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――そうして聞き出したのが、桂介の現在の行動の源だ。 今の桂介の行動というのは、本屋で医学書を調べることなのだが、いまいち成果があがらない。 昨日はなんとなく言いくるめられて帰されたが、今考えるとありえない。 「背中に羽の生える奇病なんて」 桂介の頑固そうな態度に負けたとしても、医者のくせに案外口が軽いもんだと思ったが、適当にあしらわれただけなのかもしれないという気がしてくる。 普通じゃない光景を見てしまい、あの時は冷静なつもりだったが相当動転していたのかもしれない。 事実、早川の語った仮説を思い返すが、真面目に聞いてしまったことを後悔さえしそうになる。 背中に羽の生える奇病。早川はそう言った。 普段は気にしないし誰もそうとは思わないから気付かないが、沙久耶の背中には羽が平常から存在しているという。 生まれつきではないらしいが、最近急に生えてきたものでもないとか。 コンパクトに折りたたんでいるし、長く伸ばした髪で背中はいつも隠れている。 たしかに、沙久耶の性格で髪が長いのは意外だと、桂介も思った。もっと男っぽい短髪にしそうなのに髪を伸ばしている。 昨日沙久耶があの病院にいたのは、定期診断。奇病だから、医者にみせているということだ。 背中から黒い羽が生え出したら医学的に解決しようと思うよりオカルト的なほうを頼りそうだが、現実に生えてきた沙久耶は医者にみせたのだった。 当人になってみなければ分からないが、案外そういうものかもしれないと納得もする。 早川も最初は混乱したが、沙久耶が患者の態度で接するので、医者として対応することにしたのだという。 否定しようのない事実を目の当たりにしてしまっては、受け入れざるをえないのだろう。 原因とか経過とか結果とかを、知る必要があると。 過去の症例にそういうものがないか調べたり、細胞を取って研究したりしつつも、とりあえず毎月の経過観察を。 一応、普通の生活が送れるように、切除を勧めたこともあったらしい。 しかし沙久耶のほうが嫌がった。そのへんの理由はよく分からない。 それにしてもと、桂介は一人で首を横に振った。 「ありえないよなぁ、背中から羽が生える奇病なんて」 昨日から何度もつぶやいていたために、無意識に口から出た。 完全に自分の思考に入り込んでいたため、周囲をまったく気にしていなかった。 「お前にも分かったのか?」 楽しげな声が後ろからして、ギクリと体を硬直させる。 悪い予感がしてゆっくり振り向くと、すぐ真後ろに桂介を真っ直ぐ見つめている男がいた。 「げ、お前は、昨日の変態」 「よう、同士よ」 にやけた顔で、山下が桂介の肩に手を置く。それを振り払う。 「お前と一緒にするな。俺は変態じゃねえ」 「なんだよ、仲間だろ?」 「ちげーよ、寄るな」 まったく周囲に無関心だったのはまずかったと、今更思ってももう遅い。 しかし、こんな医療書のコーナーになぜ山下がいるのか。 桂介を見つけて同族意識で寄ってきたのだとしたらいい迷惑だ。 山下は桂介の手に持った、内容のさっぱり理解できない小難しい本をのぞきこんでくる。 手にしている桂介自身が理解して開いているわけではないので、何の意味もなさない行動である。 「お前、昨日会ったばっかのくせに沙久耶の正体に気付くとは、さすがだな」 「なんだよ、さすがって……ん?」 そのセリフに引っ掛かりを覚えて、桂介は山下を凝視する。 黒い羽のことは人に言わない約束だが、今の言い回しだとそれを知っていそうな雰囲気である。 しかし桂介は落ちつけと自分に言い聞かせる。 「沙久耶の正体ってなんだよ」 なんのこっちゃという顔を作ってみる。 「フッ。とぼけるな」 「だからなにが?」 まったく理解不能だという顔で軽くにらむが、山下はにやけ顔を崩さない。 「さすが俺の見込んだ男だ」 「なに言ってんだ?」 今のは心からである。勝手に見込まれても困る。 山下はまったく人のいうことを聞かないのがデフォルトなのか、桂介の否定や疑問は相変わらず無視する。 「俺も調べようとしたことあるけど、無駄だぞ。あれは病気じゃない」 「あれって?」 あくまでもしらをきる桂介。 「背中から羽が生える奇病――」 「な、なんだよ、それ」 「――って、お前が言ったんだぜ?」 さすがに頬が引きつる。 たしかに、自分でつぶやいた自覚はある。それを聞かれていたようだ。 そして、それを聞いて山下が声をかけてきたセリフが耳によみがえった。 「さっき、お前にも分かったのか、って言った?」 「分かったんだろ? 沙久耶の背中に生えた羽が」 「お、お前、軽々しく口にするなよ。誰かに聞こえたらどーすんだ」 「聞こえたって誰も本気にしねーって」 「じゃなくて、俺たちの頭を疑われるだろうが」 言うなという約束もあるが、どっちかといえばそっちのほうが大いに問題だ。 それを聞いて人が疑うのは、沙久耶の背中ではなく桂介や山下の頭の中身である。 「なるほど、気の利く奴だ。俺が見込んだだけあるな」 「だから勝手に見込むなって」 理解不能である。沙久耶が山下を嫌がる理由を垣間見た気がした。 