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――葉南高校 「おっ!? おおお〜…!」 同じ電車できたものたちより遅ればせながら、桂介は合格者の番号が張り出されている掲示板に向かいあっていた。 駅から徒歩5分の間に気を取り直し、明るい未来を考えることにしたのである。 「あ、あったぜ、亘。117!」 「ほ〜、良かったな、桂介」 「うお〜、これで共学〜っ。バラ色の学生生活っ」 さっきの屈辱など忘れ、自分の番号を何度も見てはしゃぐ。 人垣の後ろから見ているのだが、視力抜群の桂介は早々に自分の番号を見つけた。 「亘は? 177だっけ?」 「俺、目悪いから見えないんだけど」 「バカ、先に言えよ、俺が見てやる」 機嫌よくまたもや自分の番号を見てから、数字を追って亘の番号も探す。 「あ…っ」 177を見つけ、傍らの亘に笑顔を向ける。 「あった、あったぞ。おお〜。良かったな、亘、これでお前も男の園から解放だ」 「なんだ、残念だな」 「お前な〜、素直に喜べよ」 「あー、嬉しい、嬉しい」 「俺とお前の前途には希望がいっぱいだぞ、亘」 これからの3年間、花のある生活がここに保証された。 桂介が今後のことを思い心底ウキウキしているときだった。 合否を確認し終えた者が、喜んでいたり、落ち込んでいたりしながらも掲示板から離れていっていたのだが。 「ぎゃ〜〜〜〜っ」 耳元とはいかないまでも、ごく近い辺りで下品な叫び声がして、多数の者たちがビクリとからだを震わせた。 下品ではあるが女の声。 しかも、さっき聞いたような声だった。 桂介の顔が見る間に不機嫌になり、声の主を目で探した。 背伸びすると、人の集まっている一部に人の輪ができているのが見えた。 そのまま、人をかき分けて輪の中心へ向かっていっていくと、案の定中心は黒服の女だった。 仁王立ちで、仰向けになった男を見おろしている。 今投げられましたという格好の男は、しかしにやけた顔でヘラヘラしている。 逆に黒服の女のほうがぞっとしたように鳥肌を立てている。 「山下〜…! なんでテメーがここにいるんだっ」 「愛しのサクヤがちゃんと葉南に合格したのか確認するために決まってるだろ」 「…………」 「イタ、痛い、ヤメテ、ヤメテ」 不愉快な顔をして、黒服の女――サクヤはゲシゲシと無言で男を足蹴にしだした。 「自分の合格発表はどーしたんだよ、お前の学校はあっちだろーがっ」 そう言って指差した先は、葉南高校の隣り、名門私立高校である。野次馬からかすかに感心するような声がしたくらい優秀なところだ。 「やだな〜、推薦で一足早く合格決まってたんだよ〜ん」 性格はともかく頭はいいらしい。 「だからって頼んでもねーのに人の合格発表に現れるな、くそったれ」 「だってちゃんと合格してもらわないと一緒の電車に乗れないじゃないか」 「なんで俺がお前と一緒に登校しなきゃならねーんだ」 「変な虫がつかれると困る。俺がちゃんと見守っててやらないとな」 ――チラ なぜか山下はたくさんの見物人の中から桂介を選んで視線を合わせた。 みんなを一通り見たというのではなく、ぴたりと真っ直ぐな目線である。 「余計なお世話だ、気色の悪いことを言うな」 「ぐえ…っ」 山下は意識して桂介を見た感じだが、サクヤのほうは全然気付いてない。 さらにぐりぐり踏みつけられ、山下はうめきを漏らす。 せっかく合格したのに、変な揉め事に巻き込まれたくないのは当然で、周囲の者たちは遠巻きに見ている。 しかし桂介は、ちょっと前の自分を思い出してイライラした。 駅では油断して投げられたが、今度はそうはいかない。人前で恥をかかされた恨みはそう簡単に捨てられない。 「おい、一方的な暴力はやめろよ」 ――じろっ 「う…」 サクヤはすぐに桂介を突き止め、鋭い目で射るように見た。 凄みのある目で、ちょっとだけ怯む。 妙な迫力を伴っている。 心の底から苦々しさが溢れているようだった。 「俺を責めるということは、お前は後ろから擦り寄られて頬擦りされても平気なんだな」 「へ?」 事情を知らずに噛み付いてしまったが、今の一言で察した。 サクヤのこの異常なまでの迫力は山下に後ろから抱きつかれて頬擦りされたためなのだ。 それに気づいて桂介は思わず頬を引きつらせる。 