Crow the fake sun

「黒天使遊戯」-10

 ――采果病院、研究室Q。
 ノックしてからドアを開けると、机に向かっていた早川が、椅子をくるりと回した。
「おや、いらっしゃい」
「どうも」
「僕になにか用があるみたいだね」
 白々しい笑顔に、桂介はひそかに舌打ちした。
 早川の顔には、またくると思っていたと書いてある。桂介の再来は想定内だった。
 そのなんでも見越したような顔を見て、桂介は内心不平不満でいっぱいだ。
 当然、昨日沙久耶が寝かされていた診察台はきれいに片付けられている。
 桂介は室内に入り、ドアの前に立つ。
 入口に対して横向きになっている机に片腕をのせ、早川はいかにも医者らしい笑みで桂介を見る。
「沙久耶ちゃんなら昨日君が帰ったあとしばらくしてから元気に帰って行ったよ」
「そうですか」
「他に質問ある?」
「たくさんあります」
「うん?」
 当然だというような桂介の口調に、早川はまだ笑顔のままである。
「僕で答えられることなら答えるけど、知らないことは知らないよ」
「うぬ、それは卑怯ですね」
「そうかな」
 答えられることという言い方が気に食わない。
 しかし桂介の不満より先に、早川のほうが口を開いた。
「僕も君に聞きたいことがあるんだけど」
「へ? 俺に?」
 予想外の質問返しである。
「昨日、なにがあったの?」
「屋上で、ですか?」
 早川が軽くうなずく。桂介は眉をひそめた。
 早川は、なんでも知っていると思っていた。昨日なにも聞かれなかったし、今更その質問は不可解である。
 どこまで知っているのかを試されているのか、それとも本当に知らないのか判断に悩む。
「沙久耶に聞けばいいじゃないですか」
「残念ながら、沙久耶ちゃんは僕に頼ってくれないんだよね。君が教えてくれない?」
「…………」
 無言になってしまう。
 なにか理由があって、沙久耶は昨日のことを早川に言っていないらしい。
 沙久耶が言わなかったことを桂介が言ってしまうのはどうかと思う。
 桂介の予定では、質問するのは自分で、早川ははぐらかす側である。
 逆に、桂介が答えに困る質問をされるとは考えていなかった。
「僕は、沙久耶ちゃんに信用されてないみたいでね」
「だからって俺にそんなこと聞かれても…。あいつとは昨日会ったばっかりだし」
「じゃ、遠慮することないよね? 昨日、屋上でなにがあった?」
「う……」
 この展開はまずい。精神的動揺を押し込んで、無理やり気を取り直す。
 桂介が主導でなければ負けてしまう。
「さ、先に、俺から質問していいですか?」
「いいよ。僕に答えられることは答えるから」
「…………」
 願わない状況になってきたようである。
「沙久耶のことは沙久耶に聞いてくださいよ」
「彼女は答えてくれないから君に聞いてるんだよ」
「じゃ、言わない理由があるんですよね?」
「僕に心配かけたくないのかな」
「そう思っとけばいいんじゃないですか?」
「ってことは、やっぱり心配されるような事態だったわけか」
 フムと、早川は腕を組んであごに手をやった。
 確かにそのとおりである。動揺を隠せなくなってきた。
「誘導尋問はやめてください」
「遠慮なんかしないでなんでも言ってくれればいいのになぁ」
 独り言のようにつぶやく。
 桂介は気を取り直すため、咳払いする。
 早く自分のペースに持ち込まねばと、焦る。
「で、沙久耶の背中の羽なんですけど」
「昨日言ったよね、奇病だって」
「聞きました。んで、定期検診にきてるって言いましたよね?」
「うん、そうだね」
「いつからですか?」
「医者には守秘義務があるってのは知ってるよね?」
「そうきますか」
「うん、患者である沙久耶ちゃんのことについてもともと答えられることなんてないんだよね」
「医者としてじゃなくて答えてもらえたり…」
「白衣を着ていようと脱いでいようと医者は常に医者だよ」
 すべて即答である。前もって用意していた答なのだろう。
 早川の手強さを感じ、桂介は交換条件を考えた。昨日屋上でみた事を言うのと引き換えにするしかない。
 早川もそのつもりなのかも知れないと思ったが、昨日の屋上の出来事といっても、大男が現れ、桂介がそこから落とされそうになり、沙久耶がそれを助けたというだけである。
 沙久耶が隠したとすれば、あの大男のことだろうか。
「…………ん?」
