Crow the fake sun

「黒天使遊戯」-8

 とぼとぼと桂介は帰路を歩く。
 山下から受け取った言葉に敗北感を感じつつも、反論できないために飲み込むしかなかった。
 たしかに桂介にはどうしたって手出してできるような種類の話ではない。
 あからさまに関わるなと牽制され、不愉快ではあるがそうせざるをえない。
 早川にはいいようにあしらわれ、山下からは除け者扱い。
 桂介になにもできないのは明らかではある。
「でも沙久耶自身がそう言ったわけじゃないし」
 と、最後のあがきで一人ごちたが、それも虚しい限りである。
 昨日は沙久耶が目覚める前に早川に追い出されたので、そう言えば礼も言っていない。
 8階から落とされたのを助けてくれたのは沙久耶だ。
 落とされるきっかけも沙久耶に関するような気がするが、結果としては事実助けられている。
 そして、桂介を落としたであろう張本人を思い出した。
 黒い服の大男。
 沙久耶の羽が衝撃的すぎてすっかり失念していたが、あの大男がどうなったのか、今更疑問に思う。
 どこからわいて出たのか唐突に8階建ての病院の屋上に現れ、桂介が沙久耶に屋上まで戻してもらったときはすでにいなかった。
 あの人物がなにものかも謎である。
 昨夜の知りあいのようではあったが、かなり敵対的な印象だ。しかも妙なやりとりをしていた。
 ――しぶとくて悪かったな。
 ――長々待たせやがって。
「…………」
 山下によれば、沙久耶に羽が生えたのは通り魔事件がきっかけである。
 早川も、生まれつきではないが最近急に生えたわけではないと言っていた。
 3年は、最近とは言えないし、待たせるには長い期間だろう。
「もしかしてあいつ…」
 嫌な考えが浮かんだ。
 ――生きているとは思わなかった。
 あの大男はそう言った。
「3年前の通り魔か…?」
 そう思うと、ぞっと寒気がした。
 桂介も、その3年後の通り魔の犠牲になりかけたのだ。
 沙久耶に関わるなと、何人もから言われた。その回答を実感している。
 どうも夢みたいな出来事でぴんときてはいなかったが、新聞に載った事件だというのが現実感を持たせる。
 そうなってみて初めて、自分が殺されかけたのだという事実を思い知った。
「…………」
「おい」
「え?」
 思考に沈んでいた桂介に向け、声がかけられたことに気づく。
 声の主に目をやる。
「げ」
 その風貌にギョッとした。
 年のころは桂介より少し下というところ。服装は着物に似た服で、髪の色は薄茶色。
 しかしなにより驚いたのは、その目である。
 左目は無造作に頭に巻きつけた布で隠しているが、その右目の色は赤。
 一昨日までの桂介なら、ヘンな奴だで終わっただろうが、昨日で世界が変わってしまっている。
 黒い羽の生えた沙久耶、腕力ではないもので桂介を屋上から落とした大男、山下、とくると、目の前にいるものが、人間かどうかを考えてしまう。
 しかしこうも次々とわけのわからない連中が目の前に現れるとなると、沙久耶が疫病神に思えてくる。
 海江田の忠告も、初めから無駄だったのかも知れない。
 桂介の意志とは無関係に巻き込まれている気がする。
「なるほど、ひどい匂いだ」
「は?」
 赤目が顔をしかめて見ているのは、桂介である。
 昨日大男が言い、そのあと桂介も言った台詞である。両者とも沙久耶に対してだ。
 一応辺りを見回したが、沙久耶どころか人っ子一人いそうな気配もない。
 赤目は口の端をあげて桂介を真っ直ぐ見据える。
「お前がシドだな?」
「へ?」
 ――ザラリ
「お、おい…」
 赤目が腰から長い刀を抜き出した。
「…マジですか?」
 この距離で直に抜き身の日本刀らしきものを見たのは初めてだ。
 ぞっとした。身の毛がよだつ。切れ味の良さそうな刃は、見るだけで恐怖を感じる。
 しかも、見るだけではない様子である。
 赤目は明らかに桂介に向けて殺気を放っている。
 そして、手を伸ばせば届く距離で、右手には刀…。
