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――病院 桂介は白い包帯の巻かれた中指を見てため息をついた。 今日一日、ツキには見放されたが、突き指にはなった。 亘との手あわせとかいう段階の前に、自分ですっ転んで床に手をついた。 それだけでこのざまである。 どうも沙久耶と会ってからろくなことがない。 ここのところの一連の不運に加え、手の怪我。 しかもかかりつけの接骨院に行けばなぜか臨時休業。 そして、仕方なくここへやってきたわけだが…。 「よう、変態」 「誰が変態だ、乱暴女」 病院の待合室でばったり沙久耶に出くわした。 沙久耶のほうも一瞬ギョッとした表情を浮かべたが、それは桂介の反応である。 「高橋桂介だ、俺は。ちゃんと名前で呼びやがれ」 「ケースケ? ふーん」 「ったく…、なんでこんなとこでまたお前に会わなきゃならねーんだよ」 「自業自得じゃねーの? また誰かに痴漢しようとして反撃食らったんだろ?」 「またとか言うな。一度だって痴漢なんてしてねーよ」 「される側がいいんだっけ?」 「バカ言うな」 「どっちかといえば?」 「するほうがいいに…って、なにを言わせるんだ、お前は」 のせられてするすると本音が出そうになった桂介をサクヤが面白そうに見ている。 面白がられたくはないが、沙久耶に悪意も敵意もないので敵愾心を燃やすのがバカらしくなってくる。 「まー、せっかく同窓になったんだから仲良くしよう」 すっと右手を差し出す沙久耶をにらむ。 「無理だろ」 「なんでだよ」 「人前であんだけ恥かかせておいてその不服そうな顔はなんなんだ」 「お前のほうこそなんなんだ。多少の変態趣味は許容してやるっつってんのに」 「だから勝手に俺を変態にするな」 「…なるほど、自覚がないのか」 「だから〜…。――くそ、どっちにしろ要するに俺とお前は仲良くなれないんだよ」 「あっそ」 「だいたいな、突き指してる人間に握手を求めるって、嫌がらせだろ」 「おお、そうだな」 白々しくうなずくところがまた憎らしい。 「それに病院に黒づくめって、どうかと思うぞ?」 その感想には少しカチンと来たらしい。沙久耶はむすっと顔をしかめた。 「ま、お前にその気がないんなら別に仲良くなんなくてもいいけど」 「…………」 一歩引かれるとちょっともったいない気がしてきた。 中学を男子校で過ごした桂介としては、女友達というものにはちょっとした憧れがある。 顔は充分にかわいいし、せっかく向こうからアプローチがあったのに無下にするのは強気すぎではないか。 ちょっと考えていたが、沙久耶は興味を失ったらしい。 桂介の右手中指の白い包帯を見ている。 「突き指か。なにしてたか知らないけど気をつけろよ?」 打倒お前の特訓中だからお前のせいなんだよと心で言いがかりをつけ、ふと疑問が浮かんだ。 「お前がここにいるほうが不思議だ」 「俺? 俺はまー…――」 沙久耶がちょっと焦ってごまかすような顔をしたのだが、その先に一人称が気になった。 「女のくせに自分のことを俺とか言うのはどうかと思うぞ?」 「…………お前さ、いちいち人の自主性を尊重しないよな」 「大げさに言うなよ、ちょっとした個人的な意見だ」 「会ったばっかで人の服装にケチつけたり、言動を制限したり、立派な検閲官になれるぞ、きっと」 「ああ、悪かったよ、もう言わねえ」 「別に言ってもいいけど、俺の耳に入れんなよ。陰口でも叩いてろ、小心者」 「だから、謝ってんじゃん…」 「…まあ、許すか」 ムキになるのがバカらしくなったようで、あっさり引いた。 「さて、そんじゃ、お大事にな」 「あ、うん」 ニコリと笑顔を作った沙久耶に、一瞬どきりとする。 笑みを向けられ動揺したまま、桂介は沙久耶の後姿を見送った。 後ろからみると長い髪が腰のほうまで伸びて背中を覆い隠している。 あの性格からいうと短い髪のほうが似合いそうなのに、意外と長いのが好きなのだろうか。 顔がどちらかといえば和風なので、黙っていれば似合うのは確かではある。 「…つーか、なんでここにいたのか聞きそびれたな」 怪我人にも見えないし、ましてや病人にも見えない。 「ってことはお見舞いか?」 自分がボコボコにした相手にお詫びか、逆にとどめをさしにきたのかもしれないと考えたが、結構あっさりした軽い性格っぽいので、そういうことはないかもしれない。 「根に持つ気質っていうなら、俺のほうがよっぽど…」 色々憶測していたが、ふと気づいて首を振る。 「なんであいつに興味持ってんだよ、俺。