶苦茶なのか、ホノファーナって」
 妙に得心したレカオーが気に入らなくて睨む。
 自分で自分の才能を認めている分、何にも使えないのが不満だった。
 時代が時代なら魔物や魔王がいた筈なのに、自分は時代を間違って生まれてきたとしか思えなかった。
 天才と言われるならそれらしい事の一つや二つやらなければという気持ちはあるのに、何をすればいいのか具体的には見つからない。
 何をやっても完璧なわけではないが、人より突出したものを有効に利用したいのだ。
 それでドラゴンの宝玉を手に入れることを考えたが、もっと面白そうなことを見つけた。
 やるべきことが見つかって、ホノファーナはなぜか安堵していた。
 何かしていれば許されるかもしれないと思える、と言ったワルネミュンデの気持ちが少し理解できるような気がした。




 その後―――…。
 ホノファーナは予想通りアリスト族に追われるはめになった。
 何日か逃げ回り、唐突にそれは終わる。
 ワルネミュンデの仕業だと分かっていたが、仕返しはしなかった。
 そして、ドラゴンの里に滞在し、森の調査を始めた―――……。


END



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