 普通に考えてヤバイ状況だと判断し、桂介は逃げ腰で構える。
 赤目は怪訝そうに首を傾げた。
「…隙だらけだな、お前がシドであるなど、とても信じられん」
「なんのことだ? なにか勘違いしてるぞ、お前」
 意味が分からないことを言われていることに気づく。赤目はなにかを誤解しているらしい。
 しかしフンと鼻で笑われてしまう。
「ごまかせると思うのか? 面倒だ。すぐに終わらせてやろう」
「ちょ、ちょっと待て…っ」
 赤目が刀を構える。切りつけられる前段階だ。
 桂介に対応する術はない。
「こっちは丸腰だぞ?」
 とはいえ得物を持たされても扱う技量はない。
 当然ながら根岸流道場では、刃物を持った相手との対決の仕方など教えてもらっていない。
 こうなると口での抵抗しか対抗する手段は残されていないが、聞いてもらえる気はしない。
「絶対誤解してるって、お前」
「覚悟…っ」
 ――シャッ
 赤目の刀を持つ手に力がこもり、薙ぐような動作をするのを一瞬見た。
 桂介が思わず目をつぶった瞬間だった。
「とりゃぁ…っ」
「ぐぶ…っ」
 まばたきくらいの時間のあと、赤目がうめきと共に地面に転がり、刀が突然現れた少女の足に踏まれているのが目に入る。
 少女は近所の中学校の制服姿で、背中にカバンをしょっている。
「危ないでしょーが、こんなもの振り回して〜」
 顔は生まれつきの笑い顔らしく、陽気な感じに見えてしまう。
 くるりと桂介に向き直り、ニコニコと笑いかけてくる。
「だいじょーぶ〜?」
「え、あ、ああ、ありがとう、助かった」
 わけが分からず、圧倒されるような感じでそれだけ言ったが、よく考えると安心できるような状況ではない。
「く…、貴様…っ」
 赤目は怒りの視線を少女に向けている。当然のことだ。
「しっし」
 犬を追い払うように手を振る。
 桂介はあっけに取られて少女を見やる。
 相手は刀を持った赤目のあやしげな人物である。この余裕がどこから出てくるのか理解不能だ。
 少女は踏んでいた刀を拾い上げ、柄のほうを赤目に向けて突き出す。
「はい、これ。返すからあっち行って」
「って、おいっ。刀を渡してどうするっ」
 焦る桂介をポカンと見上げる。
「あれ? あんたのだった?」
「違うけど、こいつが俺に斬りかかってきたの見たんだろ!? それでなんで武器を返す? 信じられねー」
「まあま」
 なだめるようにぽんぽんと桂介の腕を叩き、口元に笑みを浮かべる。
 今までのあっけらかんとしたものではなく、剣呑な笑みである。
 右手で手刀を作り、赤目に向けて切るように動かした。
「うぐ…っ」
 それだけで、赤目がうめき声をもらす。
 憎々しげに少女をにらんだ。
「このままやる? それとも出直す?」
「――ちっ…」
 赤目の判断は早く、素早く刀を鞘に収めると、常識では考えられないようなジャンプ力で跳躍する。
 そして、屋根の上に飛び乗ったと思うや、見えなくなった。
「す、すげー…」
 桂介は呆然と赤目を見送り、衝撃的な高揚感を感じつつ少女を見た。
「あはは〜。いやぁ〜、危なかったねぇ〜」
「いや、マジで助かった」
 心からそう思う。この少女がこなければ刀の錆である。
「一応訊くけど、知り合いじゃないよね? 追い払って良かった?」
「当たり前だ」
「んじゃ、通り魔だね、きっと」
「――通り魔…」
 ニコニコというよりむしろヘラヘラ笑っている少女の口から出た単語を桂介は無意識に反芻した。
 しかしその反応には気づかなかったのか、少女はやはりヘラヘラと桂介を見上げる。
「ねえね、それよりちょっと良い?」
「え? なんだ?」
「せっかくだからちょっと…」
 そういいながら、桂介の胸の辺りに手を伸ばす。
「失礼」
 少女が一瞬真顔になったかと思うと、言葉と同時に衝撃波に襲われる。
「ぐわ、なにすんだ」
 触れられてはいないのに、痺れた感じが全身を廻った。
「あはは〜、お祓いだよ〜」
「ケホ…っ、お、お祓い?」
 軽く咳き込みながら、横目で少女を見やる。
「だってあんまり匂いがきついから」
