Crow the fake sun

「黒天使遊戯」-12

「できましたよ〜」
 機嫌よく実芽衣がテーブルに焼きそばの皿を置きながら声をかけてきた。
「お、早いな」
「手際良くなったでしょ?」
「将来はいい焼きそば料理人になれるぞ、きっと」
「限定かよ」
 沙久耶の誉め言葉に海江田が呆れ口調の一言をつける。
「でも焼きそばとカレーさえ作れれば人生なんとかなるよね〜」
「じゃ、カレーの練習しろよ」
「…いちいちうるさい、カイくん」
 そうこうしながら3人で焼きそばを食べる。
 食べながら、実芽衣がニコニコ沙久耶に目をやる。
「でもさ、見られちゃったってどういうこと、お姉ちゃん?」
「う…」
 唐突な質問に、軽く喉を詰まらせる。
 口の中のものを飲み込み、沙久耶は実芽衣に迷惑げな視線を向けた。
「食ってる最中にやなこと思い出させるなよ、お前」
「だって、心配じゃん。これから毎日顔合わせるような人でしょ?」
「まー、同じ学校ではあるけど」
「不注意だよね」
 余程のことがあったのだとは思うが、あえて責めてみる。
 沙久耶は軽くふて腐れたように口を歪めた。
「仕方ねーじゃん、あいつが――…」
 大男のことを言いそうになり、慌てて口をつぐむ。
「あいつが?」
「な、なんでもねーって」
 ジトリと横目で見られ、沙久耶は分かりやすく目をそらした。
 疑わしい目線をはずそうとしない実芽衣に、あきらめて溜め息をつく。
「あいつが屋上から落ちそうになったから慌てたんだよ」
「その、同じ高校の人?」
「ああ」
 一応は事実である。落ちそうになったきっかけは言わない。
 実芽衣は不納得な顔をしていたが、これ以上沙久耶がなにも言わないことは予想がつく。
 あきらめて質問をやめた。
 それから食事を終え、空が暗くなったころに実芽衣は帰っていった。
 太陽は沈み、空は藍色である。
「やれやれ」
 玄関前の石段に腰かけた海江田は、かたわらに立っている沙久耶の足下をみた。
 街灯の光で薄く影ができている。
 3年間、漠然となにかを待っていたような気がする。
 沙久耶も海江田も、あの事件の以後も、以前となるべく変わらないように過ごしてきたが、いつも引っかかりがあった。
 ユタがいないので当然変化があってしかるべきだったのに、変わらないように心がけた。
 自然と普通の生活に戻るには、背中の羽が邪魔である。
 それがあるために、どうしても3年前の事件が薄まることはない。
 そのせいがあってか、無理やり”そのまま”を保ってなにかを待っていた。
 現実味はないと思っていても、ユタはどこかで生きていていつか帰ってくる事を想像したりもした。
 少し考えにふけっていると、ぽんと肩に手が置かれた。
「な…あ、海江田」
 声がかすかに上擦っている。不審に思って沙久耶を見上げる。
 沙久耶はぽかんとした顔で道の向こうを見ていた。
「海江田、あれ…」
「ん?」
 沙久耶と同じ方向へ目を向けると、少し離れた街灯の下あたりに人影が見えた。
 小学生か、中学生くらいの男子が佇んで、じっと二人を見つめていた。
「――ユタ…か?」
 沙久耶が恐る恐る声をかける。
 海江田も、直感的にそう感じたが、まさかありえないと頭のどこかで否定して、沙久耶の言葉を聞いて初めてそれを想像できた。
 3年前、消えた時のままの姿のユタにしか見えなかった。
 身長も顔も、なにもかもがあのときのままでまったく成長していない。時を超えて舞い戻ってきたように思える。
 神隠しにあったものは成長が止まるという話を思い出した。
 ゴクリと息を飲み、沙久耶がまた口を開く。
「ユタ、だろ?」
 海江田は呆然として固まったまま動けないでいた。
 突然の出来事に、緊迫した空気が満ちている。
 なにかきっかけがあれば、動き出しそうな雰囲気だった。
「久しぶりだな」
 3年前と同じ声のまま、ユタが言葉を放った。
 小さいころからと変わらず、普通の言葉でもどことなく無愛想で皮肉っぽいものの言い方をする。
 ニッと口角を上げ、ユタはなにも臆することなくてくてくと歩いてくる。
 沙久耶や海江田をみれば時の流れは分かるはずで、事態を把握していないとも思えない。
 しかし、至って普通の態度である。
「お、お前、帰って来たのか?」
「ああ」
 近づいてきたユタは、真っ直ぐと沙久耶を見た。
 視線が鋭く、気の強そうなところがまるで変わっていない。
 そして、手の届く範囲まできたとき、唐突に手を伸ばした。
「な…っ、ユタっ!」
 するりと沙久耶の背後に回り、後ろ手に手をひねる。
「なにすんだっ、テメー」
「邪魔だろ、これ」
 冷たい目をして、ガシッと沙久耶の羽をつかむ。
 そのまま毟り取るような動きをするのを海江田は唖然と見た。
 が、黙ってやられるわけもなく、沙久耶が寸前でユタを振り解く。
 そのまま後ろに蹴りを放つが、ユタはあっさりと手を離して避けてしまう。
「なんなんだ、いきなりっ」
 沙久耶の非難に、ユタは体勢を整えつつちっと舌打ちする。
 好戦的に、にやりとした。
「ま、そう簡単にはやられてくれねーか」
「つーか、なんだってんだ、説明しろっ」
「そんなもん、把握しろ」
 フンと偉そうにあごを上げる。
「はぁ? わけわかんねーよ、お前は」