 桂介の頭に突飛な考えが浮かんだ。というより、今までそのことを考えなかったのをいまになって気づいた。
 3年前の話で出てきた人物。
 通り魔に襲われ、一人行方不明、一人重傷。
 さっき遭遇した赤目の通り魔と、重傷の沙久耶と、行方不明のもう一人…。
 しかし、そのときの被害者は小学校を卒業したばかりの児童。沙久耶と同い年であれば、桂介とも同い年になる。
 とてもじゃないが、あの大男が同学年とは思えないが…。
 無言になった桂介を早川が変わらぬ微笑のまま見つめている。
 顔色をうかがいながら口を開く。
「3年前の通り魔事件、覚えてますよね?」
「ああ、新聞にも載ったしね」
「そのとき、沙久耶が運ばれたのはこの病院ですよね?」
「そうだね」
 顔色に変化なくさらりと答えた。その噂を桂介が知るのは想定内である。
 その被害者が沙久耶であることも否定しない。
「あれ、まだ調べてなかった? でもま、調べれば分かることだよ」
 微笑のまま、早川が付け加える。
「行方不明になったのは僕の息子だよ」
「……え?」
「だから、沙久耶ちゃんは僕に遠慮するのかな」
「…………」
「若く見えるけど、僕は君の親でもおかしくない歳なんだよね」
 早川の年齢にも少なからず衝撃を受けたが、それが問題外になるほどそっちの事実が衝撃的だ。
「早川悠太。みんなユタって呼んでたよ」
 行方不明のもう一人は、早川の息子だった。
 それを知ってしまって、桂介の口から昨日の屋上で出会った男のことを言えるわけがない。
 もし桂介の推測が正しかったとしたら、あの男が早川の息子――ユタという事になってしまう。
 そして、どう見ても沙久耶とは敵対的だった。
 沙久耶がなにも言わなかったのもうなずける。言ってはいけないのだ。
 落ち着きが桂介の中から抜けていき、考えが飛躍しそうになる。
 3年前、なにがあったのか。
 世間の結論としては、重傷ではあるが沙久耶は助かって、行方不明のもう一人は助からなかったと言う認識のはずだ。
 しかし、昨日の二人の会話を思い出すとわけがわからなくなってくる。
「君が行方不明にならないことを願うよ、僕は」
「…………」
 早川の顔から笑みが消え、憂いを帯びた視線が向けられていた。
 言外に、沙久耶には関わるなと言われた気がした。



「はぁ…」
 帰り道、桂介は生まれてから一番憂鬱なため息をついた。
 かなり気が重い。聞かなければ良かったと、どんよりとした心持ちで足取りも重い。
 桂介が首を突っ込むようなことではないというのだけは、だんだん分かってきた。
 沙久耶の背中の羽の事は忘れて、関わらないようにしたほうがいい。
 海江田もそう言ったし、一般人の感性があるならそうしろと、山下も言っていた。
 海江田や山下が正しい。
 桂介は、海江田が困った事があったら俺に言えと言ってくれたことを思い出したが、とても言えるようなことではないと首を振る。
 海江田と沙久耶の仲を知らないので、海江田が言っているのは噂からのことだと考えている。
 ふと気づくとひと気のない道を歩いていた。
 赤目のことを思い出し、ポケットに手を突っ込んでお守りの和紙の感触を確かめる。
「よし、大丈夫」
 一応周辺を警戒しつつ家路を急ぐ。特に屋根の上をうかがいつつ足早に歩いた。
 そのとき、ドサッとなにか重いものが倒れたような音がした。体育のマットを丸めて倒したみたいな音である。
「な、なんだ…?」
 音のした後ろを振り返ってみたがそれらしきものは見当たらない。
「ん?」
 電柱の陰から足のようなものが見えている。
「ま、マジかよ…」
 見たことのある服装だ。しかも今日。
 あの和服のような格好は、間違いなくあの赤目である。
 しかし、目を凝らして見るとボロボロで、確認するまでもなく倒れている。
 まったく桂介には気付いていない。というより意識が朦朧としている感じで、目も薄くしか開けれてない。
 まるでなにかから逃げてきたみたいな感じである。
「…………」
 まさか桂介をはめるための芝居とも思えない。だいいち沙久耶の血の匂いはお払いによって消えているはずである。
 しばらく様子をうかがっていたが、動く気配はない。完全に気を失っているらしい。
 ポケットの中でお守りを握りながら、遠巻きに近づいてみる。
 とりあえず取り上げようと思ったが、刀はもっていなかった。