それは誰が見ても山下に非がある。 だから誰も山下に味方しなかったのかも知れないと思ったが、しかし、時既に遅し。 「お前が変態趣味を許せるのは分かったから引っ込んでろ」 「お、おいおい、それじゃ俺が変態みたいだろ!?」 「後ろから擦り寄られて頬擦りされて平気なのは変態だろうが」 「だ、誰が平気だって…っ。そうじゃなくて、俺は無抵抗な人間を足蹴にするのは良くないって――」 「電車で三人からいっぺんに痴漢されるより不快だ。俺はそんなの耐えられねーんだよ、お前と違って」 「だ、だから俺がどうとかじゃなくって…っ」 周りの視線が突き刺さってくるのを感じる。 そういう人間だと理解されまくっているらしい。ずいぶん雲行きがあやしい。 どう言えば誤解されないですむのか考えるが、口ではダメっぽい。どんどん変態扱いされてしまう。 直情的に首を突っ込むなど迂闊だった。 このままではバラ色の3年間が失われてしまう。なんとかせねばと、桂介は必死である。 「と、とにかく、暴力はよせって言ってるんだよ」 「しつこいやつだな。やんのか?」 サクヤが挑発の構えを見せた。 桂介は口ではなく腕での勝負に持ちこめたことを安堵した。 一応空手の有段者なのである。 駅では油断以上の油断をして投げられてしまったが、面と向かって開始の合図のある勝負でなら負ける気がしない。 相手は華奢な女子である。 女相手にケンカというのも充分恥ずかしいのだが、このときそれには思いいたらなかった。 サクヤが余裕ぶって挑発している。 さっき投げられたのは完全に自分が油断したからだと信じ込んでいる桂介は、今度は油断しないでちゃんと勝負するつもりだった。 それで負けるとはチラとも考えていなかった。 ――ドカ、バキ、ゲシ…ッ 「い、イタタ、参りました、スイマセン」 って、ぅお〜〜〜っ、なんで俺が謝ってんだ…!? この女強えっ!? 桂介は地面に伏され、後ろ手に手を取られて踏みつけられていた。 一瞬とも言えるような早業で、なにをどうされたかよく分からなかったが、完全に負けてしまったということだけは誰の目にも明らかである。 野次馬たちの中心で許しを請う桂介の腕を解放し、サクヤはフンと鼻で息をつく。 とりあえず手は自由になったが、背中にはまだ靴の裏の感触がある。 それが離れていくのと同時に、呆れた口調の言葉がのしかかった。 「ったく、変態趣味は隠れてやれよ、お前ら」 「そ、それはちが…っ」 「そーだそーだ、堂々とやったっていいじゃないか」 「ば、バカ、反論はそこじゃねーだろっ」 自分が変態扱いされていることを気にしない山下と一緒にされることは、桂介には非常に迷惑だ。 違うことを主張しなければならないのに、サクヤは桂介を放置して山下に不快感を向ける。 「まったく、どっからでもわいて出やがるな、お前は」 「神出鬼没は俺の得意技だ」 「害虫かよ」 「迷惑そうな顔しても無駄だぜ。お前を理解できるのはこの世で俺だけだからな」 「ふん、ばーか」 「お前だってよく分かってるんじゃないのか?」 「…………」 「あいつじゃ力不足だぞ」 「うるせー、お前に関係ねーよ」 「きっとお前は俺を頼ってくる。宣言してやる」 「知らねーよ」 山下の言動が気に入らなかったやつあたりか、サクヤは山下から桂介に目を移してしかめっ面を向けた。 「弱いくせに喧嘩売るんじゃねーよ」 「お、俺は別に弱くは…」 ないはずなのだが、こうもあっさり負けてしまうと自信が揺らぐ。 受験をいいわけに怠けまくっていたために、ずいぶんと弱くなったのかも知れないと、不安になった。 サクヤが踵を返すと、進行方向の人垣にざっと道が開けた。 それにぎょっと怯みながらも、サクヤは黒髪をなびかせてその中央を堂々たる姿で歩き去っていった。 ――ざわざわ 桂介の周りから人々が散ってゆく。憐れみの視線を残して…。 消してくれ、俺を。記憶の中から。 そう必死で願ったが、忘れられない出来事として人々の心の中に残ったのは間違いない。 入学して早々の話題はこれになる確率はかなり高い。 そう思うと更に落ち込んでしまう。 桂介は地面に突っ伏して己のふがいなさを呪った。 「大丈夫か、桂介」 「わ、亘…。伝説には聞いてたが、女ってマジで口が達者なんだな…」 「口だけならともかく、女に腕でも負けるとは…、ずいぶんとうちの道場の名を汚してくれたな」 「う…」 言い返す言葉が見つからない。 