入学式で打倒するって決めてるのに」 このままのペースでいくと、仲良くというより子分にされそうな気がする。 とにかく、勝負して勝つ。それからである。 右手を見つめ、気合いを入れなおす。 早く治して鍛えなおさねば間に合わない。 しかし、桂介の不運の効力は持続中だった。 そろそろ清算窓口に呼ばれるだろうと待っている横で、子供2人がはしゃぎはじめた。 「わーい、わーい」 「こっちだよ〜」 うるさい子供だと迷惑に思ったが、放置しておいたのが間違いだったようだ。 名前を呼ばれて普通に清算を済ませ、財布をカバンにしまいながら玄関へ向かっている横を子供が一人走りぬける。 そして、もう一人がそれを追う。 「わ〜…っ」 ――ドン 肘のあたりに衝撃が。 「イテ。…あっ」 桂介の手の中から飛び出した財布が宙を舞う。 そのまま、窓の外へ。 ――ガサッ 植木の茂みの中へ。 「げ…」 完全に視界から隠され、どこへいったか分からない。 「あ。わ、わ〜、僕知らな〜い」 「ぼ、僕も〜…」 「お、おい、待てこら、ガキっ」 さすがに総合病院で、待合場所自体が広い。 しかも椅子が邪魔で、患者たちもこうなると障害物である。 「わ〜、知らないも〜ん」 「このガキ〜っ」 素早くかけまわる子供二人を桂介は捕まえられずに追いまわす。 どう見ても3人の追いかけっこである。 「こら、君、病院で騒がない」 受付から人が出てくるより早く、通りすがった白衣の男が桂介を見咎めて腕をつかんだ。 引き寄せられてしまい、子供たちには逃げられた。 「しかもその歳で子供にムキにならない」 「は? 俺が悪いの?」 「こらこら、逆切れしない」 「ぎゃ、逆切れ?」 周辺からも視線が集まる。 「そうだよ、良くないよ、もっと大人にならなきゃ。君、中学生?」 「もう高校生だ」 合格の喜びがどこかに残っていたらしく、胸をはってそう言ってしまったが、中学生にしておいたほうが良かったのかもしれない。 入院中のお年寄りっぽい人からの視線が痛い。 この事態はまったく望まないことである。 なぜか桂介が悪者になってしまっている。 「高校生になるんならもう世間並みの分別あるよね?」 「でも、あの子供が走り回ってるから俺の財布が宙を飛んで…」 事情の説明をしたいだけなのだが、どう考えてもいいわけをしているとしか見られない。 当然、医者はやれやれという呆れ顔だ。 その先に続くのはきっと、でもとかだってとか子供じみたこと言わない、だろうと予想し、桂介は耳を閉じたくなった。 医者が口を開きかけたのを見て早足で歩き出した。 「おーい、君…」 「ごめんなさい、すいません、悪かったです」 なぜ逃げねばならないのかと、最悪な気分でスタスタと歩み去る。 浮かんでくるのは沙久耶の顔だ。 なにもかも沙久耶のせいに思える。 「ちくしょ〜」 なにか呪をかけられたに違いないと、ありえないことを考えながら玄関を出て、財布を回収するため裏庭に急ぐ。 「はっ、もしかして海江田の言ってたひどい目ってこのことか?」 沙久耶に関わると不幸に見まわれるとか、そういうことだったりしてと、またもや現実逃避しながら財布が落ちたであろう繁みを捜索する。 なんとか財布を見つけると、医者や子供や沙久耶に会わないように注意しながら敷地の外に出た。 「今日はアンラッキーデーだったんだな」 こんな日もあるさ、明日に期待しようと自分を慰める。 今日はもうおとなしく家に帰ってゆっくり休もうと思いつつ、なんとはなしに病院の建物を眺める。 「…ん?」 屋上に人影が見えた。 「おいおい、8階建てだろ、危ねーな」 柵はあるが健康体なら乗り越えられないこともないくらいの高さしかない。立ち入り禁止になっているはずだろうに、なぜか人がいる。 「…………」 目を凝らすと、髪型や服装が分かった。 「おいおい…。黒づくめで長い黒髪じゃねえか」 亘だったら見えなかっただろうが、視力2.0の桂介には見えてしまった。 間違いなく沙久耶だった。 「何やってんだよ、あいつあんな場所で…」 沙久耶が病院の屋上にいる意味が分からない。理由の見当などまったくつかない。 「…ゆえに気になる」 しかし海江田からは沙久耶に近づくなという忠告を散々聞いている。 実際、見えざる力が働いているかのように不運に見舞われている。 これ以上関わると更にひどいことが起こりそうな気がして、少し躊躇する。 迷信を信じるタイプではないが、自分の感性は信じている。 その感性が、沙久耶には関わりたくないと告げている。 しかし…。 「くっそ〜、ホントに今日はついてない」 見てしまっては放置するのも気が引ける。 桂介はまた病院へ向かって歩き出した。 |