 あやしい術を使って中空から出したりするのかもしれないと勘ぐるも、これだけボロボロにされているということは、敵に奪われたかななにかだろうと考える。
 そう思って、辺りを見回すが誰かが追ってきているということはないようだった。
 近づいてよくみると案外幼い顔をしているように見える。
「……う…っ」
 うっすら目が開いて、朦朧とした感じで桂介を見る。
 なにかを訴えかける目をしたが、桂介だと分かってのことではないようだった。
「――や、奴が…。隠れ…、ないと……う…っ」
 身を起こそうとして、力が入らずまた倒れこむ。
 視線は桂介を見ておらず、口を開いたのも独り言のようだ。
「大丈夫か?」
 自分の体重を支えきれていないようで、思わず手を伸ばした。
「あぅ…っ」
「うわ、すまん、わざとじゃ…」
 お守りの効果なのか、桂介が触れた途端に電撃が走ったように、赤目の顔が苦痛に歪んだ。
 確かに強力護符らしい。よく効くもんだと感心する。
「――…! お前は…っ」
 今のショックでか、赤目は覚醒したらしい。目が焦点を取り戻し、桂介を真っ直ぐ捕らえる。
 その目が真っ黒である。
 元赤目は焦ったようにあたりを見回し、それから自分の身を確認した。
「う…、力が――…」
 元赤目は落ち着きなく自分の手のひらを見つめ、人から預かった100万円を落としたような、泣きそうな顔をする。
「…くそ…っ」
 なにをそんなに焦っているのか、さっき殺そうとしたはずの桂介すらあまり眼中にないようだ。どうも非常事態らしい。
 それならそれで、そっとこの場を離れて帰ろうかと思ったが、目の前にいて気付かれないはずがない。
「お、お前…、さっきの奴か?」
「え〜と…」
 違うと言おうか迷う桂介を元赤目は困惑顔で首を傾げて見る。
「…匂いがしない」
「…へぇ…」
 やはりお祓いのおかげで匂いとやらが消えたらしいことを確信し、感心して一人うなずく。
 元赤目はすぐに桂介に興味を失い、急にはっとして着物の襟を開いた。
 自分の胸のまんなかに目を落とすと、愕然とした。顔が引きつる。
「う…、これは…」
 あざのような、刺青のようなものがあった。変わった形の模様で、呪いの徴という表現がピッタリくる不気味さをかもし出している。
 卵サイズで、あざにしては大きいかもしれない。
「う…っ、…くそ…っ」
 元赤目はそれを消そうとしてこすったが、当然そんなことで消えるはずもなくすぐにあきらめた。イライラと周りを見渡し、はたと気付く。
「俺の刀がない…っ」
 力が入らないながらも必死で探しものを求めるが、見つかることはなかった。
「なんてことだ…っ、なにからなにまで…っ」
 そしてキッと鋭く桂介をにらみ、詰め寄ってきた。
「奴はどこへ行った!?」
 桂介の襟首をつかんだ瞬間、はじかれたように手を離す。
「う…!」
 相当焦っているらしく、自らお守りの餌食となった。
 どうやら桂介のピンチではないようだ。
 お守りがある限り元赤目は桂介に触れることはできず、しかも相手は相当弱々しい。
 もしかしたら逆に桂介の立場が有利なのかもしれない。しかし、この機会を利用する考えをまとめる前に、元赤目の姿が掻き消えた。
「げ…」
 空気に溶けるように、人影はどこにもいなくなった。
「…………」
 15年生きてきて、1日や2日で世界観が変わるとは思わなかった。
 今までなかったことはこれからもないのだという考えは間違っていることが分かった。
 人間どこでどうなるかわかったものではない。
 桂介は顔をしかめてこめかみを押さえた。
 理解不能なごたごたがありすぎである。せっかく男女共学の高校に合格したのに、それどころではないというのが嫌になってきた。
 海江田に忠告されたにもかかわらず、打倒沙久耶などと考えてた自分を反省する。
 3年前なにがあったかももういい。命の危機もたくさんだ。人間ではないものたちとも無縁でいい。
 沙久耶も、桂介を巻き込んでも得は無し、冗談としてももう仲良くしようなどとも言わないだろう。
 昨日屋上で医者を呼んでやったのに礼もなく、回復の連絡してこないというのは、そういうことだ。
 これまでのことは夢でも見ていたんだと思って、明日からは普通に生活する決意をした。


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