
|
――根岸流道場 亘の家である。 合格発表を見にいった帰り。 海江田の予想通り、その足でやってきたのだ。 とりあえず桂介は亘と軽く手合わせすることにした。 受験勉強をしていた半年でなんとなく体が重くなったような気がするが、それがどの程度なのか知りたい。 「あ〜あ…」 胴着に着替えて柔軟をしてみると、体も固くなっているのに気づいてちょっとショックを受ける。 5年間の継続が、半年の休止ですっかり無駄になった。 溜め息が出てしまう。 落ち込んでいると、道場の入口のほうから声がかかった。 「桂介」 「ん?」 住居入口のほうから亘がくるのを待っていたので、体を反転させて向きを変える。 隣町からこの道場に通う同学年の男を見つけ、桂介は軽く手を上げて応えた。 「海江田じゃないか、久しぶりだな」 久しぶりなのは、桂介が受験のために道場通いをやめていたからだ。 「半年見なかったけど、なんか強そうになったな、海江田」 しかし、海江田は逆のことを思った。 半年前ならああまでサクヤにあっさり負けてしまう男ではなかったはずが、こうして近くで見るとちょっと納得してしまう。 「お前太ったよな?」 「う…、いきなりそれかよ。体重は別に変わってないのになぁ」 「要するに筋肉落ちて脂肪がついたんだろ?」 「そうなるのか、やっぱ」 半年ぶりに会ったものにそう言われるくらいである。 たしかにそうなのだろうと、腹部の脂肪をつまむ。 思ったより多くつまめてしまって、またちょっと落ち込む。 「ビックリしたぞ、合格発表見に行ったらお前が三条沙久耶にねじ伏せられてて…」 「うお、お前、目撃者?」 「他の奴に知り合いだと思われたくなくて声はかけなかったけど」 「お前な〜」 しれっと不人情なことを言う海江田をにらむと、じっと真面目な目で見つめられた。 「お前、変態だったんだって?」 「ち、違うって言ってるだろうが。つーか、お前同じ高校なのか?」 「ああ、葉南高校だ」 隣り町なので高校の校区はかぶるらしい。 「で、あの女のこと知ってるのか?」 「三条沙久耶だろ? 同じ中学だし、有名だからなあいつ」 桂介はなるほどと納得する。 振る舞いにまるで地味なところがないのだから、目立って当然だ。 田舎の中学生である。今日みたいな騒ぎを2、3回以上繰り返していれば嫌でも有名になるだろう。 「あんまり近づかないほうがいいタイプだ」 「ああそうだよな。先に言ってくれ、そういうことは」 軽く恨みを込めたが、責めるのはお門違いである。 「いきなり三条に喧嘩売る奴がいるとは思わなかったし、まさかそれがお前だとは」 「誰も助けに入らないから仕方ないだろ」 「お前のそういうところは好きだな」 「男に好かれても困る」 「変な意味に取るなよ、変態」 「だ、だから俺は変態じゃない」 沙久耶のせいで変態という単語に過剰に反応してしまい、桂介は動揺を隠せない。 海江田はそれ以上特に気にしないらしく、また忠告を繰り返した。 「とにかく三条沙久耶に関わるとろくなことはないぞ。あんまり関わらないようにしろよ」 「ああ、そうするよ」 「仕返しとか考えないほうがいいぞ」 「う…」 「…なんだ、もしかして考えてたのか?」 言葉に詰まったのを図星とみたのか、海江田は呆れた目を桂介に向ける。 桂介は反抗するように眉を寄せる。 「あんな衆人観衆の前でやられっぱなしじゃ情けないだろ?」 「もういっぺん恥かくことになるぞ、なかったこととして記憶から消すほうが身のためだ」 「俺はそうしたいけど、みんなそうしてくれないだろ? 人々の記憶に残ってるんじゃ意味ないじゃん」 「みんなどうせ顔なんて覚えてないし、外見の変更をお勧めするね、俺は。