「どんだけ鈍ってんだよ」 「こんなはずじゃなかったんだけど…」 「でも実際負けてるし」 「で、でもあいつも…あのサクヤって女も只者じゃねーだろ?」 「ケンカ慣れしてそうではあったが、だからって負けるとはなぁ」 「自分で自分が信じられねー…」 「仕方ねーやつだな」 「どうしたらいいんだ、俺は。このままじゃ情けない高校生活になっちゃうんじゃないかっ?」 「うーん、それはありうる。みんな見てたしな」 「ぅお〜〜っ、最悪だっ。男子校より地獄じゃねーかっ」 「まあ、自業自得っつーか。やましい心の隙につけこまれたんじゃね?」 「う、たしかに…」 「みんなが今日の出来事を忘れてくれるよう祈るしかないけど、強烈な印象残したと思うぜ?」 「く…っ、こうなったら入学式に再戦だっ。公開で叩きのめしてやる」 「小学生じゃないんだから女と力で張り合おうってのは間違ってるぞ?」 「あれは力じゃない。技だ。奴には技がある。技同士の戦いに男も女もない」 「そうか? じゃ、また負けないように鍛えろよ」 「うお〜っ、春休みの間に絶対強くなってやるっ」 決意して拳を握る。 心の中は打倒三条沙久耶に燃えていた。 「亘っ、今から帰って特訓だっ」 「え〜、今日くらい休みたいぞ、俺は」 「バカいうなよ、俺がよわっちいレッテル貼られたままだとお前んちの道場も困るだろ?」 「困るというより迷惑だ」 「だったら協力しろ。俺を強くしろ」 「はいはい…」 駅で帰りの電車を待つ間、沙久耶はなるべく目立たないようにホームの端のほうにいった。 それでも先ほどの一部始終を見ていたものからはちらちら視線がよこされる。 幸い駅員が電車から飛び降りた女子生徒を探している様子はなく、沙久耶を見咎めて注意をするということはなかった。 「やれやれ…」 高校生になったのだし、ああもすぐ暴れるつもりはなかったのだが、山下に出てこられては忍耐が持たない。 ちょっと反省しつつも、仕方ないことだと言い訳する。 「目立ったことするなよ」 後ろからかけられたのは、良く知る声だった。 「海江田、いたのか?」 振り向くと、ひょろっとした長身の男が肩をすくめている。 幼馴染の海江田である。 いつもなら、ああいう場面には飛び出してくるくせに、今日は見ていただけらしい。 「桂介が出ていくのが見えたからな」 「桂介って、さっきの? お前の知り合いか?」 「同じ道場に通ってる。黒帯だぞ?」 「手ごたえなかったけど?」 「けっこう負けず嫌いだから、再戦申し込まれるかもな、お前」 「迷惑な奴だ」 「良い奴だぜ?」 「まー、そうだろうな」 電車から飛び降りた見ず知らずの女を注意するくらいには信念のある男なのだろう。 それならなおさら、自分には関わらないほうがいいと、つい考えてしまう。 「お前から、三条沙久耶には近づくなっていっといて」 「ああ、そうだな。奴の気性からいって負けたまま終わるつもりはないだろうし、あのまま道場に直行だな」 「直情型か」 「感情が行動に直結してるタイプだよ。お前と似てんじゃね?」 「うだうだ考えるのは嫌いなんだよ」 「もうちょっと慎重になれよ?」 「…うっせーな」 たしかに、乗り過ごしたくらいで電車から飛び降りることはなかったし、腕を捕まれたくらいで投げ飛ばすこともなかった。山下に頬擦りされたくらいで騒ぎを起こすこともなく、その仲裁に割り込んできた男に再戦を決意させるほど人前でこてんぱんにすることもなかった。…かもしれない。 ちょっと納得いかない気もするが、もう少し冷静に対処するのが良かったのだろう。 「だいたい、なにか忘れてねえ?」 「ん――…? あ…っ」 サクヤが思い出して呆然と口を開けた。 「俺、合否見てねえ」 「だと思って見ておいてやったぞ」 「マジ?」 「ああ。合格。お前も俺も」 「そーか、よかった」 自分の番号を探している間に山下が現れ、桂介を叩きのめして帰ってきたため、すっかりなにをしにいったのか忘れていた。 それが海江田には想定の範囲内だったらしい。 「お前ってすごいよな、なんでも予期できて」 「そうでもねーけど」 なんでもではなく、沙久耶の事は分かるというのが正しい。 ほとんど生まれたときからの付き合いなのだ。 そしてもう一人、そんな人物がいたのだが…。 |