Crow the fake sun

「黒天使遊戯」-11



     第三章


 沙久耶が目覚めると、目の前に見慣れた笑顔が見えた。
「あ、お姉ちゃん、おはよ〜」
 のほほんとした唄うような声に眉をひそめる。
「…実芽衣か。なにしにきた」
「なにそれ、冷たいなぁ」
 笑い顔をやや不満げに歪ませ、実芽衣は沙久耶の寝ているベッドの足下に腰掛ける。
「昨日またやっちゃったっていうから、お見舞いにきたんでしょうが」
「お見舞いねぇ」
 身を起こしながらぶすくれる。
 なんでも楽しい遊びに変えてしまう実芽衣にとって、沙久耶の羽のことも心配事ではなく、好奇心の対象でしかない。
 凝り固まった首をコキコキと動かしつつ、ギロリと実芽衣をにらむ。
「あんまし早川先生のとこ、出入りすんなって言ってんだろ?」
「う…」
 沙久耶が羽を広げて倒れたことを実芽衣に教えるとすれば早川しかいないのである。
 実芽衣は早川に言われて桂介の顔見がてら護符を渡しに行ったことを言うつもりだったが、それはできないようだ。
「今はまだいいけど、そのうち危ない目にあってもしらねーよ、俺は」
「大丈夫だって、本気で危なそうなら逃げるし」
「じゃ、そろそろ潮時だ。部活にでも打ち込んでろよ、お前は」
「うちのバレー部強豪だもん、部活やってたほうが怪我だらけになるよ」
「強豪ならしょっちゅうサボんなよな」
「あたしは最終兵器だもん。全員やられないと舞台には出してもらえないね〜」
「ただの補欠だろ」
 沙久耶の指摘にケラケラ笑っている実芽衣にあきれた視線を向ける。
 おはようと言われても、窓の外は夕焼け空だ。時計を見ると5時近くをさしていた。
「一日中寝てたのか」
「うん。もう顔色いいね。お腹空いたでしょ? 焼きそば食べる?」
 実芽衣が作れるのは焼きそばだけである。
「食う」
「んじゃ、すぐ作るね」
 そう言って沙久耶の部屋を出ると、パタパタと階段を降りていく。
 沙久耶は欠伸しながらベッドを降りた。
 本棚の上にある写真立てを見つめる。
 3人の子供が写っている。3年前の写真である。
「…………」
 後ろの真ん中には沙久耶、右前に海江田、そして、左側にはユタ。
 3年前、消えた幼馴染である。
 人形めいた整いすぎた顔が、後ろから沙久耶に頬をつねられて歪んでいる。
 無邪気な子供3人の、ほのぼのした写真だった。


 海江田は、テレビの前のソファに深くもたれかかっていた。
 テレビは何も映しておらず、ボーッと考え事をしている。
 三条家のリビングである。
 実芽衣や沙久耶が海江田家を自分の家のようにするのと同じく、海江田も三条家を自分の家のようにしている。
 少し前に2階へ行っていた実芽衣が、パタパタと階段を降りてきた。
「焼きそば、焼きそば〜」
 そのまま、リビングと続きの空間にあるキッチンへ行ってしまう。
 どうやら沙久耶のお目覚めのようである。
 冷蔵庫を開け閉めする音のあと、たどたどしい包丁の音も聞こえてきた。
 少しして、だるそうに沙久耶がリビングへ入ってくる。
 無言で目を見交わすと、沙久耶は海江田の斜め向かいに腰をおろした。
「お前も食ってくだろ? 実芽衣、海江田のもな」
「はいは〜い」
 キッチンの実芽衣に追加注文をしたが、元からそのつもりだったらしく、余裕の返事である。
「あいつ、まだ焼きそばしか作れねーのか?」
「カップ焼きそばじゃないんだぜ? 上等だろ?」
「ま、お前はお湯しかわかせねーけどな」
「否定はしねーよ」
 むすっと口を結ぶ。
 顔色は悪くない。
「もう平気だな?」
「ん、ああ。いつも通りな」
 とはいっても、そうそう羽を広げることはなくなってずいぶんたつ。
 昨日は、久しぶりにああいう事態になった。
 昔患った病がぶり返したような気分なのだろう、病み上がりっぽい顔である。
 海江田はちらりと実芽衣のほうを見た。
 実芽衣は焼きそば作りに真剣で、こっちにはまったく意識が向いていない。それを確認して海江田は神妙な顔を沙久耶に向けた。
「なあ、昨日の、本当に”あいつ”だったのか?」
「間違いない。忘れねーよ」
 沙久耶は腕を組んで渋い顔をした。
 3年前のあの日を思い出す。