しかし、『お前にも分かったのか』というのには微妙に違和感がある。 山下は『分かった』ということだ。 桂介は自力で気付いたわけではなく、ちょっとしたハプニングがあったために『見てしまった』だけだ。 その点からいっても、見込まれるのはお門違いで余計な過大評価だ。 「とにかく、俺とお前じゃ状況が違う」 「秘密を共有したほうが結束が固くなるぞ?」 「お前と結束を固くしてどうするんだよ」 「お前と俺とは同士だろ?」 「違うって」 「秘密を探るなら一人より二人で。連結プレイをしようじゃないか」 「連結ってなんだよ、連携だろ。だいたいなあ、人の秘密を詮索するなんて悪趣味だろ」 「じゃ、なんでこんなコーナーにいるんだ?」 「う…」 「沙久耶に関して調べてるんだろ?」 いいわけのしようがない。 あからさまな証拠を手にしておきながら、どんな否定もできない。 山下は軽く肩をすくめ、なおざりに周囲を見回してから改めて口を開く。 「俺が知ってる情報も別に沙久耶から直接聞いたわけじゃないし、噂話に過ぎないんだけど」 男二人が顔を寄せ合い、声をひそめる。 「3年前に通り魔事件みたいのがあっただろ?」 「そう言えば…確か神楽町でそんな事件があったな」 神楽町というのは桂介の住む町の隣である。 3年前、神楽町でそういう事件があったことを思い出す。 児童が裏山で遊んでいたところ、刃物を持った男に襲われて行方不明一人、重傷一人。 当時は桂介も小学校を卒業して中学入学を控えた春休みだった。 被害者が同い年だったから学校でも家でもずいぶん注意されたが、春休みということもありうやむやになってしまったと、あいまいに記憶している。 「あの事件って結局解決してないんだっけ?」 「してないし、ほとんど続報がない」 「だよな」 たしかに、犯人逮捕も行方不明児童の発見も、被害児童の回復も聞いた覚えがない。 校区が同じならもっと話題になったのかもしれないが、桂介は亘と共に少し離れた男子校に通っていたためよく知らない。 「で、沙久耶の家が神楽町だ」 「…マジで? もしかしてその被害者が…」 「沙久耶だって噂だ」 「…ただの噂だろ?」 「まあな。確証はない。入学式には沙久耶も普通に出席してたし」 「そんな、春休みに重傷を負ったやつが普通に入学式に出れるかよ」 「でも、行方不明の奴と沙久耶は幼馴染だし、いつも一緒にいたんだぜ? これは確かな情報だ」 「そいつ、いまだに見つかってないんだよな?」 「ああ」 「…………」 2人が襲われ、沙久耶だけ助かった。 複雑な気分になってしまう。沙久耶本人はもっと複雑だろう。 「俺も中学は同じだけど、小学校は違うし。同じ小学校のやつらは口が固いし、だいいち春休み中の事だからな」 確かな事実は、春休み中に沙久耶の幼馴染がいなくなったというだけである。そのほかは噂に過ぎない。 桂介は半信半疑だが、なんの確信があってか、山下は噂をほとんど信じているようだった。 「でもな、たぶんだけど、それがきっかけで沙久耶の背中に羽が生えた」 「なんで?」 「重傷の沙久耶の傷は、背中の刀傷だった」 「背中…」 「噂だけど」 「でも、背中か…」 「しかも、その事件後にヘンな噂が流れたの覚えてないか?」 「どんな?」 「巨大カラスの目撃情報とか」 「そういや聞いたことがあるような…」 都市伝説的なもので真剣には取り合わなかったが耳にした覚えはある。 たしかに3年前だった。 ああいう事件があり、町じゅう不安だったためにそういう類の話は結構広まった。 様々いろいろあり、その中に巨大カラスの噂もあった。 桂介は昨日の沙久耶の姿を思い出し、頭を抱えた。 巨大カラスと言われる要素がありすぎる。 「つまり巨大カラスの正体は沙久耶だったと…」 「そう考えるとしっくりくるだろ?」 「疑問は色々残るっつーか、疑問だらけだ」 「でも沙久耶について調べるってのは、当時の傷をほじくり返すってわけだよ」 「う…」 いつのまにか山下の口元に牽制の笑みが浮かんでいる。 好奇心で踏み込む領域ではないと、目が言っていた。 「そういうことだから、素人が迂闊に嗅ぎまわるなよ?」 確信犯的ににやりとした。 事情を教えるというのはポーズで、本当の目的は桂介に警告を出すことだった。 「お前はどうなんだよ」 「なにが」 「お前のほうこそあいつの周りをちょろちょろしてんだろ?」 「俺はなにかあったとき足手まといにならない」 「…………」 桂介を助けるために羽を広げて大量に流血した沙久耶の姿が思い浮かび、思わず黙り込んでしまう。 痛いところをつかれた。桂介がいたためにあんなことになったのをまるで知っているようである。 「俺は一目見てすぐ沙久耶の羽に気付いたぞ」 「そりゃ、見りゃ分かるだろ」 「普通にしてるときにだよ。隠してても俺には分かる。沙久耶に会った瞬間分かった」 「どうやって?」 「いわゆる野生の勘だ」 「なんだ、そりゃ。バカじゃねーの」 そう言いつつも、山下の勘の良さは桂介にも分かっていた。 こういう事態になってみると、昨日高校で沙久耶と対峙した時、山下がぴたりと桂介だけを見たのが偶然とは思えなくなった。 「お前に一般人の感性があるなら、夢だったと思って忘れるのがいいと思うぞ」 |