「お前には不必要だろ、それ」
「お前には必要なのかよ」
「少なくともお前よりかは。おとなしく渡せ」
 確かに沙久耶には必要ないものではある。
 そうとはいっても背中に生えているものを渡せといわれてはいどうぞというわけにはいかない。
 沙久耶は不愉快そうにユタをにらむ。
「性格が悪いのは変わってないみたいだな」
「お前ほどじゃねーよ」
「学校で飼ってるウサギ逃がして人のせいにしたくせに」
「お前こそ、池からいい匂いがするとか言って匂い嗅がせといて汚い池に後ろから人のこと突き落としたことあっただろ」
「お前だってポカリだとかいって薄めた牛乳のませやがっただろ?」
「俺の筆箱、接着剤で開かなくしたこともあったな」
「数々の恨み晴らしてやる、ユタ」
「それはこっちのセリフだ、沙久耶」
 3年のブランクを感じさせない二人のやりとりを海江田は少々呆れて見ていた。
「お前ら、なんなんだ…」
「止めるなよ、海江田」
「このバカをとっちめてやる」
 短いにらみ合いのあと、先に沙久耶の手がでる。
 傍からみれば、小学生と高校生の姉弟ケンカである。
 先にすべきことがあるだろうとは思いつつも、海江田は二人の気がおさまるのを待った。
 そのつもりだったが、沙久耶の頬に切り傷ができたのを見て眉をひそめる。
 二人はいったん離れ、互いをにらみながら乱れた呼吸を整える。
「俺は遊びにきたわけじゃない。本気だからな」
「ユタ、てめー」
 ユタのほうが余裕がある。沙久耶は頬の血を拭い、奥歯をかみ締めた。
「おとなしく羽を渡せ。今度は手加減しないぞ」
「けっ、なんだってんだ。戻ってきたかと思えば、羽羽羽羽」
「そのために戻ってきたんだ、当然だろ」
「なんで今更」
「どうだっていいだろ、そんなもん」
 ユタはむすっと不機嫌に顔をしかめる。
 今更と言われても、今のユタに時間の感覚などないのかもしれない。
 また口を開きかけ、ピクリとなにか感づいて口をつぐんだ。
 遠くを見るようにして舌打ちすると、急に小声になる。
「…今は引く。またくるからそれまでに心の準備しとけよ、沙久耶」
「あん?」
 撤退の意思表示に眉をひそめたが、ユタは言うだけ言うと跳躍して向かいの屋根の上に消えた。
 とても人間技とは思えない。改めて、ユタの変化に茫然とする。
 沙久耶も海江田も、あっさりいなくなったユタに不可解なものを抱えながら立ちつくした。
 一瞬で静寂が戻ったそこへ、曲がり角から人影が現れる。
「あれ、こんな時間にどうしたの?」
 早川が、険しい顔の二人にいぶかしむ視線を向けた。
 ユタが撤退した理由を悟る。父である早川に会いたくなかったか、今の自分の姿を見られたくなかったか。
 早川は沙久耶の頬についた血を見つけ、眉をひそめる。沙久耶は今さっきまでユタがここにいたことを微塵も感じさせない態度で血を拭い、首を振ってみせた。
「なんでもない」
「そういういいわけはないだろう?」
 諭すようないい方をする早川を沙久耶がジトリと横目でにらむ。
「それより早川先生、実芽衣になんでもかんでも話すなよ」
「う…。だって、なにも知らないんじゃかわいそうじゃないか」
「あんた、医者だろ? 守秘義務はどうしたんだよ」
「君の妹だろ? 家族じゃないか」
「でも、あいつを使って探りを入れようとすんのは良くない。聞きたいことがあるんなら俺に直接聞けよ」
「聞いたって答えてくれないじゃないか、君は」
「言いたくないからだよ」
「ほら」
「だからって実芽衣を巻き込むのは、どうなんだよ。なあ、海江田」
「そうだな。感心しない」
 二人から批判を浴び、早川はしぶしぶ意見を引っ込める。特に海江田からのダメだしに実は弱い。
 それを知っていて、沙久耶は海江田に同意を求めてもいる。
「でも、手に負えなくなったらちゃんと僕に言うんだよ?」
「わかってるって」
 そう言いつつも、早川に黙っていることがたくさんある。
 3年前の事件の詳細も、昨日病院の屋上に現れた大男のことも、さっきユタが戻ってきたことも、更に羽を必要としているらしいことも、それで沙久耶を襲ったことも、言うつもりはない。
「さー、うち入ろうっと」
 何気なさを装いつつ、沙久耶は早川から逃げることにした。




 三条家の斜め向かいに早川家がある。
 早川は自宅へ入り、憂鬱にため息をついた。
 沙久耶が早川に隠し事があることは分かっている。
 そして、逆に早川が沙久耶に隠していることを思って苦い顔をした。
 すべての元凶は、あの日、早川が抱いた好奇心にある。
 沙久耶はそのことをまったく知らず、発端は自分にあると思っていることを知っている。
 それが後ろめたくもあり、沙久耶を守らねばという責任感にも繋がっている。
 何度も悔いたが、今となってはもう取り返しがつかない。そして、後悔だけではないものももっている。
 ずっと言えなかったし、これからも言うつもりもない。
 沙久耶が元気でいてくれることは救いである。
「はぁ…」
 ため息をついて、頭をかく。
 昨日今日で、どうやら事態は動いたらしい。
「…………」
 しばらく考え込み、早川は一人で納得してうなずいた。


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