 沙久耶と海江田、そして早川悠太――ユタは幼馴染だった。
 家が近所で、その上学校でも3人とも常に同じクラスで、いつも一緒だった。
 小学校を卒業した春休み、来年から中学生になるという年。
 3人はいつものように朝から一緒に遊んでいた。
 采果病院の裏手にある山に、小さな社がある。そこをよく遊び場にしていた。
 夕暮れになり、そろそろ帰ろうかというときに、そこまで競争だといって走り出したのは、沙久耶だった。
 それを追いかけユタが走り、その後を海江田が追う。
 沙久耶とユタは足が早く、海江田が社の近くまでやってきたときには、2人ともすでに社に着いていた。
 海江田の視界に社が見えかかったとき、空気を切り裂くような悲鳴が聞こえた。
 沙久耶のものでもなく、ユタのものでもない。
 絶叫に驚き海江田は一瞬足を止め、慎重に近づいていった。
 そこで見たのは、血だまりにうつ伏せになっている2人の人物。沙久耶と、ユタではないもう一人。その人物が、悲鳴の主らしかった。左目から血を流し、顔を苦悶に歪めていた。
 その横に呆然と佇むユタ。そしてその後ろには黒い服をきた大男。
 大男の背後からは、カラスのような黒い羽が見えた。
 沙久耶に駆け寄ったユタを見下ろし、大男はばさりと羽根を広げる。
 わめくユタを後ろから抱えると、倒れている沙久耶ではないほうの首をつかみ、そのまま夕闇に煙のように姿を消した。
 残されたのは、血の海に寝転がる沙久耶と、草陰に隠れ、足がすくんで動けない海江田。
 当時は携帯電話ももっておらず、震えながらも必死で山を降り、采果病院へかけこんだ。
 海江田の案内で沙久耶が発見され、搬送されて緊急手術。
 怪我が背中の刀傷だったため、警察にも連絡され、刀を持った通り魔の捜索がなされた。
 事情を聞かれたが、海江田はユタが大男につれていかれたとしか言えなかった。
 ユタがいなくなり、一緒にいたサクヤが大量出血だと聞かされても、ユタの父である早川はひどく冷静だったのが印象に残っている。
 沙久耶の手術は無事終わり、その夜は集中治療室に入っていた。
 チューブだらけの沙久耶が痛々しく、どうすることもできなかったことを悔やむ。
 意識が戻るのを待つため、海江田は三条一家と共に病院にとどまった。
 そして、その夜――。
 唐突に目が覚めた海江田は、妙な予感に襲われ、沙久耶のいる奥の病室へ向かった。
 途中、薄暗い寒色の廊下に静かに急ぐ看護士が多数いて不安が増す。
 病院の奥のほうにある集中治療室の扉は開いており、人の出入りが慌しい。
 海江田は騒ぎにまぎれてそこへ潜り込んだが、赤い足跡だらけの室内にギクリとして足を止めた。
 鼓動と折り合いをつけ、決心してそこに踏み込む。
 室内は撒き散らしたように血糊で真っ赤に染まり、ベッドには背中から黒い羽を生やした沙久耶が意識のないまま身を起こしていた。
 目はなにも見ておらず、茫洋とした表情で人形のようにだらんと座っている。
 部屋中を汚しているのはよくみれば血だけではなく、肉片のようなものまであったが、それがなにかは後になっても結局分からなかった。
 そんなスプラッタな中、早川が暗い目で沙久耶を見つめていた。
 輸血や点滴のチューブはすべて、吹き飛ばされたように外れていた。
 海江田に気づいた看護士に慌ててつれ出され、それからどうしたのか、翌日にはすっかり元通りに後始末されていた。
 沙久耶の意識も回復し、それどころか傷は完治していた。
 しかし、背中に生えた黒い羽は消えなかった。
 そこにいた全員に緘口令がしかれ、沙久耶の秘密は病院内でとどまった。
 入院患者の間では、その夜黒い影をみたという多数の目撃情報があったが、誰も真相にはいきつかなかった。
 沙久耶は案外ケロリとして、怪我以前のような元気さを回復していたが、その夜のことはまったく覚えていないと言った。
 ただ、起きると背中にひきつれるような痛みがあり、異物感があった。
 すでに日常生活に不自由はなかったが、さすがに即退院というわけにもいかず、そのまま入院を続けた。
 沙久耶は強がっていたが痛みは軽いとは言えず、その肉体のストレスに耐え切れなくなると、突然羽を広げて意識を失うということが1週間のうちに数回あった。誰にも手の施し様がないように思われた。
 一般患者に見られるのはまずいと、1階の研究室が沙久耶用に与えられ、それが早川からの提案だったのかは海江田には分からないが、沙久耶のことはすべて早川がみることに決まった。
 早川の指導でどうにかして沙久耶は羽の出現を抑えることができるようになった。
 しかし、感情的になると思わず羽が出てしまうのは抑えられず、ヤバイときには飛翔して病院の屋上へくることになる。巨大カラスの噂はそのせいである。
 その都度早川の世話になり、制御にも慣れてきて、徐々にその回数も減っていった。
 ユタをつれていった大男に黒い羽が生えていたことは、沙久耶と海江田しか知らない。
 どう考えても、ユタは沙久耶と間違えられてつれていかれたとしか思えず、沙久耶はユタのことはあまり話さなかった。
 ユタがそのあとどうなったのか知る由もない。
 いざというとき血が目立たないように黒い服を着るようになったのだが、それをユタのための喪服だと思って同情を寄せるものもいるくらいで、一般的には通り魔の犠牲になって死んだと思われている。
 考えないようにしているが、心のどこかで沙久耶も海江田もそう思っていた。
 沙久耶はけして口に出しては言わないが、自分のせいでユタがつれていかれてしまったことが、かなり深いところで傷になっているはずだ。
 早川が、どう考えていたのかは分からない。


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