「匂いってなんだよ、何にも感じないけど」
「ま〜ね〜、普通は分からないと思うけど。いや〜、強力なの引き寄せるよ、これじゃあ」
「なにそれ、マジで?」
「うん」
 ニコニコする少女に、いぶかしむ視線を向ける。
「お前、なんかオカルトな関係者?」
「その言われ方はやだな〜、古い祖先に神職がいるだけで別に普通だよ〜」
「ふーん」
「サラリーマンの家に生まれた普通の女の子だわね〜」
「そんで、ああいうの追い払えたりするんだ?」
「まあ、ちょっとね〜」
 これまでの約15年間、桂介はごく平凡に生きてきたが、今まで知らなかった世界に足を踏み入れたらしい。
 昨日今日の二日間でがらりと世界観が替わった。
 これまでの桂介の世界と並行して、この少女のようにまた別の角度を平常としている人間が普通にいるらしいことも知った。
「ねえ、もしかして神社に侵入してご神体を触ったりとかした?」
「しねーってそんなこと」
「そお〜? 手にべっとり強力なものがついてたよ」
「う…」
 思い当たるのは、沙久耶の血である。
 倒れかかってきた沙久耶を支えようとしたとき、べっとりと赤い血がついた。
 あの場でずいぶん手も洗ったし、帰宅してから風呂でも全身しっかり洗い流しているが。
「強力か…」
「ま、これで大丈夫だけどね〜」
「へー?」
 お祓いのことを言っているようだ。
 自分の手や全身を返す返すくまなく見るが、素人目にはよく分からなかった。
「あ、念のために3日間くらいこれもってたほうがいいかもねぇ〜」
 ごそごそとスカートのポケットをあさり、結ばれた和紙のようなものを取り出した。
 神社で引いたおみくじを縛ったような感じのものだ。
「お守り?」
「3日たったら燃えるゴミでいいよ〜」
「え、神社にもっていってお祓いとか…」
「してもいいし」
「しなくてもいい?」
「うん、別に構わないよ」
 多少恐れながら受け取ってみたが、特になにも感じられない。
 よく分からなかったが、少女は命の恩人である。信じることにして手に握る。
「あれってなんだったんだ?」
 赤目が消えた屋根の上を見上げて疑問を口にすると、少女は肩をすくめる。
「それ、逆にあたしが訊きたいわね〜」
「ああいうのを追い払えるくらいだからよく知ってるんじゃねーの?」
「いや〜、道端で襲われてる人見たのは初めてだよ〜」
「そうなのか?」
「ビックリしたよ」
「俺もビックリした」
「だろうねぇ〜、あはは〜」
 桂介には笑い事ではないが、なにが楽しいのか少女はおかしそうに笑っている。
「さてと、それじゃ、あたし行くね〜」
「あ、うん。ありがとう、色々、マジで」
 この少女がいなかったら死んでいたのだ。どう表現したらいいか分からないくらいの感謝である。
「じゃ〜ねぇ〜」
 手を振り振り、少女はあっさり去っていった。
 たった今人の命を救ったとは誰も思わないだろう足取りの軽さである。
 桂介はそれを見送り、姿が見えなくなると妙な倦怠感に襲われる。
 さすがに気疲れしたらしく、汗が吹き出してきた。
「あ、名前くらい聞いとけば良かった、俺って間抜け」
 自分で思う以上に緊張していたのかも知れない。
 もらったお守りを握り締め、ポケットに押し込む。
 しかし、本当にもう安全なのか不安である。
 あの少女を信じないわけではないが、2日連続で命の危機を感じるような出来事に瀕したのだ。簡単に安心はできない。
 信じられない事態である。大男と赤目に殺されかけたのだ。
 思い出しても薄ら寒い。
「…………」
 帰ろうと脚を踏み出しかけ、ふと山下の顔が頭に浮かんだ。
 このまま帰っても、どうなるということもない。
 3日間おとなしく家にいればいいのかもしれないが、こういったことを話せる人間がいるのは、誰もいないより心強い。
 それに、こういった特殊な者同士だと、顔見知りである可能性がなくもない。
 山下に聞けば少女の身元が知れるかもしれない。
 桂介は方向転換し、本屋へ引き返した。


back