いっそ坊主にでもしてこいよ」 「それじゃ俺の気がすまん」 「…お前のそういうところは好きだけど、もう関わるなって」 「いちいち好きとか言うな」 「なにテレてんだよ、変態」 「だ〜っ、とにかく、負けたままじゃイヤなんだよ」 「聞き分けのない奴だ。本当に関わらないほうがいいんだぞ?」 「逆にそこまで俺を三条に近づけたくない理由はなんなんだ」 「勘違いするなよ、別にお前をとられたくないとかいう理由じゃないから」 「だ、誰もそんなこと言ってねーだろ。お前のほうが変態じゃないのか?」 さらりと言われると、桂介のほうが焦ってしまう。 海江田のほうはまったく平静だ。 「仕方ない野郎だな、人の親切な忠告を素直に受け入れられないなんて」 もっともらしい表情で、桂介に顔を近づける。 「奴に近づいていろいろひどい目に合わされた奴がいるんだよ」 「はは〜ん。お前とか?」 揶揄するように言うと、海江田はむすっと不機嫌な顔になる。 「あのなぁ、ひねくれたものの取り方をするな。お前を心配してやってんだろ」 「あーそうですか」 「奴にはいろいろあるんだよ。強いからかなわないってだけじゃなく」 「はー、もー分かったよ」 「とにかく、三条沙久耶に深入りするなよ?」 「はいはい」 これ以上反抗しても、同じやりとりのくり返しになる。 とりあえずうなずいておくが、本心から納得してないことは海江田も承知のことだろう。 「まあ、なにかあったら手助けくらいしてやるから、俺に言ってくれ」 「なんだ、そりゃ」 近づくなと言っておきながら、そのセリフは矛盾している。 が、桂介の性格を分かっての事。 「どうせ俺がどれだけ言ってもお前は自分の意志を通すタイプだ。そういうところが好きなんだ」 「わ、分かったよ、忠告は」 「困ったら俺に言えよ?」 「うんうん」 この状況を脱したいだけのために従順にうなずいて見せる。 「よし、じゃ」 「ああ」 桂介が言うことを聞かないのはわかっているだろうが、言いたいことを言い終えて海江田はすんなり帰って行った。 それにしても、道場に用があったのではなかったのか疑問である。 たまたまそこにいた桂介に忠告したのではなく、忠告をしにわざわざ桂介を探しにきたのではないかと思ってしまう。 なんとなく妙に感じたが、桂介には裏があるのかないのかよく分からなかった。 とりあえず頭の隅に入れておくことにし、柔軟体操を再開した。 「待たせたな、桂介」 「あ、亘。今、海江田きてたけど帰って行ったぞ」 「え、帰った? なにしにきたんだ?」 毎日のように道場にくるので、来たことは変ではないが、なにもせずに帰っていったというのを不思議に思う。 「まあ結局のところ三条沙久耶に近づくなってことを言いたかったらしい」 「三条沙久耶ってさっきの?」 「ああ。中学が一緒だったんだと。あいつに関わるとろくなことにならないからって」 「ふーん。珍しいな、海江田って人に干渉する性格じゃないのに」 「そういやそうだな」 いつも我関せずな顔をして、集団になるのを好まない。 おせっかいの反対語が似合うタイプなのだ。 「よっぽど悪い奴なのかな、三条沙久耶が」 「ま、とにかく入学式で打倒できればいいんだ、俺は」 海江田の忠告は忠告として、自分の意志が優先だ。 桂介は沙久耶に勝ちたいのである。 「まー、そんじゃ怪我しない程度に軽くやってみるか」 「手加減してやるって」 「お前がだ」 「そんなことよくいえるな、お前。ま、そこがいいんだけど」 「お前まで…」 「ん?」 「いや、なんでもねー」 ちょっとばかりうんざりしつつ、桂介は久しぶりに来た道場で、気分を改めて深呼吸する。 半年間怠けていた体に、感覚が戻ってきたような気がした。 闘う者の鋭い目をして、亘と対峙する。 「んじゃ、かかってこい」 「いくぜっ」 そして、足を踏み出し、攻撃を繰り出した。 |